依水園。東大寺南大門を借景に取り入れた日本庭園

依水園。東大寺南大門を借景に持つ日本庭園

古都奈良の最大の観光スポットの一つが東大寺です。奈良の大仏の通称で知られる廬舎那仏や、その廬舎那仏がある大仏殿は世界最大の木造建築物として圧倒的な迫力をほこっています。その建物の多くが国宝に登録され、日本の世界遺産の中の代表的な存在の一つです。

そんな東大寺には奈良公園の一部ということもあって、周辺にさまざまな観光スポットが登場します。本日ご紹介する依水園もそんな東大寺の隣にあるおススメ観光スポットの一つです。依水園は、江戸時代に入ってから寛文12年、1673年に作られた池泉回遊式日本庭園として知られ、自然と周囲の美しい風景が楽しめる日本庭園です。

中でも東大寺の国宝である南大門を借景に持つという贅沢さです。東大寺南大門は東大寺の鎌倉時代に復興された建物で、中国の宋から伝わった大仏様という建築様式で建てられている門です。依水園の借景になってしまうほど巨大な門で、圧倒的な迫力が味わえます。今回は東大寺のすぐ隣にあり、美しい風景が楽しめる依水園をご紹介します。

依水園

依水園の歴史

依水園は今から遡ること300年以上前、江戸時代の寛文12年1673年に作られました。のちに見所の部分で詳しくご紹介しますが、前園と後園の二つに分かれていますが、もともとは依水園の隣にある吉城園と共に興福寺の塔頭、摩尼珠院の跡だった場所です。

依水園はこの摩尼珠院の別院であったのです。因みに興福寺は東大寺と共に奈良最大のお寺で、平安時代に権勢を誇った藤原氏の菩提寺です。戦国時代あたりまで実質的な奈良の支配者で、強大な勢力をほこっていました。依水園はそんな興福寺ゆかりの場所に作られました。

1673年に晒し職人であった清須美道清が作ったとされ、茶室の三秀亭が象徴的な存在です。一方、後園は明治時代に入ってから作られたもので実業家である関藤次郎がきずきました。そして昭和に入ってから海運業で成功した中村家が買い取り、江戸時代に作られた前園と明治時代に入って作られた後園を合わせた形に整備したのです。

また中村家では多数の美術品を貯蔵しており、この美術品を広く一般の人に見てもらうために依水園の中に寧楽美術館が作られました。この依水園の名前ですが、中国の唐の時代の詩人として、中国最高峰の詩人といわれる杜甫の句「名園緑碌水」に由来するという説や、園内の池の形が草書体の水の形をしている説、池が吉城川の水に依っている説など、さまざまな説があり定かではありません。

依水園

依水園の見所と回りかた

ここからは依水園の回りかたをご紹介しましょう。依水園は回遊式の日本庭園であるため、入り口から入って順路を進むことでぐるっと回って周遊することができます。大きく分類すると前園と後園、更には寧楽美術館と3つのエリアに分かれており、美しい風景の中でさまざまな見所が登場します。

依水園

前園

依水園に入場すると最初に登場するのが前園です。前園は前述した通り、江戸時代に入ってから晒職人であった清須美氏が別邸として庭の趣向を変え現在の形にした庭です。ここには三秀亭が別邸として、挺秀軒が茶室として建てられました。

清須美氏はここに文人墨客を招いて花鳥風月を楽しんだとされます。因みに清須美氏は晒職人ですが、なぜ職人がこんな贅沢な日本庭園を築けるほどの財力をもっていたのか疑問に思われるかもしれません。実は奈良の晒しである奈良晒とは、江戸時代に登場した高級素材です。

もともと僧侶の袈裟の材料として需要が高まるとともに、徳川幕府の保護のもと発展し、武士の裃の材料として需要が拡大。当時の高級布として知られる存在です。裃とは武士の中でも上級武士が用いる正装です。この奈良晒しは明治時代まで武士が顧客の中心であったため、明治維新によって裃を用いなくなると必然的に没落してしまいました。

この奈良晒しの食に清須美氏はまさに全盛時代であったため、財を築きその贅を楽しむことが出来たのです。前園は園内に灯籠や池が設けられ、江戸時代のうつくしい庭園が楽しむことができます。また三秀亭ではお食事を楽しむことができ、日本庭園の静寂を楽しみながら落ち着いたひと時を過ごすことができるでしょう。

依水園

後園。東大寺南大門を借景にした庭園

依水園は前園の奥に、明治時代になって作られた後園が登場します。この後園は明治時代の実業家である関藤次郎が造りました。こちらも池と築山がある池泉回遊式庭園で、裏千家の十二世又妙斎宗室によって作庭されました。裏千家は茶道の家元の一つで千利休から端を発します。

