諏訪大社春宮と一緒に見たい、岡本太郎も絶賛した万治の石仏

諏訪大社下社春宮に関わりの深い重要文化財 万治の石仏

日本全国25,000社ある諏訪神社。その総本山とも言える諏訪大社は諏訪湖の周辺に4箇所あり、その4箇所の神社を総称して諏訪大社といいます。4箇所は上社2箇所、下社2箇所の計4箇所で、いずれも諏訪湖の周辺に位置し重要文化財として多くの人が訪れる場所。

諏訪大社の周辺には諏訪湖を始め、多くの美術館、さらには旧中山道跡の街並みなど多くの観光スポットが立ち並びますが、本日はその中でも諏訪大社に関わりの深いスポット万治の石仏をご紹介します。諏訪大社下社の春宮のすぐ横に位置し、その造営に馴染みの深い石仏です。日本を代表する芸術家岡本太郎や、小説家新田次郎が絶賛したその姿をみることができます。

諏訪大社 万治の石仏

万治の石仏へのアクセス

万治の石仏は諏訪大社下社春宮のすぐ横に位置しています。春宮の左脇へつづくとおりを抜け、川を渡ってすぐの場所に。諏訪大社下社春宮へ参拝後に訪れることをオススメします。車でアクセスする際には諏訪大社下社春宮の駐車場を利用するといいでしょう。ちなみにカンデオホテルズ茅野からは車で30分ほどでいくことができます。

万治の石仏はこちら

諏訪大社大鳥居の造営に隠れたエピソード

万治の石仏が祀られるきっかけになったのは、諏訪大社下社の春宮に石の大鳥居を建設しようとしたことがきっかけになっています。

ちょうど江戸時代の1657年この地を治める信濃高島藩第三代当主諏訪忠晴の時代。大鳥居に使用しようとしたこの地の巨大な石に、石大工がノミを入れたところ、その傷口から血が噴き出したため、石大工たちは恐れをなして大鳥居の造営を中止しました。

その後、現在の茅野市である上原山に良い石材があると夢に告げられ、大鳥居の材料として使用することができたという。その時のこの石に阿弥陀如来を刻んで祀られたのが万治三年だったことから万治の石仏だと言われています。ちなみに諏訪高島藩の藩主である諏訪氏は、古代から諏訪地方を治めてきた一族で、領主であると同時に諏訪大社の神官としても続いてきています。

諏訪大社 万治の石仏

大鳥居の造影に因む伝説

諏訪大社 万治の石仏

諏訪大社下社のすぐ横の道を通ります

3回まわって願い事する参拝方法

万治の石仏へつづく道は、のどかな道が続きます。諏訪大社春宮の左の脇道を進むと川があらわれますが、その川を渡りちょっと進めば巨大な石仏が登場します。

この石仏には参拝方法が決められており、正面で一礼して手を合わせ、「よろずおさまりますように」と心で念じ、その後石仏の周りを願い事を念じながら時計まわりに回り、最後に石仏の正面で「よろずおさめました」と唱え一礼するという方法です。当日も多くの人々が訪れ、万治の石仏の周りをぐるぐる回っておりました。

この石仏の大きさは結構巨大で、高さが2メートル60センチ、幅が3メートル80センチ、周囲の胴回りが11メートル85センチもあるとのこと。既に述べましたが、この万治の石仏は芸術家の岡本太郎氏や小説家の新田次郎氏が芸術品として大絶賛したことから、多くの観光客が訪れるスポットになっています。

諏訪大社 万治の石仏

川を渡っていきます

諏訪大社 万治の石仏

売店も出ています

諏訪大社 万治の石仏

川沿いの遊歩道を進むと

諏訪大社 万治の石仏

登場します

諏訪大社 万治の石仏

まさに石仏です

諏訪大社 万治の石仏

3回まわって参拝します

まとめ 諏訪大社といっしょに訪問したい

諏訪大社は上社、下社ともにその創建は非常に古く、神話の時代まで遡るとされています。また少なくとも鎌倉時代には上社、下社に分けられていたとされており、日本でも有数の歴史を誇る神社です。そんな諏訪大社の周辺には、諏訪大社を中心とした昔ながらのまちなみが掲載されており、旧中山道を中心にした宿場町、温泉街としても栄えた経緯があります。

多くの歴史的なスポットがあり、その社に因む神韻を感じさせるスポットもあるのですが、その中でも本日ご紹介した万治の石仏は独特の存在感をはなっています。諏訪大社春宮の大鳥居のエピソードとともに、すぐ近くに有るため諏訪大社の参拝と一緒に見られることをおすすめします。

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