宇和島の幕末関連スポット

幕末ゆかりの歴史スポットが満載の宇和島周辺

宇和島市は人口約7万6千人ほどの南予地方の小さな自治体ですが、そこには様々な観光資源が存在します。宇和島市は江戸時代には伊達家10万石の藩として栄え、独自の発展を遂げました。特に、幕末の時代においては、わずか10万石の小藩ながら、西洋文明の導入に力を入れ、独自に蒸気機関で動く軍艦や西洋式の大砲なども配備していたほど。

そんな宇和島藩と幕末にゆかりのあるスポットが宇和島市を中心とした南予地方には今でも数多く残されているのです。関連する歴史上の人物だけでも、伊達宗城、大村益次郎、二宮敬作、高野長英、楠本イネ、など日本の近代化や歴史に大きな影響を与えた人物たちが登場します。

また、こうした人物たちに関連する建物や場所が、今でも残されており、観光スポットとしても目の当たりにすることができるのです。

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 蘭学と西洋文明に力を入れた宇和島藩

宇和島藩は西国にあるという地理的条件から、早くから開明的な藩として知られていました。宇和島藩はもともと、仙台伊達家の分家として江戸時代初期にできた藩です。独眼竜政宗の異名で知られる伊達政宗の長男、伊達秀宗が宇和島藩の藩祖とされます。

伊達秀宗は長男であるにもかかわらず、仙台伊達家を継ぐことができなかったのは、先の政権である豊臣家に近かったことが原因として挙げられます。政略家でもある政宗が徳川家に近い次男忠宗に家督を継がせ、長男であった秀宗には別家を設けるということで忠誠を示すことから宇和島藩は生まれました。

しかし、ルーツは同じでも江戸時代後期にはその地理的条件などから、二つの藩は全く性格を異にするようになったのです。宇和島藩は、当時蘭学と言われた西洋学問の教育に力を入れ、盛んに蘭学者を招きます。特に幕末の時期には、幕末の四賢候にも挙げられた伊達宗城が家督をつぐと、軍艦や大砲の製造など富国強兵策を取り、維新を迎えるに当たって日本の近代化に多くの貢献をしたと言えるでしょう。

一方で、仙台藩伊達家は、62万石の大藩ながら、幕末には佐幕藩として知られ、戊辰戦争時には東北諸藩である奥羽越列藩同盟の盟主として維新政府と対決の姿勢を取りました。

 

 宇和島藩ゆかりの蘭学者と観光スポット

当時の蘭学で最も代表的な人物としてはオランダから(本当はドイツ)来日したシーボルトが有名ですが、宇和島藩はこのシーボルトの弟子と言われる人物を二人招聘しています。そのうちの一人が幕府を批判して追われていた高野長英であり、もう一人が高野長英の友人でもあり、同じシーボルト門下の二宮敬作です。

また、二宮敬作の養育されたシーボルトの娘楠本イネや、日本の近代兵制を築いた大村益次郎などが宇和島を訪れました。さらにこうした蘭学者を招聘することを決めた藩主である伊達宗城を外して、宇和島藩の西洋化政策を語ることはできません。

こうした人物たちは、宇和島藩だけではなく日本の近代化にも様々な影響を与えたと言えるでしょう。ここでは、こうした人物ゆかりの観光スポットをご紹介します。

 

伊達宗城とゆかりのスポット

伊達宗城は幕末に宇和島藩を率いた賢候と呼ばれる人物です。ちなみに幕末の四賢候とは、伊達宗城と越前福井の松平春嶽、土佐の山内容堂、薩摩島津斉彬の四人の大名を称した言葉です。

伊達宗城は先にもご紹介しましたが、幕末の動乱期に盛んに藩の洋式化を進め、多くの蘭学者を招きました。その活躍は明治維新後も続き、明治初期に鉄道建設のための借款をイギリス政府と交渉したり、有名な李鴻章と交渉し日清修好条規を締結しました。

伊達宗城ゆかりのスポットとしてあげられる場所は宇和島城や宇和島市立伊達博物館、天赦園などがあげられます。

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大村益次郎とゆかりのスポット

日本近代兵制の祖として知られ、伊達宗城に招聘されて軍艦と大砲を作ったのが当時、村田蔵六と言われた大村益次郎です。大村益次郎はのちに長州に使えて倒幕の司令官になりますが、緒方洪庵の適塾で学んだのち、宇和島藩のお雇士として使え、軍艦と砲台の建設に携わりました。

当時日本には蒸気機関で自走する軍艦はなく、黒船来航による衝撃から、上記の四賢候の間で、独力で軍艦を作ろうという動きが出てきたのです。大村益次郎は、宇和島藩滞在中は、上記の伊達宗城ゆかりの場所でもある天赦園で軍艦の設計などを行ったとも言われています。

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宇和島城

宇和島城は、伊達家が入部してくる前の藤堂高虎の時代にそのベースとなる縄張りが行なわれた平山城です。藤堂高虎は築城の名手と言われ、生涯で数多くの城を設計しました。そのため天守閣がある本丸までは急坂な道のりが続き、登るのが結構大変です。

天守閣の内部は博物館にもなっており、様々な展示を見ることができます。また宇和島城の見どころの一つは、本丸から眺める景色で、宇和島市街から宇和島湾までが一望の元に見渡すことができます。

