児島惟謙の銅像と宇和島城上立門

 宇和島城の搦手口と児島惟謙の銅像

宇和島の最大の観光スポットである宇和島城。戦国時代から江戸時代にかけての築城の名手と言われた藤堂高虎が築城した平山城です。この宇和島城、本格的な城の構造をそのまま残す城としてしられ、天守閣へ向かうのにもちょっとした山登りに近いと言えるでしょう。

この宇和島城へ登るためには通常のルートであれば、大手門的な存在である藩老桑折氏武家長屋門から入るのが一般的です。この藩老桑折氏武家長屋門の前には大きな駐車場もあり、車でアクセスする人にも最適なルートとなっています。

その一方で実は宇和島城にはもう一つの入口があるのです。それが本日ご紹介する上立門。この宇和島城上立門はこの城の搦手口の門として有名で、大手門と比べて少人数で警護することができる造りになっています。

この宇和島城上立門にはもう一つ見所があり、この宇和島出身の人物で明治時代に日本の司法制度を築き上げた児島惟謙の銅像があるのです。児島惟謙は宇和島藩出身の人物として明治政府に使え、大津事件などでも活躍した人物。

後の関西大学にあたる関西法律学校を創立したり、衆議院議員などを歴任しました。宇和島城の搦手口にはこの児島惟謙の銅像も立ち、宇和島ゆかりの人物を知ることができるのです。

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宇和島城上立門と児島惟謙銅像へのアクセスと周辺の観光スポット

宇和島城上立門と児島惟謙銅像は宇和島城の大手門とも言える藩老桑折氏武家長屋門から車で5分ほどの場所にあります。ちょうど藩老桑折氏武家長屋門の反対側に位置しています。

この上立門の前には駐車場などがないため、歩いてアクセスするのがベストです。周辺には宇和島藩主であった伊達家の大名庭園である天赦公園や、宇和島市立伊達博物館などがあり、こうした伊達家ゆかりの観光スポットとセットで見られるといいでしょう。

ちなみにカンデオホテルズ松山大街道から宇和島城までは高速道路を使って車で約1時間30分ほどでいくことが可能です。

護法の神様といわれた児島惟謙

児島惟謙は宇和島藩士であった金子惟彬の次男として生まれました。宇和島藩はもともと藩主であった伊達宗城の方針から非常に先進的な藩としてしられ、ペリー来航後に独力で黒船を作り上げてしまったほど。また、藩主伊達宗城は幕末の四賢候とも言われており、先進的な人材を輩出しました。

児島惟謙も幕末の動乱期には坂本龍馬や薩摩の五代友厚らと親交を結び、脱藩して戊辰戦争でも戦ったほどの人物です。その後明治政府に仕え、主に法律関連の国づくりに携わり司法畑を進みます。児島惟謙が世にしられるきっかけともなったのが大津事件で、帝政ロシアの皇太子に切りつけた津田三蔵を政治の圧力を撥ね退け見事裁き、司法権の独立に貢献したとされています。

これにより児島惟謙は「護法の神様」と言われ評価され海外諸国からも評価されたのです。宇和島城上立門の前にはこの宇和島出身の児島惟謙の銅像が立っているのです。

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搦手門の典型、上立門

この児島惟謙の銅像のすぐ奥にあるのが、宇和島城の搦手口とも言える上立門です。ちなみに搦手とは大手門の反対である裏口的な存在の門で、表の入口である大手門とは違い、小型で目立たない構造になっています。

この上立門も正面である藩老桑折氏武家長屋門と比べると小さく目立たない作りになっています。この搦手門は万が一の時に、城主などが抜け出すためにも使用される城門で、宇和島城の貴重な建造物の一つと言えるでしょう。

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まとめ

宇和島城の観光は通常、大手門とも言える藩老桑折氏武家長屋門から上り、天守閣まで向かいますが、今回ご紹介した搦手門である上立門も、貴重な宇和島城の歴史的建築物として一見の価値があります。

またこの上立門の手前にある児島惟謙の銅像も宇和島藩の歴史を感じさせてくれるスポットとして、訪れてみてはいかがでしょうか。