興福寺。巨大な五重塔と金堂が登場

興福寺。かつての奈良の国主であった世界遺産

奈良観光の代表的スポットが奈良公園です。奈良公園は、大きく分けると東大寺、春日大社、興福寺の3つの世界遺産に分けることができます。

東大寺は巨大な大仏があることで有名ですが、本日ご紹介する興福寺は、実は奈良県、かつては大和といわれた国を長年支配した中心的存在だったのです。

主に日本の各国の領主は、平安時代は貴族が、鎌倉時代以降は武家が支配していました。例えば、山梨県である甲斐の国は武田家や、鹿児島県である薩摩の国は島津家のように。

しかし、大和一国の荘園はそのほとんどが興福寺の持ち物で、事実上の国主であったのです。この興福寺の支配は、戦国時代まで続き、戦国時代に入って織田信長の支配下にはいることで、その支配権は失いました。

特に平安時代には同じように寺で勢力を持つ比叡山延暦寺と合わせて、南都北嶺と称されるほどでした。そんなかつての大和一国の国主として栄えた興福寺は、現代に残る歴史的建造物の巨大さからその勢威がうかがうことができます。

奈良観光の中心として外すことが出来ない存在です。

興福寺

南都七大寺の一つで藤原氏ゆかりのお寺

興福寺は、奈良の七つのお寺である南都七大寺の一つに数えられます。その創建は今から遡ること1300年以上昔、天智天皇の時代669年とされています。興福寺はもともと藤原氏の氏寺として建てられました。

天智天皇のもとで大化の改新を助け、その政治を支えてきた藤原氏の祖、藤原鎌足とその息子で、藤原氏の支配を確立させた藤原不比等によって作られました。

こうした経緯から奈良時代、平安時代と朝廷の政治の中心であった藤原氏の庇護をうけ、その権勢は次第に強まっていたとされています。

平安時代には、同じく奈良公園にある春日大社の実権も持ち、大和一国の荘園の大半を支配し、「南都北嶺」と称しました。寺でありながら数多くの僧兵を抱え、平安時代末期には平家にも対抗するほどの勢力を持ったと言います。

南都北嶺といわれるほど、強大な勢力をほこった興福寺です。

平重衡の兵火で焼失から松永久秀との戦い

興福寺は武家に対抗するだけの勢力を抱えたことから、平安時代末期には時の権力者であった平家とも対抗しました。

平清盛が保元の乱、平治の乱で源氏を退け天皇の外戚となり、日本全国に支配権を確立したときも、興福寺を中心にした大和一国は独立自尊の支配権を保っていました。

更には源平合戦では平家に反抗する構えをみせたため、清盛の5男である平重衡によって焼き討ちにあい、東大寺と共に伽藍のほとんどが焼失してしまいました。

その直後に興福寺は庇護者である藤原氏と朝廷とともに復興事業を開始し、鎌倉時代には再建を果たしたのです。そのため現在に残されている建造物は鎌倉時代に製作されたものです。

興福寺の勢威はその後の鎌倉時代、室町時代にも続き、戦国時代には僧兵だけではなく大和の武家を統合し一体となることで、その支配をつづけました。

しかし戦国時代には大名の統一化が始まり、織田信長の支配下にはいった松永弾正が大和一国に勢力を広げ、実質的には織田政権とそれに続く豊臣政権の支配下にはいることで、江戸時代には2万1千石のみとなりました。

興福寺の見所。圧倒的に巨大な建造物

それではここからは興福寺の見所をご紹介しましょう。興福寺は江戸時代にも火災にあい、再建はされていますが、西金堂、講堂、南大門などは再建がされませんでした。

しかし、現代に入って、平城京1300年記念事業によって再建計画がすすめられ、中金堂は2018年に落成する計画となっています。また、東金堂や五重塔などの巨大な建造物は残されており、その大迫力な建築物を目の当たりにできます。

興福寺

東金堂。国宝の巨大な金堂

興福寺の巨大な建造物の一つが東金堂です。興福寺の建造物は兵火などによって焼失してしまったため再建された建物ですが、この東金堂は、室町時代に再建されたものです。

もともとは奈良時代に聖武天皇が自らの伯母である元正天皇の病気平癒を願うために作られたのが始まりです。平重衡の焼き討ちで焼失した際に、興福寺の僧兵たちは、飛鳥の山田寺から薬師三尊像を強奪してきて東金堂本尊としてそえたという話が伝わっています。

室町時代に再建される際には、唐招提寺の金堂を参考にしてつくられ、その様式は天平様式といわれています。大きさは創建当初のものを踏襲しており巨大な姿が目の当たりにできます。

中には国宝である鎌倉時代の仏師、定慶の作、木造木造維摩居士坐像や、同じく国宝である木造維摩居士坐像、木造四天王立像、木造十二神将立像、重要文化財の銅造薬師三尊像が存在します。

興福寺

巨大な金堂です。

五重塔。高さ50メートルの巨大な国宝

お次に登場するのが五重塔です。この五重塔は、東金堂の隣に建てられている塔で、その高さはなんと50.1メートル、東寺の五重塔に次いで、現存する日本の木造等としては2番目の大きさを誇ります。

