桝屋清右衛門宅。鞆の浦に残る坂本竜馬の隠れ家

枡屋清右衛門宅とは。坂本龍馬ゆかりの商家

幕末の志士の中でもダントツの人気を誇るのが坂本龍馬です。脱藩浪士の身分ながら、私設海軍と貿易商社である海援隊を興すなど、既成の枠組みにとらわれない生き方は、時代を超えて多くの人々を魅了します。

そんな坂本龍馬ゆかりの観光スポットが、福山の鞆の浦には残されているのです。今回ご紹介する商家、桝屋清右衛門宅もそんな坂本龍馬ゆかりの場所です。

現在の福山は、瀬戸内海の名勝として、美しい島々の風景や江戸情緒あふれる古き良き町並みが楽しめる観光スポットですが、かつて戦国時代までは水軍の拠点として、江戸時代は瀬戸内海の交易拠点として発展した港町だったのです。

枡屋は、そんな貿易港であった鞆の浦の廻船問屋です。廻船問屋とは、江戸時代に存在した海運業者兼物流業者で、荷主から依頼された商品を船に乗せて運び、他の都市で販売する商社のような存在です。

当時の廻船問屋はさまざまな形態が存在し、船頭から船員である水主まで集め、自分たちで商品を選び販売する大きな廻船問屋から、他人の荷物を運ぶだけの廻船問屋も存在します。

枡屋清右衛門は鞆の浦を拠点とする廻船問屋を営んでおり、当時、亀山社中と呼ばれる貿易商社を興した坂本龍馬とは懇意の中だったと言われています。

福山 鞆の浦 坂本龍馬隠れ家 桝谷清右衛門宅

坂本龍馬のビジネスパートナー

坂本龍馬は、薩長同盟や大政奉還の立役者として有名ですが、その魅力は活動が武士の範囲にとどまらない点にあります。

たとえば、各藩から出資金を募って貿易会社である亀山社中を興すという発想も通常の武士では出てこないところです。それはその出自が商家を営んでいたことなどがあげられるのかもしれません。

坂本龍馬は貿易商社を興すにあたり、長崎や下関の有力商人たちと提携し、拡販の物産を集めて、蒸気船で各地を巡りものを売ることを行っていました。鞆の浦の桝屋清右衛門もそんな竜馬のビジネスパートナーだったと思われます。

福山 鞆の浦 坂本龍馬隠れ家 桝谷清右衛門宅

龍馬の写真が

いろは丸事件

そんな桝屋清右衛門宅ですが、坂本龍馬がおこしたいろは丸事件で、龍馬をかくまうことになるのです。いろは丸事件とは、坂本龍馬の海援隊が運航するいろは丸と、紀州藩が運航する明光丸の衝突事故のことで、ちょうど鞆の浦沖で起きた事故でした。

この事故は、坂本龍馬が伊予大洲藩の汽船であるいろは丸で、特産品などを積んで大阪まで行く途中、紀州藩の明光丸に衝突されいろは丸と積み荷もろとも没した事故でした。

この事故は、紀州藩側の注意や不慣れによって起きたものとされ、沈没しかけているいろは丸から明光丸に飛び移った坂本龍馬は、鞆の浦で談判することを要求します。坂本龍馬はまだ国際法が無かった時代に、日本における海難事故に初めて国際法をもちだし、紀州藩側に向けて賠償請求を行ったのです。

その談判場所だったのが鞆の浦に残る福禅寺対潮楼で、坂本龍馬はビジネスパートナーでもあった桝屋清右衛門宅にとどまったとされているのです。ここでは、そんな坂本龍馬の隠れ家などが見ることができるのです。

ちなみに坂本竜馬の滞在はわずか4日間といわれていますが、その間も幕府の密偵から身を守るため身を隠していたと言われています。

坂本竜馬の隠れ家桝谷清右衛門宅へのアクセス

坂本竜馬が隠れていたとされる桝谷清右衛門宅は、いろは丸事件の談判が行われた福禅寺対潮楼から徒歩数分の場所にあり今もその姿を残しています。鞆の浦の街歩きのスタート地点とも言えるいろは丸乗船場の駐車場からも徒歩5分程の距離にあります。

