鞆城跡。瀬戸内海の絶景が見れる

鞆城とは。鞆の浦の歴史・絶景スポット

広島県福山市の一大景勝地である鞆の浦。仙酔島をはじめ、美しい瀬戸内海の風景が楽しめる町で、町のいたるところに絶景ポイントが登場します。

かつての朝鮮通信使も、鞆の浦からの風景(福禅寺対潮楼からの)を朝鮮半島より東で最も美しいと評したほどの町です。そんな鞆の浦の絶景スポットの一つとして知られる観光スポットが鞆城趾です。

鞆城は、現在は鞆の浦歴史民俗資料館になっていますが、古くは南北朝時代から戦国時代、更には江戸時代にかけて、ここ鞆の浦の中心的なお城として存在したのです。

また、鞆の浦は、瀬戸内海の交易の中心地として栄えたことから、ここは軍事上の要衝として、過去の歴史において、重要人物が滞在する場所でもあったのです。今回は鞆の浦の歴史・絶景スポット、鞆城趾をご紹介します。

鞆の浦 鞆城跡 鞆の浦歴史民俗資料館 景観スポット

多くの歴史の舞台となった鞆城

現在の鞆城は、標高24メートルの小高い山の上にあり、周辺は石垣なども整備された広場になっています。お城としては、そこまで大きくなく、整備された道を上るとすぐ広場に上ることができます。

そこからの眺めは、鞆の浦や瀬戸内海の島々が一望できる眺めが楽しめます。こうした点からも鞆城がかつてのこの地域を支配する一大重要拠点だったことがしのばれます。もともと鞆の浦の一大拠点は、現在の円福寺である大可島城でした。

大可島城は、海際に設けられていますが、内陸部に城が築かれることが検討されたのが、戦国時代です。現在の広島県は備後の国とされていましたが、この場所は中国地方の覇者毛利家の支配下におかれており、毛利元就の家臣であった渡辺氏が、元就の命を受けて要害を築いたのが鞆城の始まりだったと言われています。

その後、戦国時代後期になり、足利幕府の最後の将軍であった足利義昭が織田信長に追放されて毛利家を頼った際、滞在していたのが鞆の浦です。

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もともと鞆の浦は、多々良浜の戦いに勝利した足利尊氏が京に上る途中に滞在しており、この地で京の光厳天皇より新田義貞追討の院宣を受領して、新田義貞を滅ぼすきっかけともなったことから、足利氏にとって縁起が良いとされていたという説もあります。

足利義昭が滞在する際に、築城されたのが鞆城です。足利義昭は、ここで毛利家の庇護のもと鞆幕府を開きますが、名実ともに室町幕府は形が無きものとして、滅びます。それまでは大可島城を拠点に村上水軍の一族である村上亮康が鞆の浦を支配していましたが、足利義昭が鞆城に滞在するにおよび、鞆城が鞆の浦の中心になりました。

鞆城はその後、安芸、備後が福島正則の領地になると共に、大幅に拡張する計画がたてられ築城がすすめられます。当時はまだ戦国時代の気風がつづいていることや、築城技術も大きく進歩していたことから、完成すれば、どれほど巨大な城になったかはわかりません。

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反対側は城の石垣が見れます。

 

現在の鞆の浦歴史民俗資料館のあたりを本丸として、その周囲を二ノ丸、三の丸で囲んだ巨大なもので、築城は9年間にも及んでいたといわれていましたから、相当巨大な城、鞆の浦がすッぽり入る巨城になったかもしれません。

そんな鞆城ですが、大阪冬の陣が終わった1615年、一国一城令によって、一つの国には一つのお城しか建てられることができなくなり、廃城となってしまったのです。その後、備後福山藩主として、徳川家の譜代、水野勝成が赴任してくるにおよび、鞆城は廃城となりました。

現在は石垣が残されているばかりですが、ちょうど鞆の浦の町の中心にあり、そこだけが高台となっていることから、鞆の浦の町と瀬戸内海の風景を一望のもとに見渡すことができます。

鞆城趾&鞆の浦歴史民俗資料館へのアクセスと利用案内

鞆城跡&歴史民俗資料館は鞆の浦の小高い丘の上にあります。鞆の浦一の景観スポットである福禅寺対潮楼からは徒歩5分ほど、見所スポットの一つである常夜灯などがある広場からも3分ほどでいくことができます。このように鞆の浦のメインスポットからもアクセスがいいため、散策の一貫として訪れてみてはいかがでしょうか。ちなみにカンデオホテルズ福山から鞆の浦までは車で約20分ほど。平成いろは丸乗船場近くの駐車場からも数分で鞆城跡&鞆の浦歴史民俗資料館までいくことができます。

鞆城跡&鞆の浦歴史民俗資料館はこちらです

鞆城趾の利用案内

所在地:〒720-0202 広島県福山市鞆町後地536-1

電話番号:084-982-1121

営業時間:通年 9:00~17:00

定休日:毎週月曜

鞆城趾の見所とは

鞆城趾は、現在はお城としての姿は、わずかに残る石垣と、小高い山の上にあるというところから、感じることができます。実際に鞆の浦歴史民俗資料館がある部分まで登ってみると、その景色の良さから、ここが鞆の浦の居城として最適だったことがわかります。

