遠く東京まで見渡せる関東随一の山城。佐野のシンボル 唐沢山城

関東平野が一望できる、随一の山城唐沢山城

関東平野は古来より坂東平野と言われ、武士の動きが盛んであった地域です。遠く平安時代には有名な平将門や、鎌倉幕府を開いた源頼朝など、多くの武士がこの坂東の地から登場しました。戦国時代においても、肥沃な農業生産を誇る関東平野の覇権をめぐり、多くの大名がしのぎを削る場所でもあります。

そんな関東平野において、多くの合戦の主戦場にもなり、関東七名城の一つにも数えられるのが、佐野の地に残る国の史跡、唐沢山城です。唐沢山城は、標高247メートルの高さにある山頂を本丸として、その一体に曲輪が回らされる、連郭式の山城。戦国時代一の戦上手としてしられるかの上杉謙信の10度の攻撃にも耐え抜いた堅城です。

現在では、本丸に築城したとされる藤原秀郷が祀られる唐沢山神社が鎮座し、周囲には石垣や土塁、井戸などが残る自然公園として楽しめます。そしてなによりも、関東平野を一望し、敵の動きや進入がひと目でわかる独自の作りが残されるほど。本日は佐野の地に残る関東一の山城、唐沢山城をご紹介します。

唐沢山城

唐沢山城へのアクセス

唐沢山城へのアクセスは自動車で行くのがベスト。現在は唐沢山一体が県立の自然公園になっており、その一部としてみることができます。唐沢山城まではカンデオホテルズ佐野から車で27分ほど。高速道路では北関東自動車道の佐野田沼インターチェンジが最寄りとなります。

唐沢山城はこちらです

国の史跡にも認定、関東随一の山城

唐沢山城が築城されたのは、遠く平安時代の927年とされています。かつて平将門の乱を鎮圧されたとされる、藤原秀郷が築城しました。藤原秀郷は現在の栃木県とされる下野と、埼玉県である武蔵の2カ国を受領、この二カ国の鎮守の拠点として唐沢山城が作られたとされています。

その後、15世紀には藤原秀郷の末裔とされる佐野氏の居城として多くの戦いを経てきました。とくに戦国時代には関東の覇権をめぐって二大勢力である北条氏と上杉氏の合戦が数多く行われた地域。唐沢山城を巡っては、当時の佐野氏の当主、佐野昌綱が戦国一の戦上手上杉謙信と戦った場所として知られています。

この戦いは唐沢山城の戦いと言われ、謙信の猛攻を10度も退けたと言われます。この戦いで、城主佐野昌綱の武勇と知略、そして唐沢山城の名は難攻不落として轟き、「関東一の山城」としてその存在が知れ渡ったといいます。

唐沢山城 佐野の城

国の史跡に認定されています

唐沢山城 佐野の城

ふるさと佐野100選にも

唐沢山城 佐野の城

石垣が整備され残ります

唐沢山城 佐野の城

防御上のしかけも

唐沢山城 佐野の城

こんな感じの緩やかな道が続きます。

唐沢山城 佐野の城

古い遺構も残ります

唐沢山城 佐野の城

二の丸、本丸は神社に

唐沢山城 佐野の城

本丸跡地には唐沢山神社が

80キロ先の江戸、東京まで見下ろせる天狗岩

その後、唐沢山城は江戸幕府の時代には、新たに佐野城が築かれたこともあり、廃城となりますが、その理由は実は眺めのよさが原因だったとも言われています。唐沢山城からは、江戸の火事までがみることができたと言いますが、将軍がいる江戸を見下ろせる場所に城を構えるのは不遜との理由で廃城にされたとの説があるほど。

真偽はともかく、古くから唐沢山城の眺めのよさが知られるエピソードの一つです。唐沢山城はその後明治時代に現在の本丸に藤原秀郷を祀る唐沢山神社が建立され史跡にも認定されましたが、眺めの良さは現在まで残る貴重な魅力です。その最大のポイントが城の入口にある天狗岩と言われるスポット。

かつて敵の勢力の進入を見張る見張り台としての役目を果たしていた場所ですが、この位置に立つと広大な平野部が一望でき、全ての動きがまるわかりになることが伺えます。この天狗岩は、城門をくぐってすぐ横にありすぐさま登ることができます。

唐沢山城 佐野の城

見張り台の天狗岩への入口です

唐沢山城 佐野の城

関東平野を一望できる岩場が広がります

唐沢山城 佐野の城

敵の動きも丸見えに

まとめ 本丸、二の丸、三の丸、石垣も残る

唐沢山城は、こうした眺めの良さ以外にも見所が満載です。なによりもその構造がそのまま残っているのが貴重で、城の構造をしめす三の丸、二の丸、本丸と城の縄張りが残っており、公園自体が城として堪能することができます。

また多くの土塁や石垣、堀切、井戸、などが残されており当時の堅城の名残が散策中見て取ることもできます。かつての古戦場あととして、また関東平野の抑えとして一望できる眺望スポットとしてオススメです。