奈良公園の回り方。東大寺、興福寺、春日大社

名勝、奈良公園とは

今回ご紹介する奈良公園は、奈良の観光スポットを代表する場所です。修学旅行ではお決まりのコースであるとともに、ここには世界遺産である東大寺や興福寺、春日大社といった最大の見所スポットが集まっており、日本国内だけではなく世界中からも多くの観光客が訪れます。

そんな奈良公園は、総面積は502ヘクタールという非常に広大な公園で、そこではさまざまな見所スポットが登場します。今回な奈良観光の最大の見所でもある奈良公園の回り方とおススメスポットをご紹介しましょう。

奈良公園

奈良公園の歴史

奈良は今から遡ることでおよそ1300年ほど昔には、日本の都があった場所です。京都の平安京に遷都するまでは、平城京が置かれ、日本の政治の中心でもまったのです。当時の政治は、中国から伝わった仏教を国の柱として、仏教で人の心を一つにし、年貢などを徴収していたのです。

そんな当時の仏教の中心ともいえる場所が、平城京の門前町として作られた奈良公園の一体です。東大寺は日本全国の仏教の中心として巨大な大仏殿が作られました。また興福寺は平城京に都が移されるにおよび、天皇家と藤原家によって拡大されたお寺です。

更に春日大社は、平安時代を通じて権勢をふるった藤原氏の祭神として作られたのです。言うなれば、現在の奈良公園は、平城京の門前町として、また、日本を統治する仏教界の中心として栄えた場所なのです。

ちなみにここ奈良公園にある観光スポットは、1300年以上昔のままほとんどの建築物が残されており、「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されています。そんな奈良公園は他では見ることが出来ない巨大な歴史的建築物が目の当たりにできます。

奈良公園の3大スポット。見所と回り方

奈良公園は、総面積660ヘクタールという非常に広大な面積を持っています。そしてメインとなる観光エリアは大きく分けると3つのエリアに分類することができます。第一が東大寺がある東大寺エリアです。ここでは巨大な大仏殿をはじめ、南大門や二月堂など国宝級の歴史的建造物が目白押しです。

そして第二のエリアが春日大社エリアです。春日大社エリアは東大寺エリアから車で5分ほど、歩くと20分ほどの場所にある場所で、同じく世界遺産の春日大社を見ることができます。

そして第三のエリアが興福寺エリアです。興福寺エリアは、戦国時代まで奈良の実質的な国主であった興福寺の巨大な建築物が登場します。こうした3つのエリア以外に、奈良公園には奈良国立博物館や、正倉院、鹿公園などが存在します。

東大寺エリア

奈良公園の三大見所スポットの一つが、東大寺エリアです。東大寺といえば「奈良の大仏」で知られる巨大な廬舎那仏があるお寺で、日本全国の仏教のお寺のいわば総代表ともいえるお寺です。時の聖武天皇が、日本全国を統治する国の柱として、仏教を考え、そしてその象徴として築いたのが東大寺と廬舎那仏であり、当時の日本の60余か国に建立させた国分寺のいわば中心的な存在「総国分寺」なのです。

そんな東大寺には見所が盛りだくさんです。この東大寺があるエリアは、奈良公園の北東にあるエリアで、東大寺南大門から始まり、中心部にある大仏殿をはじめ、東には戒壇院、西には開山堂、二月堂とかなりの広さを誇ります。東大寺エリアだけで全てを見ようとすると2時間から3時間ほどかかります。

東大寺

東大寺エリアの回り方

東大寺エリアを回る前に全体図についてご紹介しましょう。東大寺エリアは、入り口である南大門をくぐると正面にメインである東大寺大仏殿があります。一方大仏殿を中心に東側にある二月堂や開山堂の一体があります。また西側には戒壇院のみですので、大仏殿の背後にある正倉院とセットで見るのがおススメです。

東大寺エリアを全て網羅したいのであれば、東大寺大仏殿、戒壇院、正倉院、東側の二月堂、開山堂の順番で回るとスムーズに見ることができます。また、メインスポットだけ観光したい場合には、東大寺大仏殿と、東エリアにある二月堂や開山堂がおススメです。

