奈良市のおススメ観光スポットと回りかた

南都といわれた一大観光スポット

奈良の平城京は京都の長岡京に移るまでの74年間、日本の首都として存在した都です。南都といわれ、奈良時代と仏教伝来を象徴する都として知られています。周辺には数多くのお寺が建てられ、東大寺や興福寺、唐招提寺や薬師寺など、奈良の世界遺産を代表する観光スポットが登場します。

またかつての都であった平城京も平成の大改修によって、巨大な朱雀大路や朱雀門などが復元され、一大観光スポットとしても注目を集めつつあります。さらに、南都六宗の一つとして、戦国時代まで実質的な奈良の国主であった興福寺の中金堂の再建が落成し、古都奈良の観光が更に注目を浴びつつあります。今回はそんな日本有数の観光地である古都奈良の主要部分である奈良市のおススメ観光スポットと回りかたをご紹介します。

東大寺大仏

奈良市(古都奈良)3つの観光エリアと回りかた

奈良市の観光エリアは大きく分類して、3つのエリアに分けることができます。第一が、最大の観光エリアである奈良公園です。奈良公園は、東大寺、興福寺、春日大社を中心とした巨大な公園で、古都奈良を代表する観光エリアです。第二のエリアが平城京エリアです。この平城京エリアは古都平城京を中心に、唐招提寺や薬師寺、法華寺などのお寺が登場します。

また第三のエリアは奈良の主要部から少し離れていますが柳生の里です。こちらは古都奈良にちなむものではありませんが、戦国時代から江戸時代を通じて剣豪として知られる柳生石舟斎や、柳生宗矩などを輩出した柳生氏の居城だったエリアです。

奈良市の観光では第一の奈良公園エリアと第二の平城京エリアが中心ですが、剣豪好きや歴史好きの方には柳生の里もおすすめの観光スポットです。それぞれ、範囲は非常に広いため、1日で3つのエリアを回ることは難しいので、1日ずつ分けるか、代表的なポイントを決めてまわるのがおススメです。

奈良公園エリア。古都奈良の神社仏閣が集結

一番最初にご紹介するのが奈良公園のエリアです。奈良公園は、国の名勝にも登録されている巨大な公園です。その大部分が国有地で、奈良県が無償で借用している都市公園なのです。正式には奈良県立都市公園 奈良公園といわれるもので、その総面積は東大寺や興福寺などを含めると660ヘクタールで、東京ドームが140個以上入る広さです。

この奈良公園にはいわば奈良を代表する国宝、世界遺産がめじろおしで、日本国内からだけではなく海外からの観光客で連日にぎわう場所なのです。また、JR奈良駅や近鉄奈良駅を降りてアクセスできる一番最初の観光エリアであり、周辺の奈良町なども含めると1日ではとても回り切れないほどの観光スポットが登場します。

奈良公園

奈良公園エリアの回りかた

奈良公園エリアは、東大寺や興福寺、春日大社など周辺エリアも含めると660ヘクタールにも及ぶ巨大な公園になります。ここでは、そのおススメの回りかたをご紹介するとともに、見所スポットをご紹介します。奈良公園へアクセスするには、近鉄奈良駅からは徒歩5分、JR奈良駅からはちょっと遠くて歩いて約20分ほどかかります。歩いて回るのもいいですが、ぐるっとバスという周遊バスがでており、バスでまわるのがおススメです。

バスでは近鉄奈良駅から奈良公園前が約2分、東大寺まではおよそ6分、春日大社までは20分ほどでアクセス可能です。このぐるっとバスはJR奈良駅からも出ており、こちらからだと奈良公園前まで9分、東大寺まで13分、春日大社まで27分です。車でアクセスすることも可能ですが、東大寺や興福寺、春日大社など各スポットで駐車料金がかかるため、どこか1カ所に車を止めて歩いて回るかバスでまわるのもいいでしょう。

