「ならまち」の観光スポットと回りかた

「ならまち」の観光

日本有数の世界遺産がある古都奈良。かつての都であった平城京の外京として今も数多くの観光スポットが登場します。平城京跡は現在は発掘調査が進み、南大門などが復元されるなど巨大な公園として整備が始まっています。その一方で、外京(平城京の外にはみ出した部分)は、東大寺や興福寺、春日大社といった昔ながらのお寺が多数残るエリアとして、奈良最大の観光スポットとして多くの人が訪れます。

そんな外京の一角に存在するのが「ならまち」です。因みに「ならまち」は奈良町の一角を指すエリアで、元興寺のかつての境内があった場所です。この「ならまち」は江戸時代からの町並みが数多く残る歴史的な町並みが特長のエリアで、奈良観光の一大スポットとして知られています。

今回はそんな古き良き街並みとして多くの観光客を魅了する「ならまち」をご紹介します。同じく外京であった、興福寺や東大寺、さらには春日大社などの奈良公園とセットで観光されるとより旅が充実したものになることでしょう。

ならまち

「ならまち」の観光の歴史

「ならまち」はかつての元興寺の境内であった場所です。元興寺はのちにご紹介しますが、世界遺産にも認定されており、本堂も国宝にも指定されているお寺で、かつては東大寺や興福寺などとともに南都七大寺に数えられるほど巨大なお寺でした。

現在の元興寺の境内は狭いですが、かつての元興寺はその広さが南北4町(約440メートル)、東西2町(約220メートル)と巨大な面積をほこり、ほぼ現在の「奈良町」がそのまま入るほどの大きさが境内だったのです。実は「ならまち」の今に残る発展は、この元興寺の境内であった時代から遡ります。

平城京が京都の平安京に遷都されるにおよび、平城京周辺は風化しましたが、その一方で、巨大な寺社が存在する平城京外京の一体は当時から日本有数の観光スポットとして発展してきました。そして、「ならまち」はこうした一大観光スポットのおひざ元の町として発展してきたのです。

東大寺、興福寺、春日大社に参拝する人々に対して売る物や、更にはさまざまな産業が中世以降発展してきたといいます。主に筆、墨、蚊帳、布団、刀、醤油、酒といった産業がこの町で生まれました。元興寺はお寺そのものは衰退しましたが、その境内にさまざまな産業が生み出されることで、違った形で現代まで残されているのです。

この「ならまち」の商工業は江戸時代にも発展を見せ、なんと人口は当時でも多く3万5千人ほどがこのあたりに住んでいたとか。江戸時代は、幕藩体制の元、日本各地で殖産興業が巻き起こり、独自の発展を見せた町が数多く残りますが、「ならまち」は古くからの商業としてとして発展を見せたのです。その後太平洋戦争時代にも空襲を免れ奈良市の旧市街として続きました。

ならまち

「ならまち」観光の特長

こうした商工業都市としての歴史とともに、元興寺の境内であったという経緯から「ならまち」の観光の特長は、古き良き街並みとお寺です。とくに町屋は数多くの街並みが残されており、ならまち格子の家や奈良町にぎわいの家、藤岡家住宅、近田家住宅、奈良町資料館、奈良まちづくりセンターなど多数登場します。その一方でお寺も元興寺を初め南都十輪院、更に少し足を延ばせば大乗院庭園など、魅力あふれる観光スポットが多数登場するのです。ここではその見所をご紹介しましょう。

「ならまち」観光の見所と回りかた

「ならまち」観光は、元興寺を中心とした一体の街並みです。元興寺と、その境内であった南北4町(約440メートル)、東西2町(約220メートル)のエリア、また周辺の大乗院庭園がある部分まで足を延ばすこともできます。回りかたとしては元興寺を中心にまわるのがおススメです。

ならまち

元興寺。世界遺産で国宝の境内が見所

「ならまち」観光で最初にご紹介するのが元興寺です。元興寺は冒頭でもご紹介した通り、世界遺産にも認定されている歴史あるお寺で、かつての境内が「ならまち」になっています。いわば「ならまち」の中心、象徴的な存在であるお寺で、数多くの人が訪れる一大観光スポットなのです。

