崇福寺。黒田家歴代のお墓と福岡城の城門が見れる

崇福寺とは。黒田家ゆかりのお寺

福岡で有名な歴史上の人物と言えば、黒田官兵衛が最も代表的な人物の一人です。そもそも福岡という名前も、黒田家がかつて住んでいた、備前の国の福岡からとったという説もあるほどです。そんな福岡には黒田家ゆかりの観光スポットが多数と往生します。

本日ご紹介する崇福寺もそんな黒田家ゆかりのお寺のひとつです。ここは東長寺と共に、歴代黒田家藩主たちが眠るお寺でもあるのです。藩祖である黒田官兵衛をはじめ、関ケ原で活躍したその息子の黒田長政など、多くの黒田家藩主のお墓があります。

また、崇福寺の門は、かつて福岡城の城門だったものを移築したものになります。今回はさまざまなエピソードがある黒田氏ゆかりのお寺、崇福寺をご紹介します。

崇福寺の歴史

崇福寺はもともと大宰府にありましたが、黒田家が福岡藩主となり福岡城建設を行うのにともなって、現在の場所にうつされました。当時は、非常に巨大な境内を誇っており、なんと、海岸のあたりまでその寺領が広がっていたと言われています。

太平洋戦争の空襲によって焼失してしまいましたが、お寺としては非常に大きい存在でした。ちなみに、博多の町には数多くのお寺があり、そのほとんどが臨済宗のお寺です。

もともと中国との玄関口であった博多は、数多くの文物が中国から伝わり、臨済宗と一緒に、そばやうどん、お饅頭などの製粉技術も伝えられました。そんな日本の食になっているそばやうどんなどは、円爾が持ち帰ったとされていますが、崇福寺は円爾が開堂にあたって演法をおこない、寺の名前を「勅賜萬年崇福禅寺と命名しました。

崇福寺

崇福寺の見所とは

崇福寺には、冒頭でご紹介した通り、黒田家ゆかりの場所として、さまざまな見所があります。最大のものが、戦国武将として有名な黒田官兵衛のお墓です。また福岡城の城門などが見ることができます。

崇福寺

黒田官兵衛と妻光のお墓(要予約)

博多はもともと筑前の国の一部でしたが、海に面している良港であることから、古くから貿易の一大拠点として栄えました。宋との交易に熱心であった平清盛や、豊臣秀吉など、多くの武将がこの地に注目し、貿易拠点を設けたのです。その後江戸時代に入り、関ヶ原の戦いで功績のなった黒田長政が筑前福岡52万石の大封を得るに従い、この地に居城を築きます。

黒田家では、初代藩主である黒田長政の父、黒田官兵衛がなんといっても有名です。黒田官兵衛は、現在の兵庫県、播磨の国の大名小寺家につかえる豪族で、姫路を領地としていました。織田家がこの地域に進出するにしたがって、織田家の部将、羽柴秀吉に軍師として仕え活躍した人物です。

特に、摂津の荒木村重が織田信長に謀反をおこした際には、黒田官兵衛は単身、荒木村重の説得に摂津有岡城に行きますが、とらえられ1年以上にわたって牢屋に入れられていたことは有名です。また、豊臣秀吉からはその知略を恐れられ、功績の割にはあたえられていた領地も少なかったことでも有名です。

更に、黒田官兵衛は関ケ原の戦いの前夜、息子の黒田長政が関ケ原の戦いに参加している最中、自らも兵をあつめ北九州を席巻するほどの働きをしました。こうした多彩なエピソードを持つことから黒田官兵衛は戦国武将の中でも人気を集める人物として知られています。崇福寺では、この黒田官兵衛とその妻であった光と眠っています。

崇福寺

歴代藩主も眠る

また、崇福寺では、黒田官兵衛の長男で初代福岡藩主の黒田長政、その弟の黒田熊之助、4代藩主・綱政、6代藩主・継高、7代藩主・治之、9代藩主・斉隆、10代藩主・斉清の墓碑があります。

因みに2代藩主・忠之、3代藩主・光之、8代藩主・治高の墓所は少し離れた場所にある東長寺にあります。因みに、この中で黒田官兵衛についで有名なのが初代藩主である黒田長政で、関ヶ原の戦いや朝鮮の陣で活躍するなど、武勇と知略に優れた武将として知られています。

黒田官兵衛が智将であった一方で、黒田長政も知略に優れる反面、朝鮮の陣では大将自ら敵と組打ちするなど武勇に優れる猛将としても知られました。また、関ヶ原の戦いの前には、小早川秀秋や吉川広家の内応工作も行ったことで知られています。

崇福寺

福岡城本丸の城門

崇福寺の見所のひとつが入り口に建てられている福岡城本丸の城門です。福岡城は黒田長政が築城した黒田家52万石の居城で、現在の大濠公園も含むほどの巨大な城でした。この城門は県指定の有形文化財に指定されており、福岡城の本丸御門であったものが1918年に移築されました。その構造は二層造りで本瓦葺の切妻造で豪壮な姿を見せてくれます。