また、くるまだと周辺の渋滞などで非常に混雑することから、バスや徒歩、もしくはレンタサイクルなどがおススメです。

主要3エリア(東大寺、興福寺、春日大社)でも古都奈良を堪能できる

奈良公園では、東大寺、興福寺、春日大社の主要3エリアだけでも数多くの国宝が登場するため十分古都奈良を堪能することができます。こちらは、いずれも世界遺産に登録されており、3か所をくまなくみるだけでも1日がかりです。また余裕がある場合には、興福寺のすぐ近くにある元興寺と奈良町、更に新薬師寺あたりまで回ってもいいでしょう。

東大寺。巨大な大仏殿と廬舎那仏が見所

奈良公園で最大の見所が、いわゆる「奈良の大仏」が登場する東大寺です。東大寺は、聖武天皇によって作られた日本の仏教の総本山といっても過言ではないお寺です。仏教は飛鳥時代に日本につたわりましたが、本格的に国を統治する柱として機能しはじめたのが奈良時代になってからです。

日本全国の各地に国分寺がつくられ、その総本山、総国分寺ともいえる存在が東大寺です。そしてその建設の中でも最も力がそそがれたのが高さ14.7メートルもの巨大な廬舎那仏です。さらにこの大仏がおかれている大仏殿は、東西の幅57.5メートル、奥行き50.5メートル、高さ49.1メートルという世界最大の木造建築物といわれています。

東大寺は都が京都に移されてからも、となりの興福寺と共に強大な勢力をほこり、平安時代にはたびたび強訴などを行ったとされています。こうした点から二度焼き打ちにあい、一度は平安時代に武士として台頭してきた平氏の一門、平重衡によって、また二度目は戦国時代に三好家の重臣として奈良に勢力を拡大してきた松永久秀によって焼き討ちされてます。その後江戸時代にはいって再建され、現在の姿に復興されたのです。

東大寺

正倉院。国宝で世界遺産の倉庫

東大寺には主要エリアである大仏殿や廬舎那仏だけではなくその周辺にもさまざまな見所が登場します。この大仏殿の奥には有名な正倉院が存在します。正倉院とは高床式の倉庫で聖武天皇と光明皇后ゆかりの文化財が保存されていた倉庫です。

東大寺の倉庫として明治時代まで続き、明治政府以降は日本政府が管理している倉庫です。文化財の一大宝庫といわれており、奈良時代にシルクロードを伝って日本に伝来した唐やペルシャなどからの輸入品などもこの正倉院に保存されていました。こちらの正倉院は内部に入ることはできませんが、外からその姿を見ることができます。

正倉院

正倉院

二月堂や三月堂がある東エリア

東大寺には東のエリアに、二月堂や三月堂といわれる歴史的建造物が登場します。この二月堂と三月堂も国宝に登録されている貴重な建物で、いずれも江戸時代に再建されたものになります。二月堂はお水取が行われる建物で、三月堂は別名法華堂といわれ奈良時代の10体もの仏像が保存されている建物です。こちらの東エリアには、奈良次郎といわれる国宝の梵鐘や、開山堂、行基堂などもあります。

東大寺二月堂

東大寺二月堂です。

春日大社。朱塗りの境内と武将たちの灯籠が登場

奈良公園の三大スポットの一つが春日大社です。春日大社は日本全国に存在する春日神社の総本社です。こちらも古都奈良の文化財の一つとして世界遺産に登録されており、国宝、重要文化財の歴史的建築物がまのあたりにできます。春日大社はもともと奈良時代から平安時代にかけて朝廷の政治の中心であった藤原氏の氏神を祀る神社として創建されました。

祀られているのが藤原氏の守護神武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神です。藤原氏の祖である藤原不比等によって作られ、同じく藤原氏の氏寺である興福寺とともに、奈良時代から平安時代に勢力をほこりました。この春日大社の最大の見所は、朱塗りの境内で、春日造といわれる独特の4棟並んだ本殿を初め、回廊式の境内をまわることができます。この4棟の本殿にはそれぞれ4人の守護神が祭られています。