もともと元興寺は聖徳太子の時代に飛鳥地方に作られた日本で最初の官寺である法興寺が前身です。藤原京から平城京に遷都する際に、法興寺もこの場所に移されました。その際に元興寺となりました。因みに元の場所にあった法興寺はそのまま現在の飛鳥寺として残されています。

この元興寺は、東大寺や興福寺などともに南都七大寺に数えられ広大な境内をほこりましたが、当時は東大寺と並ぶほどの壮大な伽藍を誇っていましたが、そのご11世紀ごろから衰退していきました。そしてかつての境内の大半が「ならまち」として発展していきました。一方、現在残されている境内にも見所が多数あります。

元興寺

国宝の本堂と禅室

元興寺の最大の見所が国宝である本堂と禅室です。本堂は別名極楽堂と呼ばれ、鎌倉時代に再建されました。この本堂はかつての僧房(僧侶が生活する建物)を改造したもので、屋根瓦などには飛鳥時代から奈良時代の非常に古い古瓦が使用されています。また同じ国宝デある禅室は本堂の西側に接してたてられています。

この禅室も本堂と同じく僧房であった建物で、鎌倉時代に改築されました。こちらも瓦などは奈良時代のものが残されており、更には建物の木材はなんと発掘調査の結果、西暦582年ごろの樹木が使用されていたことが分かっています。どちらの建物も非常に古く価値がるもので、国宝、世界遺産にふさわしいたたずまいが目の当たりにできます。

元興寺

多数の文化財が残る

元興寺にはさらに、重要文化財の東門や講堂礎石跡、浮図田などがまのあたりにできます。重要文化財の東門は、本堂などと同じく鎌倉時代に建てられたもので、もともと東大寺にあったものを室町時代に移築したものです。講堂礎石跡は、平成10年に発掘されたもので、かつての元興寺の講堂の柱であったものだとされています。創建当初の講堂は間口十一間という非常に巨大なもので、薬師如来像が本尊として納められていました。

その名残を目の当たりにできます。一方、浮図田は、なんと二千五百もの石塔、石仏があるもので、鎌倉時代から江戸時代のもので占められています。こちらも供養塔として珍しい姿を目の当たりにできます。

元興寺

元興寺の利用案内

所在地:〒630-8392 奈良県奈良市中院町11番地
TEL:0742-23-1377
FAX:0742-23-1378
アクセス:近鉄奈良駅、徒歩15分、バスで福智院町下車、徒歩5分
JR奈良駅から徒歩20分、バスで田中町下車、徒歩5分

奈良町資料館

「ならまち」の最初の建物でご紹介するのが奈良町資料館です。奈良町資料館は、昭和60年に開館した施設資料館で、昔ながらの「ならまち」の家屋、そして貴重な民俗資料が展示されている私設資料館です。こちらでは、江戸時代から明治時代にかけての看板が展示されています。

看板といえば現代でも広告の提示などで利用されていますが、なんと江戸時代などから存在したことがわかります。更にこちらではとげぬき観音や水かけ不動、吉祥天女、鍾馗様、水月観音菩薩、などが祭られており、奈良町ゆかりの貴重な文化財の数々を目の当たりにできます。この奈良町資料館は年中無休、無料で利用することが可能です。

ならまち

奈良町資料館の利用案内

所在地:〒630-8334 奈良県奈良市西新屋町14
電話:0742-22-5509
FAX:0742-27-5166
開館時間:10時~16時
休館日:年中無休
入館料:無料

 奈良格子の家

お次にご紹介するのが奈良格子の家です。奈良格子の家は江戸時代から明治時代にかけて存在した町家をモデルにして建てられた私設です。この時代の建物の最大の特長の一つが間口が狭く奥行が長いという点で、昔はこうしたながさからウナギの寝床とも称されたのです。奈良格子の家はこうした特長を忠実に再現されています。

内部の部屋でも江戸時代ならではの町家が忠実に再現されており、畳の間やつし二階といわれる二階にも上がることができます。更にこの時代の建物の特長として、中庭が設けられていることが多く、奈良格子の家でも中庭とその奥の離れも作られているのです。因みにこちらではこうした伝統的な日本家屋が再現されていることから、上方舞や能などの伝統芸能も開催されるとか。まさに「ならまち」を象徴する日本家屋です。