ここ桝谷清右衛門宅の利用時間は金・土・日・月曜・祝日で料金は大人200円 小学生以上高校生以下100円 小学生未満無料となっています。鞆の浦の街歩きのスポットとして、談判場所の福禅寺対潮楼とともにオススメのスポットです。カンデオホテルズ福山から鞆の浦までは車で約25分ほどでいくことができます。

坂本竜馬が隠れていたとされる桝谷清右衛門宅はこちら

枡屋清右衛門宅の利用案内

所在地:広島県福山市鞆町鞆422

営業時間:9時から16時30分

定休日/火〜木曜日(祝日の場合は営業)

電話/084-982-3788

入館料/大人200円、小中高生100円(ギャラリーショップ内は無料)

枡屋清右衛門宅の見所

それでは、ここからは桝屋清右衛門宅の見所についてご紹介しましょう。枡屋清右衛門宅は、江戸時代の商人の家がそのまま残る貴重な文化財として実際に中に入ることも可能です。

坂本龍馬滞在の間

先にご紹介した通り、鞆の浦は江戸時代当時は、港町として栄え貿易拠点として多くの商家が軒を連ねていました。枡屋清右衛門も鞆の浦を代表する商人の一人で、坂本龍馬を支援していました。

江戸時代の雄藩といわれ、討幕の中心勢力であった薩摩藩や土佐藩とも商取引があり、竜馬の海援隊を支援していた長崎の豪商小曽根家とも関係が深かったといいます。

こうしたいきさつから坂本龍馬は、桝屋清右衛門宅に滞在しました。ちなみにいろは丸事件で竜馬が操船していたいろは丸は、伊予大洲藩の戦績ですが、内実は土佐藩や薩摩藩の意向を強く受け、海援隊が運営しており、桝谷清右衛門とも商売を通じて強い結びつきがあったことが伺えます。

ちなみに、当時の国際法である万国公法では、海上での事故があった際には、そのあった場所で談判が行われるとのことで、竜馬の海援隊はこうした縁から桝谷清右衛門宅を宿舎にしたといいます。

坂本龍馬が滞在した部屋は、2階に進む奥の8畳の部屋で、部屋の真ん中には、坂本龍馬の手紙が展示されています。

ちなみに、幕末当時の志士たちは一般的になんでも手紙や文書で残すという習慣があり、特に坂本龍馬は、手紙を多数残した人物として知られ、倒幕活動に関する手紙だけではなく家族に当てた多数の手紙が現存しています。

ここ桝谷清右衛門宅ではそんな貴重な歴史的資料も見ることができます。

福山 鞆の浦 坂本龍馬隠れ家 桝谷清右衛門宅

坂本龍馬が幕府からの追ってから隠れていた場所です

福山 鞆の浦 坂本龍馬隠れ家 桝谷清右衛門宅

手軽にみることができます。

福山 鞆の浦 坂本龍馬隠れ家 桝谷清右衛門宅

江戸期の商人屋敷らしい作りも見れます。

天井裏の隠れ家も見れる

当時坂本龍馬と坂本龍馬の一派である海援隊のメンバーたちはいずれも藩を抜けている脱藩浪士であったことや、坂本龍馬自身が、幕府からすれば倒幕を企む巨魁として認識されており、こうした点から、こうした幕府の追捕を逃れるため常に身辺に注意しなければなりませんでした。

坂本龍馬も才谷梅太郎という変名を使い、桝屋清右衛門宅に滞在中は、隠れ家に隠れていたと言います。これまで坂本龍馬の隠れ家は、実際にどの部屋に隠れていたのかは不明とされていましたが、1989年の天井調査によって、1箇所天井板が外れ、隠れ部屋が発見されたのです。

この隠れ家では、坂本龍馬と陸奥宗光などの海援隊士たちのパネルが展示されています。ちなみに、当時幕府の密偵は、この鞆の浦にも潜入していたようで、どうやら坂本龍馬の隠れ場所も突き止めていたと言われています。