春日大社

また、春日大社には特別天然記念物として周辺を囲む春日山原始林などがあります。この春日大社には数々の有名武将が奉納した灯籠なども見ることができます。戦国時代に築城の名手として知られた藤堂高虎や上杉家の軍師としてささえた直江兼次など、多くの武将の方納品がみることができます。さらに春日大社には国宝殿で数々の文化財が見れたり、万葉植物園で美しい草花を目の当たりにできます。

春日大社万葉庭園

興福寺。中金堂が再建、巨大な五重塔も見応えあり

奈良公園の3大エリアの一つが興福寺です。興福寺は、これまでご紹介してきた東大寺、春日大社ともかかわりが深く、特に春日大社が藤原氏の氏神であり、興福寺が藤原氏の氏寺という関係から、両者は長きにわたり、大和一国に勢力をほこっていました。因みに、昔の日本においては、各国に国司といわれる行政長官が置かれましたが、大和一国は実質的に興福寺が支配していると言われ、その支配力は戦国時代あたりまで続いていたと考えられます。

興福寺は多くの僧兵をかかえるとともに、その強大な勢力を背景に、たびたび強訴などを行ったとされています。因みに強訴の際に興福寺の僧兵が担いでいたのが春日大社の御神木とされており、平安時代末期には武家政権として勢力を拡大した兵士の一門、平重衡に東大寺と共に焼き打ちにされてしまいます。

現在の興福寺の建物は室町時代などに再建されました。興福寺の中で最大の見所のひとつが国宝である五重塔です。この五重塔は高さ50.1メートルで、京都の東寺の五重塔についで二番目に大きい五重塔です。また最近では、2010年に着工した中金堂が8年の歳月をへて完成し、巨大な金堂が注目を集めています。さらに興福寺では国宝の東金堂や三重塔、北円堂などが登場します。

興福寺

巨大な五重塔は圧倒的な迫力です。

元興寺

奈良公園のすぐ隣の観光スポットとして、奈良町と世界遺産である元興寺も見所のひとつです。元興寺は日本で最初の官寺である法興寺が前身です。法興寺は飛鳥時代を代表する政治家である蘇我馬子が建設したお寺で、平城京に遷都した際に移され元興寺になりました。ちなみに法興寺の後には飛鳥寺が建てられ、いまも飛鳥地方の観光スポットの一つとして目の当たりにできます。

現在の元興寺はコンパクトなお寺ですが、かつては南都七大寺の一つとして強勢をほこり、興福寺とともにその勢力は強大でした。現在の奈良町の一体ももともとは元興寺の境内だった部分です。元興寺では国宝である本堂や禅室などがまのあたりにできます。

元興寺

奈良町

かつての元興寺の境内であり、室町時代から江戸時代まで商工業都市として栄えた町が奈良町です。元興寺が衰えていった一方で、その境内の内部でさまざまな産業が生まれていたのです。筆や墨、蚊帳や晒し、刀や布団、酒、醤油に至るまでさまざまな商売が営まれる活気あふれる街だったのです。この商工業都市の町並みの面影が現在も少し残されており、江戸情緒あふれる街並みをみることが出来ます。また周辺には大乗院庭園などの観光スポットもあり奈良公園周辺の観光スポットとしておすすめです。

新薬師寺

春日大社の南方にあるお寺として新薬師寺も有名です。新薬師寺は奈良時代、聖武天皇、光明皇后によって創建されたお寺として知られ、薬師如来を祀っています。かつては巨大な伽藍をほこったとされていますが現在はコンパクトながらも美しい境内が見所です。十二神将をはじめ本尊である薬師如来像が祭られており、いずれも国宝として見応えがあります。さらに本堂も国宝に登録されており、入母屋造りの貴重な姿を見ることができます。

新薬師寺

平城京エリア。復活する平城京と、周辺の世界遺産

奈良市の観光エリアのうち、もう一つの見所が平城京エリアです。奈良市は冒頭でもご紹介したとおり、古都奈良の文化財として世界遺産に登録されているスポットが多数登場しますが、古都とは平城京のことです。平城京は京都の長岡京、平安京に遷都するまでの70年間近く、日本の都であった場所で、奈良時代を象徴する歴史的建築物なのです。