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宇和島市立伊達博物館

宇和島市立伊達博物館は、宇和島に初代伊達秀宗が入部して以来、歴代伊達家に関する展示がされている博物館です。とりわけ貴重なのは、重要文化財にも指定されている豊臣秀吉像などを見る事ができる点です。

また、宇和島市立伊達博物館の目の前には、幕末に西郷隆盛が訪れ、藩主である伊達宗城と会見した場所の跡が残されています。当時西郷隆盛は薩摩藩の藩政を取り仕切り、外交活動などを行っていましたが、四賢候会議の開催を求める為に伊達宗城に面会にきたのです。

現在は跡地の立て札のみですが、天赦園と宇和島市立伊達博物館の一体が、かつての屋敷跡であったことが偲ばれます。

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宇和島市立伊達博物館の利用案内

住所:〒798-0061 愛媛県宇和島市御殿町9番14号

Tel:0895-22-7776

Fax:0895-22-7819

開館時間:午前9時~午後5時(但し、入館受付は午後4時30分まで)

休館日:毎週月曜日及び年末年始は12月29日~01月03日

※但し、月曜日が国民の祝日にあたる場合は開館し、翌火曜日を休館

入館料:大人500円、高校・大学生・敬老(65歳以上)400円、中学生以下無料

天赦園

伊達家ゆかりでもあり、同時に大村益次郎のゆかりの場所でもある天赦園。天赦園は、伊達家7代藩主でもあり、100歳の長寿大名として知られる伊達宗紀の隠居場所として作られた日本庭園です。

名前の由来は伊達政宗の詩から取られたもので、有名な「馬上に少年過ぎ、世は平にして白髪多し、残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん」という詩からつけられました。意味は伊達政宗が自らの人生を回顧しているもので、若年のころ馬上で戦いに望み天下を目指したが、いつの間にか世の中は平和になり自分も年老いている。今は余生を十分に楽しんでいる。といった内容で、隠居する宗紀が自分の心境を政宗の心境に合わせて天赦園と名付けたとされます。

この天赦園、国の景勝に指定されている美しい日本庭園で、ゆったりとした時間を過ごすことができます。また大村益次郎が伊達宗城から命じられた軍艦の設計もこの場所で行ったとも言われています。

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天赦園の利用案内

住所:宇和島市天赦公園

電話:0895-22-0056

営業時間:4月~6月 8時30分~17時、7月~3月 8時30分~16時30分

休園日:12月第2月曜日~2月末期間の月曜日、年末年始

入場料金:大人300円/中学生100円/小学生50円

 高野長英、二宮啓作と楠本イネゆかりの宇和町卯之町

宇和町卯之町は現在は西予市の観光スポットとして分類されていますが、かつては宇和島藩の在郷町として栄えた場所でした。距離も車で20分ほどの場所にあり、宇和島観光とセットで訪れたい名所といえるでしょう。そんな宇和町卯之町は、先にご紹介した宇和島藩ゆかりの人物である3名の人物に関連するスポットが見ることができます。

いずれも日本の蘭学と医学に大きな影響を与えたとされるシーボルトゆかりの人物です。高野長英と二宮啓作はシーボルトが長崎に開いた鳴滝塾の生徒であり、楠本イネはシーボルトの娘として、日本で初めての女医、産科医として知られる人物です。

この3名の人物が住んでいた場所が宇和島藩の在郷町であった宇和町卯之町であり、その街並みは今でもかつての状態の雰囲気を残しています。ちなみに高野長英は幕府を批判した際に、この宇和町卯之町にある二宮啓作の離れ屋敷に隠れて居候していた時期があり、高野長英の隠れ家も見ることができます。

この宇和町卯之町はそれ以外にも教育に力を入れていた宇和島藩らしく、寺子屋から発展し明治時代の小学校である開明学校など見所スポットが存在します。じっくり歩いて回っても小一時間ほどで街並みと観光スポットを見ることができるのでお勧めです。

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高野長英の隠れ家

高野長英は江戸幕府の異国船打払令を批判して開国を説いて回ったため、幕府から追われえていた際に友人である二宮啓作にかくまわれていました。ちなみに、高野長英が幕府の鎖国政策を批判し開国を説いて回った時期は、幕末の時期よりも20年近く前で、その先見性がうかがえます。

最終的には幕士に囲まれたところを自害してしまいますが、高野長英が残した影響は大きいといえるでしょう。そんな高野長英の隠れ家は、立て札のみが残されていますが、周辺の街並みに溶け込んで独得の雰囲気を出しています。

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宇和先哲記念館

二宮啓作と楠本イネが住んでいた屋敷は今は残されていませんが、資料などは宇和先哲記念館で見ることができます。宇和先哲記念館は宇和町卯之町出身の功績を残した人物たちの資料がわかる記念館で、ぜひ一見の価値ありの場所です。

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宇和先哲記念館の利用案内

住所:西予市宇和町卯之町4-327

電話番号:0894-62-6700

営業時間:9:00~17:00(入館16:30まで)

定休日:月曜日(祝日の場合は翌日)/年末年始(12/29~1/3)

駐車場:あり/無料 約15台

料金:無料

 まとめ

宇和島藩は現在の宇和島市だけではなく西予市にまでまたがる領地でしたが、そこには今でも幕末の宇和島藩を支え、日本の近代化に貢献した人物たちゆかりの観光スポットが残されているのです。

ぜひ南予観光の一つの切り口として幕末ゆかりの人物のスポットを訪れてみてはいかがでしょうか。