南大門。国宝で日本最大の寺の門

東大寺はまず初めに入り口から圧倒されます。最初に登場するのが国宝である南大門です。この南大門は、平安時代である962年に一度台風で倒壊しましたが、その後鎌倉時代、1199年に再建されて以来、現代まで続いている巨大な門です。この南大門は東大寺中興の祖といわれる俊乗房重源が本場中国である宋から伝えた建築様式大仏様で作られています。

この門の高さは基壇上25.46メートルもの巨大なもので、大円柱といわれる巨大な柱は高さ21メートル、その圧倒的な迫力は遠くから見てもその異様な巨大さが感じられます。お寺の門としては日本国内で最大級の大きさをほこります。この南大門は門そのものが国宝に指定されていますが、門に設置されている高さ8.4メートルもの大きさを誇る木造金剛力士立像も国宝です。

この木造金剛力士像は南大門が再建されてから数年後の1203年に作られたもので、大仏師運慶、備中法橋湛慶、安阿弥陀仏快慶、越後法橋定覚によって作られました。金剛力士像は2体配置されており、口を閉じた吽形と、口を開けた阿形が配置されています。

こちらの金剛力士像も巨大で迫力があります。更に、金剛力士像の背後には石造獅子が1対配置されており、こちらは重要文化財に登録されています。

東大寺南大門

金堂。東大寺大仏殿、高さ46.8メートル国内最大の木造建築

南大門をくぐると登場するのが東大寺中門で、この中門の先にメインスポットである東大寺大仏殿が登場します。この大仏殿は正式には金堂といいますが一般的には東大寺大仏殿の名前で知られています。この大仏殿はなんと、日本国内最大級の木造建築物として知られ、中門から除くだけでもその圧倒的な巨大さに目を奪われることでしょう。

その大きさはなんと高さ46.8メートル、間口57メートル、奥行50.5メートルにも及ぶもので、これほど巨大な木造の建物を目にする機会はありません。ちなみに、この大仏殿は2度の火災で焼失したもので、聖武天皇が建設した当初のものにくらべ、三分の二程度の大きさだったと言われています。

二度の火災のうち一度目は、平安末期に平家の武将である平重衡によって焼き払われました。当時、奈良のお寺は南都六宗といわれ、平家に歯向かうほどの武力をもち勢威をふるっており、興福寺を中心に平重衡が攻めた際に焼失しました。

その後再建されましたが、戦国時代に二度目の兵火によって焼失します。戦国時代まで奈良は興福寺の寺領でしたが、有名な松永弾正久秀が大和一国を手中に収めようと支配を広げます。その過程で、東大寺大仏殿を焼き払うという所業を行いました。

この行いには有名な織田信長でも松永久秀を紹介するときのエピソードに使ったともいわれています。その後、東大寺大仏殿は、江戸時代の元禄3年に再建されたもので、現在までつづいています。この大仏殿も国宝として、巨大な姿が楽しめます。

東大寺大仏殿

東大寺大仏。高さ14.7メートルの大仏

東大寺大仏殿の中にあるのが、高さ14.7メートルの巨大な大仏で、廬舎那仏の名前でしられています。聖武天皇が大仏開眼を行うために建設した大仏ですが、こちらも大仏殿の2階の焼失により、江戸時代に再建されたものになります。

こちらは巨大な大仏殿と相まって、その中に入ると圧倒的な迫力をもって見ることができます。聖武天皇は日本の統治の柱として日本全国にお寺をたて、その精神的象徴として、大仏をつくりましたが、その中心となる存在がこの東大寺の廬舎那仏です。この廬舎那仏は国宝でさすが左右に置かれている木造如意輪観音坐像・虚空蔵菩薩坐像も重要文化財として見ることができます。

東大寺大仏

東大寺開山堂

お次にご紹介するのが、東大寺大仏殿から東にいったエリア東方丘陵部の一画を「上院」と呼ぶエリアです。こちらではこれからご紹介する開山堂をはじめ、二月堂や三月堂があります。開山堂とは、開山、すなわち仏教寺院に最初に住んだ僧のことを祀った堂のことです。