この平城京を中心に、唐招提寺や薬師寺、法華寺、西大寺といった数々の観光スポットがあるのがこのエリアの見所です。いずれも奈良時代ゆかりのお寺で、唐招提寺は唐からよばれた鑑真和上が建てたお寺として有名です。また薬師寺は興福寺や東大寺と共に南都七大寺の一つに数えられるお寺で、飛鳥から移されたお寺です。さらに東大寺と並ぶ存在であった西大寺や法華寺など見所が盛りだくさんです。

平城京歴史公園

平城京エリアの回りかた

平城京エリアの回りかたは車で回るのがベストです。奈良公園とは違い、各観光スポットが離れた場所にあるため、歩いて回るのは不可能です。またバスなどを使うにしても場所がバラバラであるため車で回る方が効率的です。平城京を再建した平城京歴史公園を中心に、その周りにある西大寺と法華寺を回ったり、奈良のもう一つの世界遺産である法隆寺へアクセスする途中で薬師寺や唐招提寺を回ってもいいでしょう。

平城京歴史公園。巨大な古都が復活

平城京エリアで最大の見所の一つが平城京歴史公園です。平城京歴史公園は古都平城京の発掘跡をベースに、朱雀門や朱雀大路、大極殿などの歴史的な建築物を復刻した場所です。平城京は飛鳥地方の藤原京から遷都し、西暦710年から784年に長岡京に遷都されるまでの間、都であり続けた場所です。都城制といわれる中国の城塞都市をモデルに作られており、唐の都であった長安や、洛陽などがモデルであったとされています。

因みに都城制とは、町が碁盤の目のように区画されており、その町全体を巨大な城壁で囲まれているという都市のことをいいます。のちの京の都である平安京も都城制で、特長としては町の中央に巨大な大通りがあり、その周辺に大小さまざまな通りが設けられている点です。

平城京ではこの大通りのことを朱雀大路といい、その幅はなんと73メートルにも及びます。また平安京は平城京より若干広い82メートルの広さであり、これは現在の自動車の通る道路の25車線分に相当すると言われています。その広大な広さが感じられます。平城京跡歴史公園ではこの朱雀大路も再建されており、その先にある朱雀門と共に大迫力の古代の都が堪能することができます。

朱雀門は天皇がいる内裏の入り口ともいえる門で、いわば宮殿の入り口ともいえる存在です。かつてこの大内裏の入り口の門は四方に12の門がもうけられていましたが、その正門ともいえる存在が朱雀門です。この朱雀門から町を睥睨し、古代の都の統治の象徴といえるでしょう。平城京跡歴史公園ではこの朱雀門が復元されており、その雄大な姿がまのあたりにできます。朱雀門の入り口は奈良時代は朱雀広場といわれており、お祭りやお祝い事が行われる場所としても知られていました。

唐や朝鮮からの使節を迎えるためのお祝いなども行われた場所です。朱雀門から先には大内裏が広がり、天皇を中心に政治が行われていた朝堂が登場します。この朝堂の中心が第一次大極殿です。この内裏の中心は南北320メートル、東西180メートルの区画の宮殿で、朝廷の中心です。ここでは国家の重要な儀式がとり行われました。第一次大極殿も平城京跡歴史公園では再現されています。

平城京跡歴史公園では古代の歴史的な建築物が再現されているだけではなく、同時に、近代的な博物館としての役割も担っています。それが平城京いざない館、天平みつき館、平城京跡資料館です。平城京いざない館では、平城京に関するさまざまな展示が楽しめます。

平城京歴史公園

発掘資料や出土品、かつての平城京の様子を調査研究として展示していあります。また天平みつき館では、この地の特産品や奈良の観光スポットに関する展示が楽しめます。天平みはらし館では展望デッキが備え付けられており、そこから巨大な平城京跡を見渡すことが可能です。さらにはVRシアターやレンタサイクルなどもそろえておりますので、平城京観光には最適なスポットと言えるでしょう。