崇福寺

重要文化財盛りだくさん

ここ崇福寺では他にも多数の重要文化財をみることができます。唐門や仏殿など県指定の有形文化財が多数残るのがここ崇福寺の特徴です。絹本著色黒田孝高・長政像や、紙本墨画出山釈迦像、旭地蔵尊など多くの文化財が眠っています。もちろん、これ以外に境内は臨済宗らしく美しく整備され、多くの草木が植えられています。

既に梅が咲いていましたが、大変美しく、春を愛した黒田官兵衛の菩提寺にふさわしい雰囲気でいっぱいでした。境内には饅頭屋さんもあり、のんびりいただきました。

崇福寺

寺院内はまるで庭園のよう

崇福寺

こちらのお寺も禅寺です

崇福寺

まんじゅうもうまいです

崇福寺へのアクセス

崇福寺へのアクセスは徒歩だとかなりの時間がかるため電車か車でのアクセスが一番です。電車でアクセスする場合には地下鉄箱崎線の千代県庁口駅で降りるのが最もスムーズ。千代県庁口駅から崇福寺までは徒歩8分ほど。千代県庁口駅ですが、博多駅からは電車で約8分、中洲川端駅で乗り換えて二駅です。

一方、天神駅からアクセスする場合も同様に地下鉄で中洲川端駅まで行き、そこで乗り換えるという方法です。天神駅からは7分ほどで千代県庁口駅まで行くことができます。カンデオホテオルズ福岡天神カンデオホテルズ ザ・博多テラスからは天神駅から行かれることをオススメします。

崇福寺へはこちらです

崇福寺の利用案内

所在地:福岡市博多区千代四丁目7番79号

崇福寺とセットで見たいおススメ観光スポット

崇福寺は黒田官兵衛ゆかりの観光スポットですが、その周辺には同じく臨済宗のさまざまなお寺が登場します。博多のお寺巡りとしておススメな観光スポットをご紹介します。

東長寺

東長寺は崇福寺と同じく黒田家の菩提寺です。2代藩主・忠之、3代藩主・光之、8代藩主・治高の墓所があるお寺です。また東長寺は弘法大師空海が日本で最初に創建したともいわれているお寺で、真言宗です。東長寺にはいくつか見所があり五重塔や六角堂といった建物が登場します。さらには木造の福岡大仏や国の重要文化財である千手観音像もあります。

東長寺

聖福寺

日本で最初の禅寺といわれているのが聖福寺です。臨済宗と禅は鎌倉時代に栄西によって持ち込まれましたが、聖福寺は栄西によって創建されたお寺でもあるのです。

創建されたのは1195年で、室町時代には兵火でしましたが、その後多くの武将たちからの信仰も厚く、筑前が小早川隆景の領地であった際には300石が寄進され、更に豊臣秀吉からは200石、黒田長政から200石寄進されました。

このお寺の最大の見所は、禅寺の伽藍様式が目の当たりにできる点で、全域が国の史跡に登録されるほどです。山門をはじめとする建築物も禅の雰囲気が漂う作りで、創建した栄西が持ち帰った茶の湯の雰囲気を彷彿とさせるお寺です。

ここには禅寺の雰囲気以外にも、日本で最初にお茶が持ち込まれ、茶の木が建てられた場所として、日本茶発祥の「茶の木」が目の当たりにできます。栄西が禅とともに持ち帰った茶の湯は、その後戦国時代に武野紹鴎や千利休などと共にわびさびとして浸透し、現在まで至っています。更に、聖福寺では豊臣秀吉が作ったとされる有名な博多塀が見ることができます。

豊臣秀吉は九州征伐によって九州地方を支配下においたあと、戦乱で荒廃していた博多の町を復興しました。その際に、焼け落ちた瓦などを使って塀をつくり復興のスピードを高めたと言います。その博多塀は、今でも博多の町に残されています。

聖福寺

承天寺

崇福寺は円爾によって名前が付けられましたが、その円爾が開山したお寺が承天寺です。承天寺も上記でご紹介した東長寺や聖福寺の近くにあるお寺で、博多のお祭りで有名な祇園山笠の発祥の地でもあるのです。もともと祇園山笠は疫病を沈めるために円爾が水をまきながら町を回ったのが始まりとされており、こうした点から承天寺が祇園山笠の発祥とされています。

円爾はまた、宋からさまざまなものを持ち込み、羊羹(ようかん)、饅頭、うどん・蕎麦など製粉技術も持ち帰りました。今では日本人にとってお馴染みのお菓子や食べ物ですがこうしたものの発祥の地でもあるのです。更に、承天寺には博多織という織物の発祥でもあります。こうしたエピソードから博多の町が貿易港として、現代の日本にもつづく多くの文化財やものを持ち込んだことがわかります。また、承天寺も開山堂など文化財もおおく残されています。

承天寺

まとめ

崇福寺はほかの博多のお寺とはちょっと離れていますが、そこには少し足を伸ばしても十分なくらい見所がいっぱいです。豪壮な姿の門は福岡城の本丸跡を忍ばせてくれますし、要予約ですが、黒田官兵衛とその妻、歴代藩主のお墓は歴史好きの人には貴重な場所なのではないでしょうか。

またその周辺には博多を代表するお寺が登場し、聖福寺や東長寺、承天寺など、そこではそばやうどん、饅頭、羊羹、祇園山笠などの起源に関するお寺や禅の雰囲気たっぷりのお寺が登場します。