宇和町卯之町の蘭学スポット。高野長英の隠れ家

高名な蘭学者高野長英の隠れ家とは

昔ながらの街並みが残る宇和町宇野町。かつて江戸時代には宇和島藩の街として発展し、その町並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。そんな卯之町には、江戸時代、わずか10万石ながら先進的な藩として知られていた宇和島藩に関する歴史的なスポットが数多く残る場所でもあるのです。

本日ご紹介する高野長英の隠れ家も、当時蘭学といわれた西洋学問の取り入れに熱心であった宇和島藩の名残とも言えるでしょう。高野長英は日本史では高名な人物で、江戸時代に数多くのオランダ書の翻訳文献を残しました。また日本に来日したシーボルトの弟子としても知られ、シーボルトが長崎で開設した私塾、鳴滝塾の塾頭を務めたほどの人物です。

そんな高野長英ですが海外の事情に詳しいとともに、幕府の鎖国政策を批判し危険人物として追われていた人物なのです。幕府の追ってから隠れるために各地に隠れすみ、最後は東京港区の南青山に潜伏していたところを捉えられ自害したとされています。その高野長英は一時期宇和島藩に庇護されており、その際に隠れ住んでいた場所が宇和町卯之町に現存しているのです。宇和町卯之町の昔ながらの町並みにひっそりと残された高野長英の隠れ家をご紹介します。

宇和町卯之町 観光スポット 高野長英隠れ家

江戸時代の高名な蘭学者高野長英ゆかりの地です

高野長英の隠れ家へのアクセスと周辺の観光スポット

高野長英の隠れ家は宇和町卯之町の最大のスポットである重要伝統的建造物群保存地区のとおりの一本南側のとおりにあります。すぐ近くには高野長英とともにシーボルトに師事し、この街で高野長英を匿ったとされる二宮敬作の住居跡もあります。また宇和先哲記念館のすぐ近くでもあり、車でアクセスする場合は宇和先哲記念館の駐車場に車をとめて歩いて2分ほどの場所にあります。また電車でアクセスする場合には予讃線卯之町駅から徒歩で11分ほどです。

カンデオホテルズ松山大街道からは車で約1時間ほどでアクセス可能です。周辺にはすぐ上のとおりが重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、昔ながらの町並みや明治時代、大正時代の建築物が広がります。とりわけメインスポットされるのが、かつての学校であった開明学校で、高野長英の隠れ家から徒歩3分ほどで行くことが可能です。

高野長英の隠れ家へのアクセス

県指定文化財にも。宇和島藩の近代化を助けた高野長英

高野長英の隠れ家は県指定文化財にも登録されているスポットです。当時の住居は残されていませんが、その敷地は驚く程狭く、当時の江戸時代における町住まいの一旦が伺えるスポットと言えるでしょう。高野長英を匿ったのは幕末の四賢候として活躍した時の藩主伊達宗城で、蘭学者として高名であった高野長英に、宇和島藩の近代化を促進するため欄書の翻訳などを依頼したとされています。

その際には、宇和町卯之町ではなく宇和島城下にある家老桜田佐渡の屋敷内に匿われましたが幕府の追ってが宇和島の街にも迫っていたことから、この宇和町卯之町の隠れ家に移り住んだ経緯があるのです。当時この宇和町卯之町で高野長英を匿ったのがシーボルト門下で同門であった二宮敬作で、ちょうど二宮敬作の自宅の離れであった現在の場所に隠れ住んでいました。

実際にこの隠れ家に高野長英が滞在していた期間は非常に短く、到着してから鹿児島に行くまでのわずか3ヶ月間と戻ってきてからの10日間ほどで、その後は江戸に居を構え幕士に捕まり自害するという生涯をたどるのです。

宇和町卯之町 観光スポット 高野長英隠れ家

今もその跡地が残ります。

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シーボルト門下で同門であった二宮啓作の家の隣に匿われました。

まとめ

高野長英の隠れ家は、重要伝統的建造物群保存地区のとおりからは1本外れた場所にひっそりとその姿を残しています。ここは上記で述べたとおり高野長英の同門でもあった二宮敬作の自宅の離れでもあった場所でもあり、二宮敬作の住居跡とセットで見られることをおすすめします。江戸時代後期から幕末にかけて、300諸侯から先駆けて近代化を遂げた宇和島藩のゆかりの人物として、宇和町卯之町の懐の深さを感じさせてくれるスポットです。

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