内子に残る「日本のビール王」の生家。文化交流ヴィラ高橋邸

内子町には日本にビール文化を広めた高橋龍太郎の生家が残る

愛媛県内子町は、松山からわずか40キロの場所に位置する、昔ながらの街並みが広がる一大観光スポットです。高速道路を使えば約30分で行ける場所にあり、しかもその街並みは江戸時代から明治の名残を残す美しい姿をみることができます。この街並みは八日市護国と呼ばれる地区で、重要伝統的建造物群保存地区に選定されるほど。

南北約600メートルにも及ぶ街並みには豪商や町家などが立ち並び、まとまった伝統的な建造物をみることができる貴重なスポットです。もともと内子町の八日市護国は蝋燭の製造で栄えた街で、商人の街としてしられます。

実は日本を代表する産業を育てた人物達を何人か輩出した街でもあるのです。その中の代表的な人物が「日本のビール王」とも称される高橋龍太郎です。高橋龍太郎は大日本麦酒に入り、ビールを日本の大衆文化に成長させた人物として知られます。ちなみに大日本麦酒は現在のアサヒビールとサッポロビールの前進の会社。

もう一人の「日本のビール王」で、三井物産重役でもあった馬越恭平によって設立されました。高橋龍太郎はこの大日本麦酒に入社し社長となり、分裂後はサッポロビールの役員ともなりました。そんな高橋龍太郎の生家が今でも内子町には残り訪れることができるのです。

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高橋龍太郎の生家、文化交流ヴィラ高橋邸へのアクセスと周辺の観光スポット

高橋龍太郎の生家、文化交流ヴィラ高橋邸は、内子のメイン観光スポットでもある昔ながらの街並みが残る重要伝統的建造物群保存地区からちょっと離れた場所にあります。内子の観光は車で訪れる場合、高昌寺の前にある市営駐車場に車をとめ、歩いて回る方法がベスト。

駐車場から重要伝統的建造物群保存地区を通り、高橋龍太郎の生家を抜け、内子座の方に向かうのがオーソドックスな回り方です。高橋龍太郎の生家、文化交流ヴィラ高橋邸は高昌寺前の駐車場から徒歩で約13分程になります。一方、電車でアクセスする場合は内子駅をスタート地点にするため、文化交流ヴィラ高橋邸までは徒歩15分程になります。

カンデオホテルズ松山大街道から内子町までは高速道路を通れば車で30分ほどになります。

高橋龍太郎の生家、文化交流ヴィラ高橋邸はこちらです

ビール界だけではない。日本を代表する財界人の生家

高橋龍太郎は1875年、明治8年に内子町で生まれました。その生家がいまもその姿を残し、訪れることができるのです。高橋龍太郎の生家は現在では文化交流ヴィラ高橋邸という名前で開放されており、文化活動を行う施設としてや、ゲストハウスや宿泊施設として利用することができます。

この高橋邸は、高橋龍太郎の長男で、アサヒビールの会長も務められた高橋吉隆氏によって内子町に寄贈されたもので、かつての姿のまま目の当たりにできます。高橋龍太郎はこの内子町で育ち、夏目漱石や正岡子規、秋山真之などが通っていた松山中学に進み、その後第三高等学校、現在の京都大学工学部に進学しました。

大学卒業後は、前述の大日本麦酒の一つ現在のアサヒビールである大阪麦酒に入社し、ドイツで本場の醸造技術を習得、日本でのビール造りを築き上げた人物です。また高橋龍太郎はビール産業での活躍だけではなく、スポーツ界、政界へと進みます。

スポーツ界では球団オーナーやサッカー協会会長などを努め、政界では通産大臣までも努めたほど。日本商工会議所の会頭にも就任しました。いわば日本の大正と昭和における経済界を引っ張ってきた中心的な人物だと言えるでしょう。文化交流ヴィラ高橋邸そんな高橋龍太郎の育った家として内部までみることができるのです。

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ビール業界だけではなく日本の産業界を代表する人物です

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美しい当時のままの姿を残しています

まとめ

内子町は今回ご紹介した高橋龍太郎だけではなく、日本を代表する商社の一つ日商岩井(現在の双日)の創業者でもある高畑誠一を輩出した町でもあります。また、重要伝統的建造物群保存地区に指定される場所は蝋燭で栄えた商人の町としての内子が堪能できます。ある意味内子は日本の経済やビジネスの源流ともなる何事かがかんじられる旅を味わえることでしょう。