栃木ゆかりの文人山本有三が眠るお寺。近竜寺

文人山本有三の生家とお墓がある街

栃木市は、小江戸蔵の街として、江戸時代や明治時代からの見世蔵が立ち並ぶ観光名所として知られます。とりわけ蔵の街が堪能できるのが例幣使街道沿いのスポットです。かつての見世蔵を改装した観光スポットがひしめき合い、訪れる人にさまざまな文化的価値を提供してくれることでしょう。

ひときわ注目なのが、蔵の街観光館やあだち好古館、山車会館、とちぎ蔵の街美術館がある一体です。この並びに登場するのが栃木ゆかりの文人、山本有三ゆかりの山本有三ふるさと記念館。山本有三は「路傍の石」でもしられる明治、大正、昭和に活躍した小説家、劇作家です。

山本有三の父はもともと江戸時代には宇都宮藩の足軽でしたが、明治維新後、この地で呉服商を営みました。山本有三はそのため18歳で上京するまでこの栃木で暮らしていました。そんな山本有三ゆかりの記念館は、蔵の街の観光名所の一つとしてオススメですが、その付近に山本有三が眠るお寺があるのです。本日は蔵の街で文人山本有三が眠るお寺近竜寺をご紹介します。

栃木市 蔵の街 山本有三のお墓 金竜寺

近竜寺へのアクセス

近竜寺は蔵の街のメインストリートである例幣使街道の山本有三ふるさと記念館から路地をちょっとはいった場所にあります。その距離わずか2分ほどで、お寺のお墓には山本有三が眠るお墓もあります。ちなみに近竜寺は隣にある神明宮と第二公園とも近く、蔵の街の観光ルートとしては、見世蔵を改装したとちぎ蔵の街観光館から神明宮に進み、その流れで近竜寺に訪れることをオススメします。また、カンデオホテルズ佐野からは車で30分ほどで行くことができます。

金竜寺はこちらです

戦国時代から現在の場所に。栃木の中心的存在

近竜寺そのものは、創建されたのが1421年と言われており、良懐上人が作ったといいます。その後、戦国時代の1588年、天正16年にこの地の武将皆川広照によって当初建設された宿河原から現在の地に移されたといいます。

ちなみに皆川広照は下野の武将でこの地の守護大名宇都宮氏に使えた人物。処世にたけ巧みに主人を変え江戸幕府まで所領を安堵されています。この地に近竜寺に移したのは栃木城を築くためだったとも言われています。また近竜寺とともに現在も隣に位置してある神明宮も皆川広照によってこの地に移築されました。

その際、中国の故事にある「鯉が三級の位になると龍になる」にちなみ「三級山天光院近龍寺と名付けられました。また、近竜寺は以来江戸時代から明治時代に至るまで、この地で随一の威容を誇り、明治時代には栃木で最初の小学校が立てられるなど、小江戸蔵の街栃木の中心的な存在として知られています。

栃木市 蔵の街 山本有三のお墓 金竜寺

入るとすぐに、太平記で有名な楠木正成と正行の像があります。

栃木市 蔵の街 山本有三のお墓 金竜寺

戦国時代からある立派なお寺です。

栃木市 蔵の街 山本有三のお墓 金竜寺

山本有三のお墓です。

すぐ近くの山本有三ふるさと記念館、神明宮とセットで訪れたい

この近竜寺には先に述べたこの地の文豪、山本有三のお墓があります。山本有三はこの近竜寺のすぐ近く、現在の山本有三ふるさと記念館の隣で生まれ、18歳まで上京するまでこの地で過ごしました。もともと山本有三の父はこの地で呉服商を営んでおり、山本有三は高等小学校を卒業と同時に一旦浅草に丁稚奉公に出されます。

しかしそれが嫌で再度この栃木に戻ってきて家業を手伝うことに。しかし学問への志は変わらず東京中学に入学、その後一高に入り、1年の留年を経て東京帝国大学に入学し、山本有三はそこから文学活動への道に進みます。また山本有三は今では小説家として有名ですが当時は劇作家としても有名で多くの作品を残しました。

こうした山本有三の軌跡や活躍は、近竜寺のすぐ近くにある山本有三ふるさと記念館で知ることができます。近竜寺ではそんな山本有三のお墓があり、山本有三ふるさと記念館とセットでまわれることをおすすめします。

栃木市 蔵の街 山本有三のお墓 金竜寺

すぐ近くに山本有三ふるさと記念館もあります。

栃木市 蔵の街 山本有三のお墓 金竜寺

お隣の神明宮では美しい庭園も見れます。

栃木市 蔵の街 山本有三のお墓 金竜寺

蔵の街の景観散策スポットとしても楽しめます。

まとめ

近竜寺は蔵の街のメインストリートである例幣使街道をちょっとはいった場所にあり、隣にある神明宮と日本庭園もある第二公園とセットで訪れる方法がいいでしょう。蔵の街のメインストリートには数々の見世蔵の観光スポットが立ち並びますが一歩路地裏に入るとお寺と神社という落ち着いた世界が広がります。