上田城と真田氏ゆかりの地

上田城とは。真田昌幸が築いた名城

日本各地には戦国時代から江戸時代にかけての城が多数残されています。当時の城はその城を築城した武将の個性や才能などが多く反映されており、全体の構造や造りなど遺構などからも見ることができます。本日ご紹介する上田城もそんな武将の個性が反映された城の一つです。

上田城は、戦国時代きっての戦上手と言われる真田昌幸が築いた城として有名です。ちなみにこの上田城は、2007年にBSで放送されたお城ファンが選んだ好きな城ベスト10では、大坂城と姫路城を抜き去り堂々第1位に輝きました。

そんな上田城の人気の秘密は、二度も徳川家の大軍を破った真田昌幸と、大坂の陣で戦った真田幸村親子の存在が大きく影響しているともいえます。

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徳川の大軍を2度破った上田城と上田合戦

真田昌幸は、父真田幸隆の時代から武田信玄に仕えてきた武将で、兄二人が長篠の戦いで討ち死にすると、真田家の家督をつぎました。武田家が滅亡する際には、機敏に情勢を見て生き残り、本領を安堵されます。真田昌幸と上田城が一躍有名になったのが、徳川家康との闘いです。

本能寺の変ののち、織田家の内紛に乗じて、徳川家康はかつての武田家の旧領である甲斐と信濃の征服を行います。そのさい、真田家の領地の制圧を狙った徳川家との間で戦いがおこり、真田昌幸は上田城を根城に、わずか2000の兵で7000の徳川軍に大将を納めました。

これが第一次上田合戦といわれる戦いですが、これにより真田昌幸は自らの領地を守り抜き、豊臣政権に本領安堵をされることとなります。

そして、更に昌幸と上田城の名を世に知らしめた戦いが第二次上田合戦と呼ばれる戦いです。第二次上田合戦は、天下分け目の戦いとされる関ヶ原の戦いのときにおこりました。関ヶ原の戦いは東軍の徳川家康と西軍の石田三成が戦った日本最大の合戦ですが、関ケ原へ向かう徳川軍は二手に分かれていました。

当時、徳川家康は上杉家の討伐に東北地方に向かっており、そこから岐阜県の関ケ原まで行くために、東海道と中山道の二つのルートに軍を分けたのです。第二次上田合戦は、中山道に向かう徳川秀忠が率いる軍と、真田昌幸、真田幸村親子との間で行った戦いで、このときは第一次上田合戦を上回る規模の戦いとなりました。

真田昌幸はわずか3000人の兵力で、10倍以上の38000人を誇る徳川秀忠を足止めし、結果として関ヶ原の戦いに間に合わないという事態に陥れたのです。上田城はまさに真田家の栄光を象徴する場所として、今も人気なのです。

 

上田城の見所とは

これまでご紹介してきたように、上田城は真田氏の栄光を象徴する場所ですが、現在の上田城は、仙石氏が改修、整備されたものとされています。実は、真田昌幸は第二次上田合戦で徳川家に勝利したとはいえ、結果として関ヶ原の戦いで西軍が負けてしまったため、領地を没収され、上田城は徹底的にこぼたれてしまったのです。

そのため現在の姿は、真田氏の後に上田藩主になった仙石氏が改修したものとされています。しかし、当時真田昌幸が上田合戦の際に利用した、天然の要害である尼ヶ淵など難攻不落の面影を残しています。

また、現在は公園や博物館が設けられた市民憩いの公園として多くの人に親しまれており、憩いの散策スポットや真田氏の歴史がわかる歴史観光スポットとしても人気です。それでは上田城の見所をご紹介しましょう。

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鉄砲狭間ものこります

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石落としも

尼ヶ淵。天然の断崖を利用した難攻不落の構造

現在の上田城は、二の丸が上田城公園として整備され、城跡を散策できるだけではなく、博物館や市営球場、中学校などが併設され一大観光スポットになっています。まずその城郭としてのみどころは幾つかありますが、最大のみどころは、地形を上手く利用した城の構造でしょう。

その最大の部分が、城の南側の断崖絶壁で、こちらはかつては尼ヶ淵といわれる天然の堀となっていました。現在は駐車場がある広場になっていますが、大規模な石垣が残されており、ここから攻めあがることの不可能さを感じさせてくれます。この場所は上田城の構造を最も特長づけている場所として知られ、上田城は別名“尼ケ淵城”ともいわれていたとか。

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駐車場から眺める城壁。天然の要害とされた尼ケ淵

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尼ケ淵の崖跡

3つの櫓と櫓門。南櫓、北櫓、西櫓、東虎口櫓門

上田城の見所スポットとして、その難攻不落ぶりを現すのが現存する3棟の櫓と櫓門です。上田城は仙石氏によって再建されましたが、そのさいに櫓と櫓門も設けられました。この4つの建物は現代に入って修復、移築などがされましたが、長野県の県宝とされており、その雄大な姿を目の当たりに擦ることができます。

特に上田城南櫓・北櫓・櫓門は観覧料を払えば内部にも入ることが可能で、櫓から城壁の外を見ることができます。

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櫓が残され、急勾配な坂道になっています

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櫓が雄大にそびえ立ちます

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櫓内部は展示館に

真田石。城壁に残る巨石

上田城の見所として、もう一つあげられるのが、東虎口櫓門右手の石垣にある巨石、真田石です。こちらの石は高さ2.5メートル、幅3メートルもの巨大なもので、真田昌幸の長男で、真田藩の藩祖となった真田信幸ゆかりの石とされています。

