大正ロマンの情緒が残る、松山の名所萬翠荘

大正ロマンの情緒たっぷり、国の重要文化財の萬翠荘

松山は、松山城を中心にゆかりのある観光スポットが多くありますが、萬翠荘を除いては語ることはできません。萬翠荘は国の重要文化財に指定されているほどの歴史的建造物で、路面電車の駅大街道からすぐの場所にあります。すぐ隣には司馬遼太郎の小説で有名な坂の上の雲ミュージアムがあり、一緒に見ることができる有名スポット。

この萬翠荘が建てられたのは大正11年、1922年のことで、旧松山藩主の子孫、久松定謨伯爵が別邸として建てたものです。フランス・ルネッサンス風の洋館であり、設計は建築家の木子七郎が手がけました。ちなみに木子七郎は愛媛県に多くの建築物を残した明治時代の建築家で、萬翠荘のすぐ近くにある愛媛県庁もこの木子七郎が手がけたものです。

圧巻の愛媛県庁もどことなく萬翠荘と似ているデザインで、洋館石造りの欧化政策を取る明治・大正の情緒がたっぷりと出ています。ちょっと話がそれましたが、萬翠荘は当時フランス陸軍に長年留学していた久松定謨伯爵好みの最高の洋館として皇族の方々も立ち寄られた場所でもあります。萬翠荘は現在も外観だけではなく内装も当時のままの姿を見せてくれます。

萬翠荘

萬翠荘へのアクセス

萬翠荘は、路面電車の大街道駅からすぐの場所、徒歩3分ほどの距離にあります。国道11号からちょっと入った場所で路地の入口には坂の上の雲ミュージアムの看板が。萬翠荘に入る手前には坂の上の雲ミュージアムがあるので一緒に見学するのがオススメです。今年の8月にラフォーレ原宿松山跡にオープンするカンデオホテルズ松山からもすぐなので、是非訪れてみてはいかがでしょうか。

萬翠荘はこちらです

フランス風の外観と見所満載の内部、展示場としても貸出

萬翠荘は現在も当時と変わらない姿を訪れる人に見せてくれます。フランス風の外観と、内部のインテリアは大正時代の洋館そのまま。大正時代当時は各界の名士があつまる社交場としても使用され、皇族の方々の滞在場所として使用されました。

昭和天皇も当時の皇太子摂政宮時代に完成直後にご滞在され、朝食を召し上がられた部屋などもそのままの形で公開されています。建物の作りは建築面積428.78平方メートル、地下1階、地上2階建てで、貴賓室や洋室、さらには大理石で作られた暖炉、水晶のシャンデリア、圧巻のステンドグラスなど、大正ロマンの情緒がたっぷりの建築物が堪能できます。

現在本館と管理人舎の2棟が国の重要文化財に指定されており、一般公開を行っているほか、イベント、展示場としても利用ができます。この貸館については文化推進に関するものであれば利用が可能で、絵画展や陶芸展、音楽のコンサートなどで盛んに利用されているほど。大正時代の洋館と文化活動がぴったりとマッチします。

萬翠荘

重要文化財です

萬翠荘

自然に囲まれています

萬翠荘

大正時代の洋館がそのまま残ります

萬翠荘

内部も大正時代そのもので残されています

萬翠荘

美しいヨーロッパ調の部屋です

萬翠荘

廊下のカーペットも雰囲気がたっぷり

萬翠荘

外の庭園テラスも綺麗です

愚陀仏庵があった場所でも

ここ萬翠荘はこうした観光スポットや展示場としてだけではなく、つい数年前までは愚陀仏庵の復元があった場所でもあります。愚陀仏庵は夏目漱石と正岡子規が松山で一緒に下宿していた場所で木造二階建ての建物としてここ萬翠荘の裏手にありました。

夏目漱石は英語教師として松山中学に赴任していましたが、正岡子規も俳句の結社松風会を起こし一緒に住んでいた時期があります。この愚陀仏庵は一時空襲で焼失していたのですが、1982年に復元され、この萬翠荘に建てられていましが、2010年の大雨の影響による土砂崩れで全壊してしまった経緯があります。

将来的に萬翠荘でまたその姿が見られる日が来るかもしれません。ちなみに愚陀仏庵の一部は道後公園隣の子規記念博物館に1階だけ復元され見ることができます。

まとめ

萬翠荘が建てられている場所は、以前は松山藩の家老屋敷があった跡地であり、壮大な松山城の麓に位置しています。松山城周辺には萬翠荘以外にも、二ノ丸史跡庭園や坂の上の雲ミュージアムなど旧松山藩にちなんだスポットが多く存在し、比較的近い距離にあることから一緒に見て回ることがオススメです。

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