ここ東大寺開山堂は初代住職である良弁を祀った建物で、内陣は西暦1200年、外陣は1250年に作られました。南大門と合わせて数少ない大仏様の建物であり、国宝に登録されています。

東大寺開山堂

二月堂

東大寺の東のエリアにある見所スポットの一つが二月堂です。二月堂は平重衡と松永久秀の二度の兵火からも焼失を免れたとされますが、江戸時代にお水取りの最終に焼失し、その2年後に再建された建物です。ちなみにお水取りとは修二会ともいわれる宗教行事です。この二月堂も国宝に登録されており、その姿をみることができます。

東大寺二月堂

三月堂

二月堂の隣にあるもう一つの国宝が三月堂です。三月堂は、正式には東大寺法華堂といわれる建物で、奈良時代から残る貴重な建物です。内部には10体もの仏像が安置されています。この仏像はみることができませんが、不空羂索観音立像や梵天・帝釈天立像、金剛力士立像、四天王立像、執金剛神立像などいずれも国宝に登録されています。

東大寺三月堂

鐘楼。国宝で最大の大きさ

お寺には鐘楼が多くみられますが、東大寺の鐘楼は国内最大級の大きさを誇っており、なんと吊られている梵鐘は、大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)に作られたと言われています。その古さから国宝にも登録されており、高385センチ、口径271センチという大きさを誇ります。ちなみにこの梵鐘は人間に例えられ、奈良次郎ともいわれているのです。

東大寺 鐘楼

戒壇院

東大寺の大仏殿から西に行ったところにある建物が東大寺戒壇院です。戒壇院とは、いわば僧侶の資格を授ける場所といってもよいでしょう。もともと仏教は中国から輸入したものであることから、僧侶は日本にはいませんでした。そのため、日本全国にお寺を設けるだけではなく僧侶を要請することも必要だったのです。

そしてその僧侶を育てる施設が戒壇院だったのです。戒壇院は、当時中国から来日した鑑真が設けたもので、日本全国に三カ所設けられたのです。それが、東大寺の中央戒壇、九州大宰府の西戒壇、そして栃木県下野にある東戒壇です。

東大寺戒壇院

春日大社エリア

奈良公園の三大エリアの一つが、春日大社エリアです。春日大社も世界遺産で国宝に登録されている観光スポットです。この春日大社エリアでは、春日大社をはじめ植物園などがあります。春日大社は日本全国に存在する1000社の春日大社の総本社として知られ、奈良公園の三大スポットのうちの一つです。

春日大社

春日大社。藤原氏の氏神で国宝

春日大社は、日本全国に存在する1000社の春日神社の本社として知られます。奈良の観光スポットの中でも一大観光スポットとしてしられ、国宝と世界遺産に登録されている境内は、毎年数多くの観光客が押し寄せます。この春日大社ですが、もともと藤原氏の氏神として祀られたのが始まりで、同じく藤原氏の氏寺である興福寺とは深いかかわりがあるお寺です。

藤原氏は、大化の改新で知られる中臣鎌足の息子、藤原不比等から始まった日本を代表する氏族で、平安時代を通じて日本の政治の中枢をつかさどってきました。その氏神であった春日大社も藤原氏の興隆と共に発展してきたのです。中でもこの春日大社で行われるお祭りである春日祭は、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに三勅祭として知られています。

春日大社

国宝の本殿の4棟

春日大社の最大の見所は国宝である4棟の本殿です。この本殿は春日造といわれ、第一殿に武甕槌命、第二殿に経津主命、第三殿に天児屋根命、第四殿に比売神が祀られています。朱塗りの美しい境内で、回廊のようになっており、回ってみることができる広大な神社です。東西南北で回廊があり、南回廊は、南門を中心に東西に21メートル、東回廊は37メートル、西の回廊は57メートルと、それぞれで回廊の長さが異なります。

春日大社

平安の正倉院といわれる国宝たち

春日大社のもう一つの特長は、多数の国宝を所蔵している点です。そうしたことから平安の正倉院といわれており、所蔵される品は太刀や大鎧などが多数存在し、国宝は13点、重要文化財に登録されている品も数十点に上ります。こうした国宝、重要文化財は、春日大社国宝殿で観賞することができます。