瀬戸内海と鞆の浦の街が一望できる

鞆城跡&鞆の浦歴史民俗資料館の一番の見所は一望のもとに見渡せるその景色です。鞆の浦の景色は、朝鮮通信使が評した、朝鮮半島から東で最も美しいとされる福禅寺対潮楼の風景が有名ですが、ここ鞆城跡からは瀬戸内海だけではなく街全体も含めた鞆の浦の主要部を見渡すことができます。

古くから海上交易の中心地として、また漁港として栄えた海の都市が、ここ鞆城跡からは眼下に広がります。福島正則は居城である広島城も巨大な城郭として整備しましたが、ここ鞆城も、城下と瀬戸内海の両方を見通せる天然の要害として、もし城が築かれていたら、巨大な城になっていたことを伺わせてくれます。

ちなみに、鞆の浦は、足利義昭がくるまでは、大可島城がこの地の中心でしたが、ここ鞆城からも大可島城がみることができます。大可島城跡とともに、この鞆城跡も隠れた鞆の浦の景観スポットとだと言えるでしょう。

この鞆城跡&鞆の浦歴史民俗資料館は、かつての城跡らしく巨大な石で組み上げた石垣がそのまま利用されて使われています。この鞆の浦歴史民俗資料館では、朝鮮通信使の資料や、安国寺の資料、保命酒店の模型など、ここ鞆の浦の地の歴史と文化に関連する展示が数多くされています。

鞆の浦の中でも小高い山の上にある。

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山上は広場にもなっており、瀬戸内海の美しい景色が見渡せます。

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もう一つの村上水軍の根拠地でもあった現在の円福寺、大可島城跡も見えます。

力石も見れるスポット

鞆の浦の見所の一つに力石がありますが、ここ鞆城趾でも力石を見ることができます。力石とは、港町に見られるかつての遺産で、力比べに使われた巨大な石のことです。

江戸時代など港で働く海の男たちが、自らの力自慢を競うために用いられた巨大な石のことで、鞆の浦も漁港や貿易港であったことから、この力石がいろいろなところに残されています。

いわば鍛錬と娯楽に使用された石のことで、戦国時代である16世紀には記録に登場するとされています。石には文字などが刻まれていることが多く、なんと20世紀まで娯楽として、各地で大会などが行われていたそうです。

20世紀後半からは、娯楽や鍛錬などとしてもすたれてしまい、ほとんどの石が行方不明になったとされます。そんな日本の大衆娯楽の歴史を表す、力石は有形文化財として鞆の浦で多く見ることができます。ここ鞆城趾でも展示されてあります。

鞆城趾と合わせて見たい周辺観光スポット

鞆の浦には、鞆城趾の近くにさまざまな見所スポットが登場します。ここでは鞆城趾から歩いて回れる、おススメの周辺観光スポットをご紹介しましょう。

鞆城趾から歩いてすぐ、太田家住宅と江戸情緒あふれる常夜灯

鞆城趾から歩いて数分の場所に登場するのが、鞆の浦観光の中でも最大の見所スポットである、太田家住宅と常夜灯、雁木などが残る、江戸情緒あふれるエリアです。

鞆の浦は貿易港として、江戸時代まで栄えましたが、ここでは港町ならではの美しい町並みと、町に残る貴重な文化財を目の当たりにすることができます。まず、最大の見所となるのが太田家住宅です。鞆の浦は、もともと備後福山藩の特産品である保命酒の産地でしたが、太田家住宅はその最大の造り酒屋です。

太田家

保命酒は当時、江戸の将軍家まで愛飲してもらった鞆の浦ならではのお酒で、その中心的存在が太田家住宅です。ここでは、江戸時代の貴重な造り酒屋と豪商の屋敷が一体となった姿を目の当たりにすることができます。

国の重要文化財にも登録されているこの建物は、現代では中々目にすることができない、商人の屋敷をみることができます。江戸時代の商家は、商人の家族や奉公人などが暮らす住宅の部分と、商いや商談を行うビジネスの部分が一体となっているのが特長として楽しめます。

また、江戸時代の豪商は建物のつくりにも贅を凝らしており、日本の木材建築のこだわりが随所で見ることができるのです。太田家住宅はその中でも最大の見所スポットです。

この太田家住宅のエリアから少し先に進むと登場するのが常夜灯と雁木です。常夜灯とは今でいう灯台のことで、電気がない時代の航海の道しるべや安全に保つためには欠かすことが出来ない存在でした。明かりが少ない時代、夜の航海は危険を伴います。

そんな時に港の位置をしらせる役割を果たしており、鞆の浦の常夜灯は江戸時代末期に作られたものとして貴重な姿が楽しめます。また、雁木は、潮の満ち引きにあわせた船着き板のことで、荷物を手で運んでおろさなければならない時代には必需品と言える設備でした。

常夜燈

そうした江戸時代の風情を残す風景や文化財を鞆の浦では目の当たりにできるのです。そのほか、鞆の浦には、鞆城の前の居城であった大可島城の円福寺や、弁天島などの眺めが楽しめる福禅寺対潮楼などが登場します。

まとめ

鞆の浦は江戸時代やそれ以前に建てられた建造物が現代まで残る数少ない街と同時に瀬戸内海を望む景勝地としてしられた街です。また、瀬戸内海に面したかつての海上交通の要衝として、鞆城や大可島城などが作られ発展を遂げた街でした。今回ご紹介した鞆城などもこの鞆の浦一体を統治するという機能上、眺めがいい場所に建てられ、美しい景色をみることができます。その他の鞆の浦の観光スポットとも距離が近いため、一景観スポットとして訪れてみてはいかがでしょうか。