日本初の木造天守が見所、東海の名城「遠州掛川城」

天守閣から二の丸、三の丸、御殿まで残る、掛川のシンボル

日本には戦国時代や江戸時代につくられた城が数多く残っていますが、その多くが完全な姿で残っているわけではありません。二の丸三の丸などの外堀が失われていたり、本丸は残っていても天守閣が残っていないなど、完全な城の景観をとどめているものは数少ないと言えるでしょう。

最近では地元の人々や自治体の活動によって復元しようという動きも出てきていますが、復元するのには長い時間とお金がかかります。本日ご紹介する遠州掛川城もそんな天守閣が復元された貴重な城のうちの一つ。しかもなんと日本で初となる木造復元天守をみることができる城なんです。

本日は二の丸御殿や竹之丸まで残された掛川のシンボル、日本の名城100選にも選ばれた遠州掛川城をご紹介します。

掛川城

東海の名城、日本初の木造天守閣

日本の名城100選にも選ばれている掛川城。現在の姿は有名な戦国時代の武将山内一豊が築いた城郭がベースになっています。山内一豊は初代土佐藩主として高知県を収めるようになりましたが、関ヶ原の戦いで功績が認められる前は、ここ遠州掛川5万1千石を領していました。

山内一豊が築いた時には、本丸を中心に二の丸、三の丸、中の丸、竹之丸まで備えた惣構えの堂々たる平城でしたが、明治維新を迎えて廃城令が施行されると、現在の一部を残して、全てが撤去されてしまいました。しかし、現在でも本丸、二の丸、三の丸、竹之丸が残り、当時の面影をそのまま残す豪壮な城の姿を訪れる人に見せてくれます。

中でも最大の見所は「東海の名城」と歌われた天守閣で、平成6年に木造で初の復元天守として蘇っています。天守閣自体は江戸時代の東海大地震で崩れ、その大半が失われていましたが、140年ぶりに復活された大変貴重な史跡。

その特徴は外観3層、内部4層からなる12メートル×10メートルの大きさで、小ぶりながらも白塗りの美しい姿。天守閣の外層やデザインは、山内一豊の主である豊臣秀吉が作った二つの建物、聚楽台と大阪城を模倣したと言われています。

真っ白な壁は京都聚楽台に、黒塗りの廻縁・高欄は大阪城天守閣に。美しくも、東海道の要衝として実践的な城づくりが忍ばれます。

掛川城

日本初の木造天守

国宝指定の重要文化財、二の丸御殿

掛川城には、復元された天守閣以外にも見所がいっぱいあります。特に1861年に再建された二の丸御殿は国の重要文化財にも指定されているほど。もともとこの二の丸御殿は、藩主の公邸として、公式に対面する場所や、藩内の政務をとる場所として機能していました。

山内一豊が土佐に転封の後には、何回か領主がかわりましたが、主に太田氏が藩主として収め、藩の公議はこの御殿で執り行われました。現在この二の丸御殿は一般の人々にも公開されており、結婚式などの会場としても開放されています。

掛川城

公園として整備されています

掛川城

二の丸、三の丸まで残るお城

お茶室で日本有数の掛川茶も、お楽しみがいっぱい

他にも掛川城は見所がいっぱい。二の丸には現在掛川城公園内にある二の丸茶室が日本庭園とともに利用できたり、工芸品や近代日本画などが展示されている二の丸美術館、全ての建物が指定文化財にされている竹之丸など、多くの史跡や見所があります。

特に二の丸茶室では、日本有数のお茶の産地でもある「掛川茶」の煎茶や抹茶を楽しむことも。数寄屋造りの美しい茶室で、掛川城の天守閣を眺めながら城主気分を味わえます。二の丸茶室は年中無休ですので、是非掛川城に訪れたさには立ち寄られてみてはいかがでしょうか。

また竹之丸は、江戸時代から続く葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が明治36年から本宅として建築した建物が残っており、施設見学だけではなく、喫茶ルームなどの利用もできます。指定文化財の中で、ゆったりと過ごしてみるのも一興ですね。

掛川城

広いですね

アクセス

掛川城へのアクセスはJR東海道本線の掛川駅から徒歩8分で行ける距離にあります。また、自動車で行く場合には東名高速道路掛川インターチェンジで降りてすぐ。カンデオホテオルズ静岡島田からは自動車でのアクセスが便利です。ホテルすぐ横の吉田料金所から東名高速道路に乗れば、掛川城まで23分という手軽さ。車でのアクセスをオススメします。

掛川城はこちらです

まとめ

掛川城は、このように見所満載の観光スポットです。天守閣だけではなく、御殿や茶室、美術館と多くの見ごたえある史跡が堪能できるのも嬉しい限り。また城が掛川城公園となっており、暖かく桜が咲く頃には、名所の一つともなっています。静岡の、いや東海の名城を訪れてみてはいかがでしょうか。

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