真田氏は関ケ原の戦いののち、東軍についた長男信幸が真田氏として上田城に入りましたが、その後、信州松代藩に国替えになります。そのさい、この巨石を父昌幸の形見として持っていこうとしたところ、全く動かなかったという言い伝えが残されています。こちらも上田城の見所の一つです。

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石垣には創建当時の真田石が積まれています

真田神社。知恵の神様

上田城には真田神社といわれる知恵の神様が祭られています。この真田神社の神様は、歴代上田城主である真田氏、仙石氏、松平氏の歴代城主たちを神様として祀る神社ですが、戦上手で知恵に長けていた真田昌幸、真田幸村の活躍から知恵の神様として祀られています。

この上田城を築城した真田昌幸も2度徳川家の大軍を撃退し、その息子の幸村も大阪の陣で真田丸を作って大軍を退け、最後は徳川本陣に突撃し、家康を追い詰めた勇将として歴史に名を残しています。そんな真田親子の知勇にちなんで真田神社は知恵の神様として祀られ、多くの人々が参拝に訪れます。

真田神社は上田城の大手門をくぐってすぐ目の前にありますので、城の散策とともに参拝されることをオススメします。

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正面の大手門ものこります

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知恵の神様真田神社が城内にあります

上田市立博物館

上田城は上田城公園として散策なども楽しめますが、一緒に見れるスポットとして上田市立博物館があります。

上田市立博物館は、上田城に関する歴史をはじめ、上田のこれまでの歴史に関する展示が多数されています。この地の主要産業であった養蚕の資料から、古文書まで上田ならではの歴史が知れる博物館です。

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博物館も見れます

上田城へのアクセス

上田城へのアクセスは、車でも電車でも可能です。電車では上田駅から徒歩10分ほどでいくことができます。また、上田城は駐車場がかなり大きいため車でも最適な観光スポットです。

ちなみにカンデオホテルズ茅野からは、車で約一時間30分ほどの場所になり、周辺の上田の観光スポットと一緒に見るのがお勧めです。

上田城の利用案内

所在地:長野県上田市二の丸6263番地イ

入場料:無料

上田城跡駐車場:88台、無料

上田城南櫓・北櫓・櫓門 観覧料:一般300円、高校生以上200円、小・中学校100円

市立博物館常設展観覧料:一般300円、高校生以上200円、小・中学校100円

共通観覧料:一般500円、高校生以上300円、小・中学校150円

営業時間:8時30分~17時(入館は16時30分まで)

休館日:水曜日・年末年始・祝祭日の翌日

 

上田城とセットで見たい観光スポット

上田には上田城とセットで見たい観光スポットが多数残されています。特にこの地は真田氏ゆかりの観光スポットが数多く残されており、上田城とのつながりも感じられることでしょう。

 

池波正太郎真田太平記館

上田市には上田城とセットで見たい観光スポットがいくつか存在しますが、その中でも池波正太郎太平記館は上田城からも近く、一緒に訪れておきたい場所です。池波正太郎は日本を代表する小説家の一人ですが、多くの時代小説を手がけました。

中でも真田氏の歴史を記した「真田太平記」は大長編の小説として有名です。池波正太郎真田太平記館は、真田太平記の世界と池波正太郎に関する展示が楽しめる博物館です。

大きく二つのコーナーに分かれており、第一が池波正太郎コーナー、第二が真田太平記コーナーとなっています。池波正太郎コーナーでは、遺留品や書簡、更に代表作品などが紹介されています。一方真田太平記コーナーでは、真田太平記の世界を模型や年表などで知ることができます。

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海野宿。真田氏発祥の地

真田氏はもともと海野氏という氏族から発祥したと言われており、その発祥地が海野宿といわれる場所です。現在残されている海野宿は北国街道の宿場町として残されており、江戸時代の街並みや雰囲気がそのまま残されています。

もともと真田氏は真田昌幸の父親である真田幸隆が海野氏の出であり、真田氏発祥の地としても楽しめます。こちらは全長650メートルの通りの左右に、本陣、脇本陣、問屋、旅籠といった建物が残されており、養蚕業に関する伝統的な建物も数多く残されており、ぜひ一度訪れておきたい場所といえるでしょう。

 

まとめ

真田昌幸は複雑に入り組んだ山岳地帯である信州出身の武将らしく、複雑で巧緻な戦術を得意としてきた武将です。徳川家との二度の合戦においても、寡兵で大軍を打ち破るには、余すところなく、この上田城の構造と地形を活かしきったことが伺えます。

現存する上田城が仙石氏が再建したものとはいえ、切り立った城壁や構造などから当時の雰囲気を感じることができます。また、ここ上田城公園には市立博物館も設けられており、上田市に因む歴史的な遺物を見学できます。市立博物館の入場料は、上田城の櫓の観覧チケットで入ることができますので、城の櫓を見学したあとは、上田市立博物館を訪れてみてはいかがでしょうか。

上田城を築城した名将、真田昌幸の具足や肖像画、真田幸隆の肖像画など真田家に因むものが多数保存されています。また、上田城や真田氏と関わりが深い場所を訪れることでより一層旅が充実したものになることでしょう