ならまち

奈良格子の家の利用案内

所在地:奈良市元興寺町44
電話番号 :0742-23-4820
見学料:無料
奈良町情報館から徒歩約7分
営業時間:9時~17時
定休日:月曜定休(祝日の場合は翌平日)、祝日の翌平日、年末年始(12月26日~翌年1月5日)

奈良町にぎわいの家

奈良町の中でも築100年以上の歴史を誇る建物が奈良町にぎわいの家です。こちらも「ならまち」に残る典型的な町家として知られており、表は狭く、奥に長い作りをしている建物です。築100年を誇る江戸時代や明治時代の情緒あふれる日本家屋を堪能することができます。

玄関から入ると通り庭がサイドに広がっており、三つの座敷が連なって登場します。また、この時代の町家の一つの形として中庭があり、更にその先には離れも備えているのです。こちらでも町家ならではのイベントなどが開催されています。

奈良町にぎわいの家の利用案内

所在地:〒630-8333 奈良市中新屋町5
電話:0742-20-1917(
アクセス:近鉄奈良駅から徒歩13分、JR奈良駅から徒歩20分、奈良交通(市内循環バス)田中町バス停から徒歩5分
休業日:毎週水曜日
入館料:無料
時間:9時~17時

藤岡家住宅

「ならまち」を代表する町家のひとつで、重要文化財でもある建物が藤岡家住宅です。こちらの藤岡家住宅はなんと17世紀から18世紀にかけてのたてもので、今からおよそ300年以上も前の建物になります。数多くある商家の中でも極めて古い建物として知られ、切妻作りの建物です。現在は重要文化財に登録されている貴重な建物で、土間と2列の部屋、更には奥に奥座敷と次の間、茶室が登場します。

こちらの藤岡家はかつて江戸時代に奈良町が商業で栄えた時代には生薬を初め蝋燭や油、おはぐろなど多数の商品を商っていたと言われています。また、驚くべきことに昭和30年代まで商売を行っており、紙類の販売も行っていたほどなのです。こちらの藤岡家住宅は他の町家とは違い内部は公開されていないため、外からのみ見学することが可能です。

ならまち

近田家住宅

藤岡家ほど古くはありませんが、昭和に入ってからの町家が近田家住宅です。近田家住宅は主屋と蔵が昭和8年、今から遡ること80年以上昔、1933年に建てられました。当初は材木問屋の事務所兼住居として建てられた建物で、こちらも町家としての特長が残されている建物です。現在は登録有形文化財に指定されており内部はみることが出来ませんが、貴重な姿を目の当たりにすることができます。

ならまち

坂本家住宅

同じく登録有形文化財に登録されているのが坂本家住宅です。こちらの建物も「ならまち」の中では古い建物で、江戸時代末期に建てられました。ちょうど幕末の動乱期に安政の大地震がありましたが、この地震の後に建てられたと言われています。こちらも典型的な町家の姿をしており、木造2階建ての建物です。

奈良町は江戸時代から商業の町として発展しましたが、坂本家住宅も古着商として昭和まで商売を行っていたとされています。第二次世界大戦後まで商売は続けられており、その後、商家から民家に改修され、現在の姿になったといわれています。

細川家住宅

細川家住宅も「ならまち」に残る貴重な町家です。こちらの建物は19世紀初期に作られたとされる建物で、江戸時代ならではの雰囲気が残っています。こちらも商業と工業で発展した奈良町の町家として、江戸時代から和ろうそくを製造していた商家です。和ろうそくとは、木蝋をつかって作り出す蝋燭のことで、江戸時代の暮らしには必須の消耗品でした。

また、木蝋は明治時代には海外に輸出されたり、化粧品などの原料にも使用されていたことから、細川家はなんと昭和35年ごろまで和ろうそくの製造を行っていたと言われています。こちらの建物も外観からのみになりますが、江戸時代の町家らしく奥に長いつくりになっています。こちらも奈良県指定有形文化財に登録されています。

森家住宅

こちらの森家は上でご紹介した細川家の隠居所として建てられた建物です。明治20年ごろに作られた建築物で、奈良県指定文化財に登録されています。2011年に一度半解体修理が施され、とおり土間や丸太格子が復元され、明治20年代に作られた姿が復活しました。こちらも江戸情緒あふれる雰囲気を残しており、奥行きがある楯門おとなっています。