福山 鞆の浦 坂本龍馬隠れ家 桝谷清右衛門宅

天井裏の隠れ家も見れます

福山 鞆の浦 坂本龍馬隠れ家 桝谷清右衛門宅

狭い部屋です

福山 鞆の浦 坂本龍馬隠れ家 桝谷清右衛門宅

海援隊が登場

福山 鞆の浦 坂本龍馬隠れ家 桝谷清右衛門宅

龍馬の手紙も残ります

桝屋清右衛門宅とセットで見たい観光スポット

坂本龍馬と海援隊士は桝屋清右衛門宅に宿泊しながら、すぐ近くの福禅寺対潮楼で、紀州藩側と談判を行いました。

紀州藩側は、大藩であることを背景に、自らの非を認めない態度でしたが、当時の万国公法といわれた国際法を手にとった坂本龍馬の前には、賠償金を支払わざる負えなくなりました。

この紀州藩との談判に関する観光スポットがここ鞆の浦には残されています。ここでは桝屋清右衛門宅と合わせて見たい観光スポットをご紹介しましょう。

福禅寺対潮楼。いろは丸事件の談判場所

桝屋清右衛門宅から歩いて数分、いろは丸事件の談判場所として、海援隊士と紀州藩が話し合いを行った場所が福禅寺対潮楼です。

福禅寺対潮楼は、談判場所としても有名ですが、江戸時代に朝鮮からの外交使節である朝鮮通信使が宿泊する迎賓館として利用された場所でした。江戸時代、日本は鎖国といって海外との交わりを絶っていましたが、限られた国とは交易を行っていました。

朝鮮もそのうちの一つで将軍の交代などの際には、外交使節が日本を訪れ、江戸までの長い旅を過ごしました。福禅寺対潮楼の対潮楼という名前も朝鮮通信使がつけたとされ、朝鮮半島より東で最も美しい風景と称したほど、福禅寺からの眺めは絶景とされています。

ちょうど福禅寺の窓の目の前には、仙酔島と弁天島が広がっており、瀬戸内海の穏やかな波と、大小さまざまな島が織りなす独得の風景は、見るものを飽きさせない時間を与えてくれます。

福禅寺対潮楼は実際に入ることが可能で、談判場所でもあり、同時に朝鮮通信使が眺めた美しい風景を見ることができます。こちらはいろは丸事件の談判場所とは関係なく鞆の浦では一番のおススメスポットです。

福禅寺対潮楼

福禅寺対潮楼の利用案内

所在地:〒720-0201 広島県福山市鞆町2番地

TEL:084-982-2705

営業時間:午前8時~午後5時

定休日/休業日:なし

料金:大人200円、中・高生150円、小学生100円

大可島城跡。円福寺、紀州藩の宿泊場所

福禅寺対潮楼から同じく歩いて数分の場所にあるのが、円福寺です。円福寺はいろは丸事件の一方の当事者である紀州藩側の宿泊場所となったお寺です。

ここは現在はお寺ですが、かつては大可島城という城があり、村上水軍の支城として、鞆の浦から瀬戸内海を支配していいたお城です。

村上水軍は、能島、来島、因島という3氏に分かれ、瀬戸内海の制海権を握っていた巨大な水軍で、大可島城は因島村上氏の一族である村上亮康が城主をつとめました。この大可島城は、鞆城が建設されるまでの鞆の浦の拠点ですが、水軍の根拠地らしく、鞆の浦や瀬戸内海の島々が一望できる絶景が楽しめます。

こちらも鞆の浦の景観スポットとしておススメです。

大可島城

まとめ

桝谷清右衛門宅は、江戸時代の廻船問屋の商人の家だけではなく、坂本竜馬が天井裏に泊まった部屋もそのまま見ることができます。

日本各地に歴史上の有名人物が訪れた場所は数多くありますが、それがそのまま現存されて見ることができる大変珍しいスポットと言えるでしょう。竜馬が談判に使用した福禅寺対潮楼などともにオススメの観光スポットです。