春日大社万葉植物園

春日大社の前には、春日大社万葉植物園があります。万葉植物園とは歌集として有名な『万葉集』に収録される歌に詠まれている植物が展示されている植物園です。ちなみに万葉集に登場する歌は4500首、中でも登場する植物の数は150に上ります。

こうしたことから、万葉植物園といわれる植物園は日本全国に存在します。この春日大社にある万葉植物園は、約3へクタールもの広さがあり、大きく3つのエリア、萬葉園・五穀の里・ 椿園・藤の園に分けられています。ここでは中でも春日大社の定紋である下り藤が有名です。

春日大社万葉庭園

興福寺エリア

奈良公園の三大エリアのうちの、もう一つの見所エリアが興福寺エリアです。興福寺も世界遺産に登録されているだけではなく、ここは旧境内が国の史跡に指定されているうえに、所有する国宝は26件、重要文化財は44件にも上ります。

ちなみにのちに詳しくご紹介しますが、興福寺は単なるお寺ではなく、平安時代から鎌倉時代、室町時代、戦国時代にいたるまで、大和といわれた奈良一国の領主だったお寺で、この地域で絶大な勢力を誇ったことでもしられています。

また、戦国時代から江戸時代にかけては興福寺は槍が盛んで宝蔵院流槍術の中心として知られていました。そんな興福寺は今では多数の観光客が訪れる一大スポットでもあるのです。

南都北嶺といわれるほど、強大な勢力をほこった興福寺です。

興福寺エリアの回り方

興福寺エリアは、東大寺エリアからは車で5分ほど、歩いて15分から20分ほどの場所にある一大エリアです。ここは、かつて大和の国の中心であった興福寺の巨大な敷地で、国宝である東金堂から五重塔、北円堂、三重塔をはじめ多数の文化財が登場します。

また、興福寺にも多数の国宝や重要文化財が収蔵されていることから、こうした文化財が見られる国宝館があります。建築物と仏像などの文化財を合わせて見ることができます。

興福寺とは。藤原氏の氏寺にして大和一国の国主

興福寺は藤原氏の祖ともいえる藤原不比等が作った藤原氏の氏寺です。その始まりは不比等の父である中臣鎌足の病気平癒を願って作られた飛鳥の山階寺です。710年に都が平城京に遷都されるに従い、その子、藤原不比等がこの地に移したのが始まりとされ、以来藤原氏の氏寺として始まりました。

もともと藤原氏の氏寺であった興福寺は、その後平安時代には七大寺の一つに数えられるほどに成長し、権勢をふるった藤原氏を背景に次々と勢力を拡大し、平安時代には春日大社の実権を、更には大和一国の荘園の支配権を確立、事実上大和一国の国主となり、その権勢の大きさから、比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」と称され、勢力をほこりました。

一般的に平安時代には荘園の支配権は貴族が、鎌倉時代から室町時代にかけては武家が支配権を持っていましたが、大和一国は興福寺がお寺でありながら支配していたのです。そのため大和の地侍たちも興福寺が支配しており、戦国時代まで守護不在の国でした。

こうした権勢を持っていることから、時の勢力と対立し、平家が勢力をふるっていた時には平清盛の子供である平重衡の焼き討ちにあい、東大寺と同様多数の伽藍が焼失しました。また、大和一国は戦国時代には、興福寺の宗徒であった筒井氏が支配しますが、下剋上で台頭してきた松永久秀に追われ、ここで大和一国は武士の手に落ちたのです。

そんな興福寺はその後の江戸時代には2万石を有し、明治後、奈良公園の一部になりました。こうした歴史的経緯を持っていることから、建物は非常に巨大で大和一国に勢威をほこった興福寺の凄さがわかります。

興福寺

東金堂。国宝の建物

興福寺には国宝の建物が4棟存在しますが、最初に登場するのが東金堂です。東金堂は、東大寺の大仏を作った聖武天皇が伯母の病気平癒のために開設したのがはじまりです。一度室町時代の1411年に五重塔と共に焼失しますが、その後1415年に再建されました。