正木家住宅

奈良町の中では江戸時代に建てられた建物がいくつか残りますが、この正木家も江戸時代後期に建てられたものとして貴重な姿を残しています。こちらの正木家は主屋と蔵から成り立っている建物で、江戸時代から明治時代、昭和、平成と度重なる改修をうけて、その姿が忠実に残されてきた歴史的な建物です。

こうしたことから「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として評価され、登録有形文化財に指定されました。内部では吹き抜けの土間や井戸など、江戸情緒あふれる構造が残されており、こちらも一見の価値がある建物です。

吉岡家住宅

吉岡家住宅は昭和10年、1935年に建てられた建物です。こちらも江戸時代から明治、大正、昭和へと続く昔ながらの日本家屋が「国土の歴史的景観に寄与しているもの」として高く評価され、登録有形文化財に登録されました。この吉岡家の主屋も通り土間や渡り廊下が設けられている建物が特長で今では失われてしまった昭和初期のたたずまいを目にすることができます。

南都十輪院。国宝のお寺

「ならまち」の代表的な観光スポットの一つに南都十輪院があります。南都十輪院は町中にある小さいお寺ですが、国宝の本堂や重要文化財が残るお寺としておすすめです。この十輪院はもともとここ奈良町の境内である元興寺の別院として建てられた歴史あるお寺で、奈良時代の重臣である吉備真備の長男朝野宿禰魚養が、元正天皇からこの地を拝領して創建したとされています。

かの有名な弘法大師空海も訪れたお寺で一説にはその創建は空海ともいわれています。その後、この南都十輪院は中世以降、地蔵信仰のお寺として続きますが、戦国時代の後、豊臣秀吉の弟、豊臣秀長によってその所領を没収されてしまいます。豊臣秀長は大和大納言として、大和一国のみならず、紀伊、和泉三カ国100万石の大領を有する大大名で、関白秀吉の弟として絶大な勢力をもっていました。

十輪院はその豊臣秀長によって寺領300石を失ってしまうのです。また、当時は戦国時代の後期であることから、治安が乱れ、所蔵する宝物なども失われてしまいました。その後、十輪院は関ケ原の戦いの2年後に徳川家康より50石の寄進を受け、本堂の修復など、勢威を盛り返していきます。

以来、江戸時代には奈良町にあるお寺として続き、明治、昭和と残されてきたのです。昭和30年には、本堂と南門を残すために一大解体修理が行われ、その他の不動堂や御影堂なども解体修理され現在まで残されているのです。中世から戦国時代以降、動乱に巻き込まれながらも現代に続くその姿は大変貴重なものとなっています。十輪院の見所が国宝の本堂です。

この本堂はもともと鎌倉時代に仏堂として建立されたのが始まりです。本瓦葺きの建物で、大仏様式など美しい姿が見られます。また、御影堂は奈良県指定文化財に登録されており、江戸時代である1650年代に作られました。こちらでは弘法大師像を祀っています。更に南門も重要文化財に登録されています。

ならまち

南都十輪院の利用案内

所在地:奈良市十輪院町27
TEL:0742-26-6635
拝観料:大人500円、中学生300円、小学生200円
拝観時間:9時~⒗時30分
定休日:月曜日、年末年始

御霊神社

奈良町には御料神社といわれる非常に歴史がある神社もあります。その創建はなんと西暦800年、五條市の宇智群霊安寺から勧進されて作られました。もともと元興寺の南大門の前にあった神社ですが、室町時代に元興寺金堂が火災で焼失した際、この御霊神社も焼失し、現在の地で新たに作られました。こちらでは疫病の侵入を防ぐという信仰があり、現在も70ケ町5000余軒ほどの氏子を持つと言われています。

ならまち

旧大乗院庭園

「ならまち」から少し離れた場所に国の名勝である旧大乗院庭園も見所です。旧大乗院庭園とは大きな池が特長の日本庭園で、興福寺塔頭の一つ大乗院の庭園です。興福寺は「ならまち」のすぐちかくにあり、奈良公園の巨大な一角を占めている一大観光スポットで、奈良時代から平安時代、更には鎌倉時代にかけて強大な勢力を持っていました。いわば奈良一国を支配していたのが興福寺で、平家が台頭していた時代においても、興福寺は平家に対抗するほどの力を持っていました。