また天平うまし館ではレストランだけではなく、遣唐使船のモデルに乗ることができます。奈良時代の象徴の一つが遣唐使であり、唐の都から多くの文物が伝えられました。そんな奈良時代を丸ごと体験することができるのが平城京跡歴史公園です。

平城京歴史公園

法華寺。全国の総国分尼寺

平城京エリアにあるお寺として、古都平城京のすぐ近くに存在するのが法華寺です。法華寺は聖武天皇の皇后であった光明皇后によって開基されたお寺です。聖武天皇が開基したお寺として東大寺があり、東大寺が日本全国の国分寺を統括する総国分寺ならば、法華寺は日本全国の尼寺を統括する総国分尼寺として知られるお寺です。

本尊は国宝である十一面観音が祭られており、本堂や鐘楼は重要文化財に登録されています。法華寺は平安京に遷都して以降は荒廃していたとされ、平重衡によって東大寺や興福寺が焼き打ちされた際には法華寺も被害を受けたとされています。その後、鎌倉時代に東大寺中興の祖といわれる重源によって再建されますが、再び室町時代に焼き討ちで焼失、豊臣秀頼と淀殿によって復興されました。

法華寺の見所は他の奈良のお寺とは違い、日本庭園や浴室(からぶろ)といった落ち着いた雰囲気が魅力です。日本庭園では、国の名勝として、また浴室は重要有形民俗文化財として目の当たりにできます。こちらは江戸時代に現存する蒸し風呂で、光明皇后の伝説がある文化財です。

法華寺

西大寺

西大寺はかつて、奈良時代には南都七大寺の一つに数えられ壮大な伽藍をほこったお寺です。その名前からもわかる通り、東大寺に対抗して建てられたお寺で、当時朝廷で権勢を誇っていた道鏡の影響が強いと言われています。そのため巨大な伽藍を配備し本堂の他、東塔なども備えていたとされています。この西大寺は平安時代には衰微し、その後室町時代には焼き打ちにあうなどして多くの伽藍が焼失してしまいました。

その後、江戸時代にはいってから再建され、現代へと続く建物の多くは江戸時代に再建されたものです。建物としては本堂が重要文化財に登録されており、境内は国の史跡に登録されています。また国宝として、現在国立博物館などに寄託されていますが、絹本著色十二天像や木造叡尊坐像、金銅透彫舎利塔、金銅宝塔及び納置品など多数の国宝を所蔵することで知られています。

西大寺

西大寺

薬師寺。巨大な朱塗りの伽藍が登場

南都七大寺の一つとして、世界遺産にも登録されているのが薬師寺です。薬師寺はその名前の通り薬師如来を本尊とするお寺で、開基は天武天皇です。天武天皇は元は大海人皇子といい、壬申の乱を収め、天皇中心の政治を開いた人物です。また天智天皇の弟として知られています。薬師寺はこの天武天皇によって創建されましたが、当初は飛鳥地方にありました。飛鳥の藤原京から平城京へ遷都するにおよび、薬師寺も現在の場所に移築されたのです。

薬師寺は移築後、薬師寺式伽藍配置といわれる、薬師寺ならではの巨大な伽藍を誇っていましたが、戦国時代に奈良の豪族である筒井氏のはなった兵火によって多くの建物を焼失しました。焼け残ったのは東塔だけであり、それ以外の建物は一部江戸時代に再建され、更に金堂は現代の1976年に入ってから再建されました。現代では朱塗りの豪華絢爛たる伽藍配置が再建されています。

薬師寺の最大のみどころは国宝でもある東塔です。東塔は高さ34.1メートルを誇る巨大な塔で、東寺の五重塔、興福寺の五重塔、醍醐寺の五重塔に続き4番目の高さを誇ります。また1976年に再建された金堂は奈良時代の仏教彫刻の最高傑作の一つされる薬師三尊像が安置されています。中門は1984年、大講堂は2003年に再建されました。こうした豪華絢爛な姿が楽しめます。