この東金堂は創建当時の姿が再現され、現代まで続いています。東金堂は建物そのものも国宝ですが、内部にある木造維摩居士坐像、木造文殊菩薩坐像、木造四天王立像、木造十二神将立像といった国宝の仏像が所蔵されています。

興福寺

巨大な金堂です。

五重塔。高さ50メートルの巨大な国宝

興福寺では五重塔も国宝です。この五重塔も東金堂と共に室町時代の1411年に焼失しましたが、1426年に再建されたものです。この五重塔の最大の特長は高さ50.1メートルもの巨大なもので、京都の東寺の五重塔について、日本では二番目に高い五重塔です。圧倒的な迫力で目の当たりにできます。

興福寺

北円堂。国宝の八角堂

興福寺に現存する国宝の一つが北円堂です。この北円堂は八角形をした堂で、藤原不比等の一回忌を記念して作られた建物です。こちらは平重衡の兵火によって焼失しましたが、1210年に再建された建物で興福寺に現存する建物のなかでは最も古い建物といわれています。こちらでも木造弥勒仏坐像、木造無著菩薩・世親菩薩立像、木心乾漆四天王立像といった国宝の仏像が安置されています。

興福寺 北円堂

三重塔。鎌倉時代に作られた国宝

興福寺のなかでもう一つ国宝に指定されている塔が三重塔です。三重塔は鎌倉時代前期に作られた建物で、その後の室町時代や江戸時代などの火災などでも焼失していない建物です。

興福寺 三重塔

南円堂

藤原氏ゆかりの興福寺は、創建した藤原不比等が亡くなった後でも藤原氏の氏寺としてかかわりが深かったお寺です。南円堂はそんな藤原北家の藤原冬嗣が、父・内麻呂の追善のため建設した建物です。この建物は江戸時代である1741年に再建されたことから重要文化財に登録されています。

興福寺 南円堂

日本庭園エリア

奈良公園は、大きく分類して東大寺エリアと興福寺エリア、春日大社エリアに分類されますが、それ以外にも数々の見所スポットが登場します。中でも美しい日本庭園があるエリアがあり、二つの日本庭園、吉城園と依水園は是非訪れておきたい観光スポットです。二つとも東大寺のエリアから歩いて5分ほどの場所にあり、歩いていくこともできます。

東大寺 依水園

依水園

依水園は国の名勝に登録されている池泉回遊式庭園です。この日本庭園は二つの部分に分かれています。前園と後園で、前園は江戸時代に、後援は明治時代に作られました。前園は1673年に晒職人であった清須美道清が作ったものとされ、後園は、実業家関藤次郎が築いたもので、庭は裏千家の十二世又妙斎宗室が手掛けたとされています。

邸内には三秀亭、氷心亭といった日本家屋をはじめ、寧楽美術館という古代中国の青銅器や日本の陶磁器を集めた美術館があります。

東大寺 依水園

吉城園

もう一つの庭園が吉城園です。この吉城園はもともと興福寺の子院であった摩尼珠院があった場所だとされています。明治時代には民間にわたり、現在は奈良県所有の日本庭園です。この吉城園は池の庭、苔の庭、茶花の庭という3つのエリアから構成されており、江戸時代からの自然地形がいかされた美しい庭を見ることができます。また、奈良県指定有形文化財に指定されている旧正法院家住宅や離れの茶室などが見ることができます。

東大寺 古城園

奈良国立博物館

奈良公園にある観光スポットの一つとして、おススメの場所が奈良国立博物館です。日本には東京国立博物館、京都国立博物館、九州国立博物館がありますがそのうちの一つです。この奈良国立博物館が有名なのは、毎年秋に開催される正倉院展の会場として知られています。

また奈良国立博物館自体も宮廷建築家・片山東熊の設計によって作られた重要文化財です。この片山東熊とは赤坂離宮などの設計も手掛けた人物で、奈良国立博物館は明治時代に建てられました。ここでは数々の国宝が所蔵されており、多数の菩薩像などが国宝として見ることが出来ます。こちらも東大寺、興福寺、春日大社などの国宝の建築物などとともに訪れるとより奈良の文化財に触れることができます。