この興福寺の力に手を焼いた平家は、平重衡が焼き打ちを行うことで焼失してしまいます。大乗院もその際、平重衡の南都焼き打ちによって焼失し、別の場所に移されました。その後戦国時代が始まろうという室町時代において、徳政一揆で荒廃し、復興を目的に日本庭園が造られたのです。その際、かの有名な銀閣寺の庭園を造った世阿弥父子が招かれ回遊式庭園がつくられました。

この庭園は、明治時代まで南都随一といわれるほどの美しさをほこり、現代にもいても国の名勝に指定され人気スポットとして多くの観光客が訪れます。因みに興福寺の支配は、室町時代から戦国時代にかけて、興福寺ゆかりの武家たちによって乱立した支配や、織田信長の支配下にはいった松永弾正によって支配されるなど、安定しませんでしたが、大乗院も室町時代までは座を支配し商業で栄えましたが、戦国時代を経てその多くの所領を失ったと言われています。

この大乗院庭園では、美しい東西の池を中心に大自然の庭園が設けられており、奈良ホテルの一角として利用が可能です。入り口にある名勝大乗院庭園文化館では、かつての大乗院を復元した模型や、関係資料などが展示されており、庭園の見学と共に大乗院の歴史に触れることができます。

ならまち

旧大乗院庭園の利用案内

所在地:〒630-8301 奈良市高畑町1083-1
TEL:0742-24-0808
FAX:0742-24-0807
時間:9時~17時
休み:月曜日(祝日及び振替休日にあたる場合はその翌日)、年末年始
料金:大人100円、小中学生50円、小学生未満無料
アクセス:JR・近鉄奈良駅から天理、下山行バス約8分で「奈良ホテル」下車南へ100m

「ならまち」の観光とセットで見たい奈良公園

「ならまち」の観光は大きいくくりでいうと、奈良観光の主要部である奈良公園の町歩きエリアととらえることも可能です。いわば、この「ならまち」と奈良公園までの広大なエリアは数々の世界遺産や国宝類などが集まった見所満載のエリアなのです。奈良公園は、「ならまち」の北部に位置し、大きいくくりでいうと、興福寺、東大寺、春日大社、更には奈良ホテルの付近にある公園といったエリアで分けることが出来ます。

「ならまち」の町歩きのエリアからは、興福寺が最も近く、大乗院庭園からは奈良ホテルの公園エリアに入ることができます。また、興福寺のすぐ先には巨大な東大寺があり、公園内のバスを利用すれば春日大社にも行くことが可能です。ここでは「ならまち」とセットで見たい奈良公園の代表的な崇ポットをご紹介しましょう。

奈良公園

興福寺。「ならまち」からすぐ近くの世界遺産

「ならまち」からすぐ近くにある観光スポットが興福寺です。興福寺は、大乗院庭園の部分でもご紹介しましたが、「ならまち」がある元興寺と同じく、南都七大寺に数えられた巨大なお寺で、実質的には奈良一国の支配者だったのです。この興福寺はもともと藤原氏の始祖ともいえる藤原不比等が藤原家の菩提寺として建てたのが始まりです。

藤原氏は大化の改新で蘇我氏を討った中臣鎌足から始まりますが、その息子である藤原不比等の代でその権勢は更に高まり、平安時代を通じて藤原氏は朝廷の中枢で政治を担っていたのです。そして京都の後背地である奈良一国はおそらく興福寺を通じて藤原氏が支配し、時代が進むにつれて大和武士を統合、更に権勢を強めていったと考えられます。

その強大さから、南都北嶺(南都は興福寺のこと、北嶺とは比叡山延暦寺)と恐れられ、朝廷の意のままにならぬ勢力として知られるようになります。興福寺はその勢力の大きさから平家が権勢を誇っていた時代には平重衡の焼き討ちにあい境内など全て焼失してしまいます。こうした歴史を誇る興福寺ですが、かつての権勢を示すかの如く、建築物は強大で、五重塔は高さ50.1メートル、日本に現存する木造の塔の中では東寺の五重塔に次いで二番目に大きい高さです。