薬師寺

唐招提寺。鑑真ゆかりの世界遺産

薬師寺のすぐ近くにあるお寺が唐招提寺です。唐招提寺も奈良市を代表する観光スポットの一つであり、世界遺産に登録されている観光スポットです。唐招提寺は、日本に戒律を突建てた鑑真のお寺として有名です。もともと仏教は蘇我馬子よりも前の時代に中国から伝来しましたが、本格的に日本全国にお寺を建てて仏教による統治を図ったのが聖武天皇の時代です。その象徴として東大寺が作られ、日本全国の国分寺の総国分寺としてお寺を統括し、僧侶を養成するための組織ができました。

その際、僧侶を養成するための戒律を授ける場所が必要でした。その役割を担ったのが唐から招かれた鑑真です。鑑真は、大宰府の観世音寺、奈良の東大寺、下野の薬師寺と3か所に戒律を授ける戒壇院を設け、日本の仏教体制を築くことに尽力しました。その後、鑑真はこの地を朝廷から譲り受け唐招提寺を築きます。鑑真は日本に渡来するため何度も挑戦し、最終的にはこの唐招提寺に住み、その生涯を閉じたのです。

奈良のお寺は東大寺や興福寺、薬師寺など多くのお寺が兵火によって一度や二度焼失し、再建されましたが、この唐招提寺は珍しく兵火による被害が受けておらず、国宝である金堂や講堂、経蔵など奈良時代の建築物が見ることができます。他のお寺のような巨大な大迫力はありませんが、周囲を森に囲まれた、落ち着いた雰囲気がただようお寺です。

唐招提寺

柳生の里。剣豪柳生家ゆかりの地

奈良市には剣豪で有名な柳生氏ゆかりの柳生の里があります。柳生氏は有名な柳生石舟斎や柳生宗矩に代表されるように将軍家の剣術指南役として知られています。また剣術指南役だけではなく柳生家は1万石を超える大名としても知られ、一説には剣術以外にも将軍の政治顧問も務めていたと言われています。

柳生新陰流である剣術を学んだ弟子たちを各地の大名家の剣術指南役として送り込み、情報を得ていたともいわれています。そんな江戸時代を代表する歴史上の人物である柳生家ゆかりの地があります。もともと柳生家は大和の豪族として戦国時代を生きのび、高名な柳生石舟斎の時代には、大和一国を支配しようと織田信長の大名となった松永久秀にも仕えていました。

柳生石舟斎は新陰流の開祖とされる上泉信綱に師事し、柳生新陰流を確立し、息子の柳生宗矩の代には徳川家康の剣術好きによって取り立てられました。その後二代将軍徳川秀忠の剣術指南役として出世し、加増をうけ1万石を超す大名になったのです。ここ柳生の里では、旧柳生藩家老屋敷や旧柳生藩陣屋跡、柳生家代々の菩提寺など数々の見所が登場します。歴史好きや剣術好きにとっては最高の観光スポットと言えるでしょう。

まとめ

奈良市は奈良県の北部に位置しており、かつての古都である平城京を中心とした観光が特長です。JR奈良駅や近鉄奈良駅を基点とした奈良公園のエリアでは、東大寺、興福寺、春日大社、元興寺、奈良町などが、また平城京エリアでは、広大な平城京を復元した平城京跡歴史公園や法華寺、西大寺、薬師寺、唐招提寺などが登場します。この奈良公園と平城京の二つのエリアでは日本有数の世界遺産のスポットとして海外からも人気です。

一方、柳生の里では江戸時代にかけて将軍家の剣術指南役であった柳生家ゆかりの観光スポットを見ることができます。このように奈良市の観光スポットは見所が盛りだくさんで、一度では見きることが出来ないのが特長と言えるでしょう。さらに奈良には南部の奈良橿原やもう一つの世界遺産である法隆寺のエリアなどもあり、奥深い観光が楽しめます。