鹿と触れ合える公園

奈良公園のもう一つの特長が鹿と触れ合える公園という点です。広大な公園のいたるところに鹿が生息しており、それは東大寺や春日大社、興福寺などにも鹿がふつうにあるいています。ちなみにこの奈良公園の鹿はただの鹿ではなく、「奈良のシカ」として国の天然記念物に指定されているのです。

こうした背景の一つとして、奈良公園での鹿の生息はいまにはじまったわけではなく、遠い古い時代からだと思われます。というのも春日大社に参詣する人々が鹿を見かけ、神の使いとして鹿をとらえていました。そのため、ふるくから奈良の鹿を殺めることは禁じられ、誤って殺してしまった場合にも極刑に処されたという話も残されているほどです。

現在、鹿の数は1000頭以上も生息しているとされ、鹿せんべいなども販売され観光客にも恐れずに鹿が近寄ってきます。鹿は奈良公園のいろいろな場所にいるため、子供たちにも大人気です。

奈良公園

奈良公園の周辺観光スポット

奈良公園は東大寺、興福寺、春日大社、奈良国立博物館など巨大な観光スポットが多数登場しますが、奈良公園の周辺にもさまざまな見所スポットが登場します。ここでは奈良公園の周辺にあり一緒に見たいおススメの観光スポットをご紹介します。

ならまち。古き良き町並み

興福寺のすぐ南には、古き良き町並みが広がっています。この町並みを「奈良町」といい、江戸時代にはお伊勢参りの宿場町として栄えました。ここでは昔ながらの町並みを見ることが出来るとともに、元興寺の門前町としても観光を楽しめます。奈良町の見所は次にご紹介する元興寺で、そのほかにも昔の邸宅である奈良町格子の家や、名勝大乗院庭園などが登場します。

奈良町

元興寺。蘇我氏ゆかりのお寺

奈良町の最大の見所が国宝の境内をもち、世界遺産にも登録されている元興寺です。元興寺は、飛鳥時代に権勢をふるい、滅ぼされた蘇我氏のゆかりのお寺として知られています。蘇我氏の氏寺は、明日香地方に作られた飛鳥寺がありますが、この元興寺は、飛鳥寺の後進となるお寺です。

奈良のお寺では興福寺と東大寺が巨大で圧倒的なスケールをほこっていますが、この元興寺も奈良時代までは同じくらいの勢力をほこってたのです。その後時代が変わって元興寺は衰退していきましたが、国宝の本堂は鎌倉時代に作られたものとして一見の価値ありです。また同時に禅室と五重小塔という二つの国宝も残されています。

元興寺

新薬師寺

奈良公園のうち春日大社のあるエリアから南にある名所が新薬師寺です。新薬師寺も国宝に登録されるお寺として、本堂や十二神将などの見所が登場します。新薬師寺が作られたのは8世紀中ごろで東大寺の大仏殿を作った聖武天皇ともいわれています。

奈良のお寺は東大寺や興福寺のように巨大な伽藍を誇りましたが新薬師寺も大きな敷地を有していたと言われています。その一方で、東大寺や興福寺が平重衡の兵火などによって焼失しましたが新薬師寺はこうした兵火からも残ったのです。見所は国宝の本堂で、本堂の内部には同じく国宝である十二神将が展示されています。

新薬師寺

まとめ

これまでご紹介してきたように奈良公園は、奈良観光の最大の目玉が勢ぞろいした観光スポットです。世界遺産である東大寺、興福寺、春日大社をはじめ、その広大な面積には歴史的な観光スポットから、自然あふれる公園が広がります。

またそこに登場する神社仏閣はいずれも歴史的に非常に価値があり、国宝として存在します。とりわけ東大寺や興福寺は、その建築物の圧倒的な巨大さにも目を奪われることでしょう。一方、奈良公園はこうした有名スポット以外にも美しい日本庭園や国立博物館など奥が深い観光が楽しめます。是非奈良観光の最大の名所としておススメです。