海野宿。全長650メートル江戸時代の旅籠や本陣が残る宿場町

海野宿。日本の道100選にも選ばれた宿場町

日本の街道は、江戸時代に整備された5街道を中心に発展を遂げてきました。江戸幕府が整備した五街道には各宿場町が置かれ、参勤交代の途中の大名行列から旅人まで多くの人が宿場町で泊まり休憩しました。今回ご紹介する海野宿もそんな北国街道の宿場町の一つです。

北国街道とは長野県の最大の名所である善光寺に参拝するために設けられた街道で、中山道から追分で分かれて続く街道です。また善光寺詣でだけではなく、金山が有名な佐渡から江戸へ金を運ぶためにも用いられました。海野宿はそんな多くの人立ちが行き来する要所に設けられた宿場町なのです。

この宿場町には約100棟ほどの建物が残されており、町並みそのものが重要文化財である伝統的建造物群保存地区に指定されています。また、海野宿は、日本の戦国武将として有名な真田氏発祥の地としても知られる名所です。今回は全長650メートルにも及ぶ宿場町、海野宿をご紹介します。

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海野宿。真田氏発祥の地

日本を代表する戦国武将として人気を誇るのが真田氏です。大河ドラマにも取り上げられる有名な存在で、大坂の陣で戦った真田幸村、徳川家康の大軍を2度も退けた真田昌幸、武田信玄の謀将として、信玄も及ばないと評した真田幸隆など、その知略の一族は、多くの戦国ファンを生み出しました。

その真田氏は、もともと海野氏といい、この海野宿を城下町としておさめていました。真田幸隆は海野氏の豪族、海野棟綱の子といわれており、この海野宿を出身に持っているのです。海野氏はこのあたり一帯を支配していましたが、海野平の合戦で村上氏と戦い所領を失いました。

その後、真田幸隆は武田信玄を頼り、武田家の信濃先鋒州として戦い所領を回復しました。その後真田氏は、幸隆の子の昌幸の代で上田城を支配し、関ヶ原の戦いでは徳川秀忠率いる3万以上の大軍をわずか数千で撃退したと言われています。その後、真田氏は昌幸の息子の信幸が信州松代藩として幕末まで真田氏は続きます。

一方、信幸の弟、幸村は大坂夏の陣で徳川家康を追い詰めるほどの活躍をしました。こうした真田家発祥の地として、海野宿は知られるのです。

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海野宿観光の入口、白鳥神社

海野宿の見所

海野宿は全長650メートルの街道と100軒ほどの昔ながらの建築物が立ち並ぶ町並みが最大の見所です。江戸時代の宿場町そのままの姿が味わえる重要伝統的建造物群保存地区として楽しめます。ここでは海野宿のさまざまな見所についてご紹介しましょう。

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宿場町としての街道が保存されています

日本の道100選に選ばれた江戸の宿場町としての風景

海野宿の最大の見所が、江戸時代の宿場町としてのたたずまいです。宿場町とは、街道に設けられた旅人たちが泊まれる町で、当時の旅人が宿泊する旅館である旅籠や、商品などが販売される問屋などが立ち並びます。

また、宿場町は通常の旅人以外に、参勤交代で大名行列が宿泊する場所でもあり、大名が泊まる本陣や、その家臣たちが宿泊する脇本陣など残ります。こうした姿は、まるで江戸時代さながらの富貴絵で、町全体が重要伝統的建造物群保存地区ということもうなずけます。

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静寂な宿場町として知られます

特に、この宿場町がある北国街道は善光寺に参拝する人のためにつくられたため、海野宿は多くの人でにぎわったことでしょう。善光寺は一生に一度は参りたいと言われた江戸時代の一大観光スポットで、善光寺の門の内部では、江戸時代の日本全国から訪れた人々の落書きが描かれています。」

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飲食店やお土産など、いくつかのお店もやっています

こうした宿場町の中心であった旅籠や、問屋、茶店などのお店は、現在も営業しているところもあり、旅や散策の疲れをいやすのに最適といえるでしょう。

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かつての旅籠がそのままに

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宿場町の本陣跡

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旅籠づくりのままお店も堪能できます

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江戸そのものですね

海野宿歴史民俗資料館。宿場町の旅籠や養殖業がわかる

海野宿のもう一つの見所が海野宿歴史民俗資料館です。海野宿は宿場町として殷賑を誇っただけではなく、明治時代には養蚕業で栄えた町なのです。江戸時代には宿場町で町の産業がにぎわっていましたが明治時代には宿場町としての機能が失われたため、それに代わる産業として、蚕作りが始まったといいます。

そんな養殖業など海野宿の歴史的な資料を残した建物が海野宿歴史民俗資料館です。ここは資料館という名前がついていますが、建物そのものが昔の海野宿の建物を残しており、さまざまな見所が登場します。

海野宿資料館

江戸時代の旅籠屋づくりが残る

この海野宿歴史民俗資料館は、1790年、江戸時代に建てられた旅籠がベースになっていると言われています。旅籠は、先にご紹介しましたが、江戸時代の宿場町に設けられた宿で、いわゆる宿泊施設のようなものです。旅籠は旅籠屋造りという建築様式によって作られており、内部は囲炉裏が、窓は格子戸の造りが特長的です。海野宿では、泉屋や福島屋といった旅籠の看板まで残っていますが、この海野宿歴史民俗資料館では内部まで見学することができます。