築山とは日本庭園にある人工的に土砂を築いて作られた山のことで、回遊式庭園ではお馴染みの存在です。この後園の最大の特長が若草山や東大寺南大門を借景とする方式で、他では見ることが出来ない独得の風景が味わえます。若草山は奈良公園にある標高342メートルの山で鷲塚古墳があることから通称鷲山と呼ばれる山で、山頂から見る風景は新日本三大夜景の一つにも数えられます。

また東大寺南大門は鎌倉時代に再建された東大寺の入り口ともいえる門で、圧倒的な迫力を誇る門です。後園では、この二つを大胆に借景に取り入れることで、広大な一つの世界を形作っているのです。築山の奥には小さな滝が設けられており、小川が緩やかに流れ、小さい世界が表現され悠久の時を過ごすことが出来るでしょう。

依水園

依水園

氷心亭

後園の見所のひとつが氷心亭です。この氷心亭は新薬師寺に使用されていた天平時代の古材を天井板に使った茶室です。新薬師寺は光明皇后または聖武天皇が開基とするお寺で、奈良時代に創建されたお寺です。いわば奈良時代の材料が使用された茶室であり、昔ながらの書院造が楽しめる茶室です。現在もここで抹茶を頂くことが可能で、優雅な後園を眺めながらゆったりとした時間が過ごせることでしょう。ここでは極薄の口吹きガラスを見ることができます。

依水園

柳生堂。柳生家ゆかりの建物

ここでは剣術で有名な柳生家ゆかりのお堂、柳生堂があります。この柳生堂は柳生石舟斎や柳生宗矩の菩提寺、芳徳寺にあったお堂を明治時代に関藤次郎が買受移築したものです。柳生と言えば将軍家の剣術指南役として大名にまで出世した一族です。

特に柳生石舟斎や大名に出世した柳生宗矩が有名でもともとは大和の豪族として柳生の里に割拠していた一族です。戦国時代にはさまざまな大名に巧みに使えて江戸幕府ではその剣術が評価され将軍の側近に抜擢されました。そんな柳生家ゆかりのお堂が後園では見ることができます。

寧楽美術館

依水園には入り口に寧楽美術館という美術館があります。この美術館は海運業で成功し、江戸時代の前園と明治時代の後園をまとえて依水園を作った中村家の持つ美術品を展示する目的で作られました。中村家は中村準策、準一、準佑の三代にわたってなんと1万点以上もの美術品を収蔵していました。

寧楽美術館では、戦争中の神戸大空襲で残った2千点を収蔵しています。主に古代中国の青銅器や古鏡、高麗や李氏朝鮮時代、日本の陶磁器などが中心です。今から50年前の1969年に作られた美術館で、こちらも依水園の散策と共に楽しめます。

依水園

依水園へのアクセスと利用案内

依水園は東大寺の西側にあります。南大門の横の通りを西に向けて進むと登場します。東大寺は奈良公園の中の一角を占めており、依水園も奈良公園の一スポットとしてアクセス可能です。近鉄奈良駅からは徒歩15分ほど、東大寺からは5分ほどでアクセス可能です。また奈良公園の一大スポットである興福寺からも10分ほどでアクセス可能です。奈良公園はそのほか奈良国立博物館や春日大社など非常に広いので、奈良公園とセットで回るといいでしょう。

依水園の利用案内

所在地:〒630-8208 奈良市水門町74 依水園
TEL:0742-25-0781
URL; http://www.isuien.or.jp/
営業時間:9時30分~16時30分 (入館は16時まで)
休日:火曜日(但し4・5月、10・11月は無休)、年末年始
入園料:大人900円、大学生810円、高校生・中学生500円、小学生300円
障がい者(障がい者手帳提示の方)500円
奈良市ななまるカード(老育手帳)所持の方500円

依水園の周辺スポット

依水園は奈良公園の一角として周辺には多数の観光スポットがあります。隣にあるのが吉城園で、こちらは同じく元興福寺であった日本庭園です。依水園とは違った庭園が楽しめますのでお勧めです。また、依水園の後園の借景にもなっている東大寺南大門や、南大門の奥にある大仏殿、廬舎那仏はぜひとも参拝しておきたいところです。東大寺大仏殿は世界最大の木造建築物として圧倒的な大迫力を堪能することができます。

また東大寺には二月堂や三月堂などの国宝があったり、正倉院などもありますので、依水園の周辺としておすすめです。東大寺エリアだけでもまわるのにかなりの時間がかかりますが、余裕があれば同じく奈良公園の観光スポットである興福寺や春日大社、奈良国立博物園などもおすすめです。

東大寺南大門

まとめ

依水園は、江戸時代から明治時代にかけて作られた日本庭園として、とても美しい世界が楽しめます。また依水園にある寧楽美術館では中国や朝鮮、日本に関する伝統的な美術品が多数楽しめます。依水園では散策以外にもお茶や食事などができるため本物の日本庭園の景色を楽しみながら優雅なひと時を過ごすことができます。またとなりにある吉城園や東大寺の観光とセットで回ると観光がより一層充実したものになることでしょう。