この五重塔は室町時代中期の1426年に再建されたもので、国宝に登録されています。また、興福寺に現存する東金堂も巨大です。この東金堂も平安時代の焼き討ちで一度消失しているため、室町時代1426年に再建されました。大きさは7間と4間もの巨大なもので、国宝に登録されています。こちらの金堂は唐招提寺の金堂を参考に作られた天平様式の建物で、聖武天皇が自らの伯母である元正天皇の病気平癒を祈願して作ったものになります。興福寺にはこのほか、中金堂が再建されたほか、北円堂や南円堂、三重塔など、世界遺産にふさわしい数々の建築物が登場します。

興福寺

巨大な五重塔は圧倒的な迫力です。

興福寺の利用案内

所在地:〒630-8213 奈良市登大路町48番地

東大寺

奈良公園の最大の見所が世界遺産である東大寺です。東大寺は奈良の大仏として有名な廬舎那仏がある巨大なお寺です。聖武天皇が日本全国の総本山として東大寺を建立しました。朝廷によって日本全国を統治する際に、その中心として仏教が定められ、そしてその象徴が東大寺の大仏なのです。

この東大寺は建立されたのが奈良時代ですがそれ以降の平安時代には興福寺と共に多数の僧兵をかかえ、権勢をほこりました。その後平家が勃興してくるとともにこれと対立し、平重衡によって興福寺もろとも焼き打ちにあい焼失してしまいます。その後鎌倉時代に東大寺中興の祖といわれる重源によって再興されますが、戦国時代には再び兵火によって大仏殿を初め多くの建物が焼失しました。

この戦国時代の焼き討ちでは有名な松永弾正によって焼き討ちにあいました。松永弾正はこの東大寺の焼き討ち、将軍義輝の殺害、更に主君三好家ののっとりを行ったことから、天下三悪人と呼ばれた人物です。東大寺がその後復活したのは、江戸時代にはいってからです。この時、焼失していた大仏殿も復活し、この三代目大仏殿が現代まで残っています。

因みに建物の多くは創建当初のものを再現して作られていますが、この大仏殿は奥行と高さが創建時とほぼ同じの大きさで、東西の幅は3分の2になっています。この大きさは高さ46.8メートル、間口57メートル、奥行き50.5メートルで、世界最大の木造建築物です。

大仏殿の内部には隆朝14.7メートルの巨大な廬舎那仏が供え、圧倒的な迫力を目の当たりにできます。東大寺にはこのほか、多数の国宝が登場し、入り口の南大門や数多くの宝物が納められている正倉院、更には東のエリアには、三月堂や二月堂など多くの見所が登場します。奈良公園最大の観光スポットとしておすすめです。

東大寺大仏

春日大社

奈良公園の三大スポットの一つが春日大社です。この春日大社は藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神をまつった神社です。いわば興福寺が藤原氏の氏寺で、春日大社は藤原氏の氏神を祀っているのです。こうした関係から、興福寺との関係が深く、神仏習合の過程において一体となっていきました。

因みに興福寺は平安時代には多数の僧兵を抱え、強訴といってさまざまな要求を武力を背景に行っていましたが、この強訴の際に春日大社の御神木を封じて強訴を行っていたと言われています。春日大社も世界遺産の一つに認定されており、鮮やかな朱塗りの境内が最大の見所です。

ここでは本社、本殿4棟の建物が国宝に登録されており、回りながら参拝することができます。また春日大社では、刀剣・甲冑・美術工芸品など多数の国宝と重要文化財が所蔵されており、こうした文化財の豊富さから平安の正倉院といわれており、春日大社国宝殿でみることができます。

春日大社

まとめ

「ならまち」は古都奈良に残る江戸情緒あふれる町並みとして、数多くの見所が登場します。世界遺産である元興寺を中心にかつてその境内であった町が、江戸時代には商業と工業の中心として発展した名残を楽しむことができます。また、すぐ近くにある奈良公園では、東大寺、興福寺、春日大社などと共に日本有数の世界遺産を目の当たりにできます。是非奈良観光の一つとして「ならまち」を訪れてみてはいかがでしょうか。