海野宿資料館

養殖業の現場が残る

この海野宿歴史民俗資料館では、旅籠の建物だけではなく、明治後、海野宿の主力になった養殖業の現場が残されています。この建物は以外に広く、奥の建物を抜けて中庭にでると旅籠の建物の大屋根につけられていた小屋根が展示されています。この小屋根とは、蚕の保管をする際に温度を一定に保つため、室内で火を焚く際の煙だしの換気口として設けられたものなのです。

木曽義仲挙兵の地。白鳥神社

海野宿は、戦国時代の武将として有名な真田家発祥の地ということをご紹介しましたが、もうひとつ、有名な武将のゆかりの地でもあるのです。それが木曽義仲です。木曽義仲は、打倒平家のために立ち上がり倶利伽羅峠の戦いで10万とも言われる平家の大軍を打ち破り、いち早く京都を制圧した人物です。その後、後白河法皇と敵対し、源氏の棟梁である源頼朝が派遣した軍勢によって打ち破られます。

木曽義仲の天下はわずかな期間でしたが、その挙兵の地となったのがこの海野宿の白鳥神社です。木曽義仲は、ここで二千騎とも三千騎ともいえる軍勢を集結させ、信州から挙兵していったのです。そんなゆかりの場所もみることができます。

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木曽義仲挙兵の地でもあります

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巨木がのこります

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歴史が満載です

海野宿へのアクセス

海野宿は長野県東御市にあります。車で行くことをおすすめします。車でのアクセスの場合は上信越自動車道東部湯の丸I.Cから約10分ほどの場所にあります。東御市はちょうど上田市と小諸市の中間に位置しているため、上田や小諸の観光とセットで訪れるのがいいでしょう。カンデオホテルズ茅野からは車で約1時間20分ほどでいくことができます。

海野宿はこちらです

 

海野宿とセットで回りたい周辺観光スポット

海野宿は全長650メートルの宿場町として、数多くの見所スポットが登場しますが、歩いて行ける距離には周辺の観光スポットはありません。また小諸市と上田市の中間地点にあることから、この二つのエリアの観光とセットで訪れることをおススメします。ここでは二つのエリアの観光の特長いついてご紹介しましょう。

小諸市の観光の見所とは。懐古園がおすすめ

海野宿の隣にある小諸市には、最大の名所である小諸城懐古園があります。小諸城懐古園はかつて穴城といわれた小諸城を利用した公園兼動物園です。小諸城は、仙石氏が築城したお城で、非常に珍しい構造をしていることで有名です。一般的にお城というと、山城や平山城などのように上に攻め上る構造が一般的ですが、小諸城の面白い点は逆である点です。

まるで下に攻めていくような構造のお城です、城門が周囲の土地よりも低く造られており、穴に入るようなことから通称、穴城といわれました。また、小諸城の面白い点は、城門をくぐって内部に入ると、城の回りは断崖絶壁になっており、城門以外の外部からは攻めあがることが出来ない構造になっているのです。

これは浅間山の自然な隆起を利用して築城されており、その珍しい姿は一見の価値ありです。また現在は懐古園として整備されており、城というよりも散策が楽しめる公園として、美術館などが設けられています。この懐古園は大きく二つに分けられており、公園である懐古園と、動物園とに分けられます。

懐古園

上田市の観光の見所とは。上田城や真田氏ゆかりの観光

海野宿が真田氏発祥の地であると同時に、上田市も真田氏ゆかりの観光スポットとして知られています。中でも上田城は、真田氏のなかでも智将として知られる真田昌幸が築城したお城です。真田昌幸はもともと武藤喜兵衛といい、真田幸隆の三男でしたが、長男である信綱、次男である昌輝が長篠の合戦で討ち死にしたことから、真田家の家督を継ぎました。その後昌幸は武田家の滅亡後も巧みに立ち回り、上田を居城に戦国時代を生き残ります。

真田昌幸の名前を一躍知らしめたのは、天正13年におこなわれた第一次上田合戦です。当時、武田家の旧領であった信濃は、徳川家康の勢力が伸びてきていました。徳川家に臣従しない真田昌幸は、7000もの大軍をわずか1200の軍勢で打ち破ったとされています。

その舞台となった場所が上田城で、真田昌幸は上田城の天然の要害を最大限活かし、撃退しました。その後第二次上田合戦では、関ヶ原の戦いで中山道経由で関ケ原に向かう徳川秀忠の軍勢38000を、わずか3000の軍勢で足止めしたのです。これにより徳川秀忠は関ケ原の戦いに間に合いませんでした。上田城はそんな真田昌幸ゆかりのお城として、名残をみることができます。

上田城

まとめ

海野宿は、江戸時代の宿場町がそのまま残る貴重な観光スポットです。全長650メートルの区間では、旅籠や茶店、本陣、脇本陣など昔ながらの建物が100軒ほど登場します。また海野宿は真田氏発祥の地としても知られ、真田氏ゆかりの上田市の観光スポットや、隣の市である小諸市の観光スポットと共に回るとより充実したものになることでしょう。

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