隣にある東金堂と合わせて五重塔の存在は興福寺の中でも最大の見所の一つです。もちろんこの五重塔も国宝に登録されており、貴重な文化財です。この五重塔も東金堂と同様に、室町時代に再建されたものになります。

興福寺

圧倒的な巨大さを誇る五重塔。

北円堂。国宝の八角堂

興福寺の中でも最も古い建物が北円堂です。先にご紹介した五重塔や、東金堂は室町時代に再建されたものですが北円堂は鎌倉時代前期に再建されました。

この北円堂も国宝に登録されており、八角の堂です。こちらは藤原不比等の一周忌に721年に創建されたもので、法隆寺の夢殿と同じ平面が八角形の八角円堂とされています。

因みにかつては回廊が設けられていたようで、現在その回廊の復元計画がされているようです。この北面八角堂の内部には、鎌倉時代の仏師である運慶作の国宝木造弥勒仏坐像や、木造無著菩薩・世親菩薩立像などが安置されています。

興福寺 北円堂

南円堂。江戸時代に再建された八角円堂

北円堂と同じ八角形の建物として南円堂もあります。南円堂は、興福寺の中でも比較的新しく、江戸時代中期、1741年に再建された建物です。

そのためこの南円堂は国宝ではなく重要文化財に指定されています。興福寺は藤原氏ゆかりのお寺で、長年藤原氏との関わりが深かったお寺ですが、この南円堂は、藤原冬嗣が、自らの父である藤原内麻呂の追善のため建設したのが始まりです。

この南円堂には、内部には国宝級の仏像が安置されており、鎌倉時代の仏師として名高い運慶の木造不空羂索観音坐像、木造法相六祖坐像などがありいずれも国宝です。

興福寺 南円堂

三重塔。国宝の美しい三重塔

興福寺の歴史的建造物はいずれも巨大さに目を奪われますが、その中でも三重塔は建築物として美しさが際立つ建物です。こちらも国宝に登録されている建物で、鎌倉時代に作られた文化財です。

興福寺 三重塔

西金堂跡

興福寺には先にご紹介した東金堂とは別に西金堂も存在していました。しかし、江戸時代の出火によって焼失してしまっており、それ以降、資金難のために再興されてこなかったのです。

この西金堂では多数の国宝級の仏像が安置されていましたが、現在そのいくつかは国宝館で見ることができます。

中金堂。2018年に解体修復が終わる

興福寺の中心的な建物であったのが中金堂です。中金堂は、東金堂や西金堂が建てられる前から作られており、藤原鎌足が710年に興福寺の仏像を安置するために創建したのが始まりです。

ただこの中金堂は、度重なる火災で何度も焼失しており、江戸時代の1717年の火災で焼失し1819年に再建されました。

しかし、安価な松材や瓦も安物が使用されていたことから、大改造が必要で、2000年に解体工事が始まりました。現在18年にも及ぶ改修工事が終わり2018年に落慶を迎えようとしています。こちらでは、国宝の木造四天王立像なども登場します。

国宝館。興福寺の数々の国宝が登場

興福寺は、その建物のいくつかは火災によって焼失してしまっていますが、数多くの仏像が残されています。その仏像の多くは国宝に登録されており、しかも木造であることから、火災による焼失を防ぐため、国宝館と呼ばれる耐火設備を持つ設備にまとめて保管されています。

この国宝館は2010年にリニューアルオープンしたもので、文化財に影響を与えないLEDライトが使用されていたり、文化財の保存に最適です。ここでは、鎌倉時代を代表する仏師である運慶の仏像や、有名な阿修羅像、金剛力士像などが登場します。

興福寺 国宝館

興福寺へのアクセスと利用案内

興福寺は奈良観光の中心である奈良公園の一角にあります。奈良公園は、非常に広く、興福寺のエリアと東大寺のエリア、春日大社のエリアに分かれています。全てのエリアを見ようとすると丸1日かかるほど。

別々に分けてもいいかもしれません。興福寺のエリアはその中でも比較的短時間で見ることが出来ます。奈良公園は駐車場もあり、車でも、電車でもアクセス可能ですJR奈良駅からは、徒歩で15分ほど、くるまだと5分ほどで行くことが可能です。

また、是非、奈良公園の一エリアとしておススメです。また興福寺のすぐ近くに、奈良町といわれる、昔ながらの町並みを残す観光スポットが存在します。奈良町には興福寺と同じく奈良七大寺の一つで世界遺産にも登録されている元興寺があります。

この奈良町エリアと元興寺も歩いて10分ほどの場所にあるため、一緒に回ってもいいでしょう。また、奈良の観光は興福寺があるなら中心部以外に、南部の橿原エリアもおススメです。カンデオホテルズ奈良橿原がある橿原エリアにも興福寺からは車で40分ほどで行くことが可能です。是非合わせて回ってみてはいかがでしょうか。

まとめ

興福寺は、かつての大和一国を支配した強大な勢力でした。巨大な五重塔や東金堂など、数々の建造物は、かつての国主としての迫力が漂います。またまたその建物のほとんどが国宝に指定されており、その建築物は一見の価値があります。

周辺の同じ世界遺産である東大寺や春日大社、元興寺などとセットでみてもいいでしょう。