尾道で見れる文人の軌跡。志賀直哉旧居

尾道で文人志賀直哉の旧宅にふれられる

坂と寺が織り成す歴史的情緒に溢れる町尾道。坂の上から見る瀬戸内海の景色は実に美しく、町歩きや寺巡りの最中にもさまざまな絶景スポットが存在します。そんな尾道の町ですが、寺や坂の街として知られる以外に、文学の街としても知られています。

この尾道からは、日本を代表する文人や歌人などが多く登場しました。尾道にはこうした文人たちの邸宅や旧居が実はそのまま残されており、町歩きの観光スポットとして訪れることができます。この尾道ゆかりの文学スポットは大きく分けると3つ。「文学記念室」「中村憲吉旧居」「志賀直哉旧居」の3つです。

これに、「尾道市文学公園」を加えた4つの施設を総称して「おのみち文学の館」と呼びます。実際にこの地で生まれ、この地で生活をしていた文人たちの旧居は数多くの寺を残す尾道の町と相まって、独特の風合いを醸し出しています。本日はそんな「おのみち文学の館」のうちの一つ。志賀直哉旧宅をご紹介しましょう。

志賀直哉は日本を代表する小説家の一人ですが、1912年から1914年までの2年間をこの尾道の平屋で過ごしました。わずか2年間ほどの短い時間でしたが、志賀直哉はこの地から映画化もされた小説『暗夜行路』の構想を練ったとされます。

尾道 観光スポット 文学 志賀直哉邸

志賀直哉旧宅へのアクセス

志賀直哉旧宅は寺巡りの途中で現れます。一番近い寺である宝土寺からは徒歩1分ほどの場所にあります。また同じ「おのみち文学の館」の一つである、「文学記念室」へも徒歩2分ほどで行くことが可能です。

ちなみに尾道駅から志賀直哉旧宅まで直接行けば徒歩で12分ほど。お寺めぐりの1スポットとして訪れることをおすすめします。カンデオホテルズ福山から尾道までは車で約25分ほど。駅前の駐車場に停めて回るのがいいでしょう。

 尾道市街と瀬戸内海が眼下に広がる平屋

志賀直哉旧宅は坂の街である尾道市街の中でも、一際高台のある場所に建てられています。この旧宅は、木造1階建ての平屋で、6畳3畳の2部屋と土間の台所で成り立つこじんまりとした平屋です。内部は志賀直哉が暮らしたと言われる100年前とほぼ変わらぬ姿のまま現存しており、手前の1部屋と2部屋目が受付と展示場。

一番奥が志賀直哉が実際に暮らした状態が再現され、中にも入ることができます。その最大の特徴はこの部屋から見れる尾道の景色が見渡せること。数多くの寺が並び立つ市街地と、さらにその先に広がる瀬戸内海の景色が素晴らしい眺めを提供してくれます。

当時は今ほど住宅の数も少なく、さらには瀬戸内海の対岸にある造船所といった近代的な設備も無い状態の中、美しい尾道の町が広がっていたことでしょう。

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志賀直哉作品のアイデアが生まれた場所

志賀直哉は明治から昭和にかけて活躍した小説家で、数々の作品を手がけました。出身は宮城県石巻市で、父親は旧相馬中村藩主相馬家の家令を勤めたほどの人物で、明治維新後も足尾銅山の開発を古河市兵衛とおこなうなど、明治時代の財界を代表する人物。

尾道への移住はその父親との不和によって1912年に住むことになったと言われています。志賀直哉はこの地で17年間も完成にかかった大作『暗夜行路』の構想を練ったといいます。

また小説「児を盗む話」のモデルはこの尾道での生活からアイデアを得て作られました。そんな昭和を代表する小説家の隠れたエピソードもこの志賀直哉旧宅では触れることができます。

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まとめ

志賀直哉旧宅は、志賀直哉がこの尾道の地で2年ほどの短い期間を過ごした場所ですが、その姿が当時のまま残されている大変貴重な記念館と言えます。外から見る木造平屋の日本建築も歴史情緒を感じるものとして見ごたえがありますが、内部の志賀直哉の部屋から見る尾道の町の美しさは格別と言えるでしょう。

歩いて数分で行くことができる文学記念室とともに、尾道の町歩きでは外すことができない貴重な文学スポットです。是非町歩きや寺巡りの1スポットとして訪れてみることをオススメします。

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