平成いろは丸。坂本龍馬ゆかりの船に乗れる

坂本竜馬と海援隊の「いろは丸」が平成版として復活

広島県福山市は、広島県第二の都市としてさまざまな観光スポットが存在します。中でも鞆の浦は、景勝地としてしられ、美しい瀬戸内海の風景と歴史ある観光スポットが人気です。

今回ご紹介するのは、幕末の志士として人気の坂本龍馬ゆかりの船です。坂本龍馬は、海援隊という貿易商社兼私設海軍をおこした人物としても知られ、薩長同盟を仲介した人物として有名です。特に土佐の脱藩浪人という境遇から幕府の要職である勝海舟の弟子になったり、薩摩や長州、越前福井藩など、から出資を引き出し貿易事業を開始したりと魅力あふれる人物です。

今回ご紹介する「いろは丸」も、坂本龍馬が伊予大洲藩から借り受けた船のひとつです。坂本龍馬はこの「いろは丸」を運行中に、鞆の浦沖で衝突事故にあい沈めてしまいました。鞆の浦では、その「いろは丸」が仙酔島までの定期船として実際に乗ることができるのです。

大きさは当時の「いろは丸」よりも小さい船ですが、弁天島などのうつくしい風景を見ながら仙酔島まで行くことが出来るのです。鞆の浦の絶景を堪能でき、尚且つ仙酔島を楽しめる観光アトラクションとして人気です。本日はかつての幕末の英雄坂本竜馬ゆかりの船「平成いろは丸」をご紹介します。

仙酔島までのわずか5分間の乗船時間ながら、段ではなかなか味わうことができない歴史情緒を瀬戸内海の景色とともに堪能することができます。

福山 鞆の浦 平成いろは丸 坂本竜馬

「平成いろは丸」の見所とは

「平成いろは丸」は、わずか5分ほどの航海ながら、鞆の浦の見所がたっぷりと楽しめる観光スポットなのです。

福山 鞆の浦 平成いろは丸 坂本竜馬

乗船場です

福山 鞆の浦 平成いろは丸 坂本竜馬

チケット売り場

江戸末期の西洋船のレトロな船内を味わえる

「平成いろは丸」はは、坂本龍馬が航海していた大洲藩いろは丸をそのまま縮小したものです。従来のいろは丸は、イギリスのバーミンガムで建造された蒸気機関の船で、1866年に大洲藩が購入したものです。

実際は45メートルほどの大きさですが、「平成いろは丸」はおよそ半分のサイズで、全長22メートル19トン定員99名という小型の船です。大きさは小さいですが、本物のいろは丸を忠実に再現しており、3本マストもつけられています。

ちなみに本物のいろは丸はトン数は160トン、45馬力がでました。「平成いろは丸」は船の内部にはレトロな雰囲気が漂っており、坂本竜馬の写真も展示してあります。まるで幕末のころの蒸気機関に乗っている気分で航海が楽しめるのです。

福山 鞆の浦 平成いろは丸 坂本竜馬

鞆の浦のシンボル、弁天島を通り抜け仙酔島までいきます

福山 鞆の浦 平成いろは丸 坂本竜馬

3本マストも再現

福山 鞆の浦 平成いろは丸 坂本竜馬

船内にはいろは丸に関する展示が

福山 鞆の浦 平成いろは丸 坂本竜馬

平成いろは丸

弁天島などの瀬戸内海の風景が見れる

「平成いろは丸」の見所のもう一つが、何といっても景色です。鞆の浦は福山一の観光地として有名であり、江戸時代の町並みだけではなく、瀬戸内海の独特の美しい景色を堪能できる場所でもあるのです。特に、「平成いろは丸」が航行する場所は、鞆の浦から仙酔島までのわずか5分ほどの距離ですが、その間、瀬戸内海独特の美しい海の風景を眺めることができます。

例えば象徴的な風景のひとつが弁天島です。弁天島は小さい島で鳥居が設けられている島です。上陸することはできず、鞆の浦の陸側からの景色として眺めるか、「平成いろは丸」から眺めることしかできません。因みに弁天島で祀られている弁財天は、日本各地に存在する水の守護神で、海難事故を防いでくれたり、大漁をもたらすご利益があると言われています。

更に、「平成いろは丸」のゴール地点である仙酔島も海から眺めることができます。この弁天島と仙酔島の風景は、かつてこの地を訪れた朝鮮通信使が、朝鮮半島より東で最も美しい風景と称した場所としてまのあたりできます。国定公園としての瀬戸内海の風景が十分に堪能できることでしょう。

福山 鞆の浦 平成いろは丸 坂本竜馬

仙酔島まで5分です

福山 鞆の浦 平成いろは丸 坂本竜馬

弁天島も目の当たりに

仙酔島。「平成いろは丸」の到着地点

「平成いろは丸」は、鞆の浦から仙酔島までを航行する船で、その見所のひとつに仙酔島があります。仙酔島はその名前が示す通り、仙人も酔っぱらってしまうほど美しいとされた島で、いわば弁天島とともに鞆の浦のシンボルとされた島です。

もともと火山活動で古代、9000万年前にできた島で、火山岩で作られました。現代では、避暑地や景勝地として知られていますが、仙酔島を景勝地として注目したのが江戸時代の朝鮮通信使です。朝鮮通信使とは朝鮮と江戸幕府との外交使節で、将軍などの代替わりの際に、朝鮮から日本に祝辞を述べるためなどで来日しました。

その際、朝鮮通信使は九州から瀬戸内海の山陽道を通り江戸まで旅をしましたが、そのさい、鞆の浦の福禅寺対潮楼は迎賓館として使用され、たびたび朝鮮通信使が泊まった場所でもあるのです。その際、朝鮮通信使の従事官であった李邦彦が、福禅寺からみた仙酔島と弁天島の風景を「日東第一形勝」と評し、朝鮮半島から東で最も美しい島として評しました。

仙酔島は現在はこのような景勝地としての魅力以外に、隠れた海水浴場やキャンプ場としていまも利用されているのです。また、ここは海岸沿いに遊歩道が整備されており、5色に変わる岩が見れたり、瀬戸内海の風景を眺めながら散策を行うことができます。

仙酔島

いろは丸のエピソードとは

因みに、「平成いろは丸」の元となっているいろは丸は、伊予大洲藩が坂本龍馬の勧めで購入した船でした。伊予大洲藩はわずか6万石の小藩ながら、木蝋や和紙、砥部焼などの産業を興すなど、経済政策に敏感な藩でした。こうした先進性を持つことから、坂本龍馬の提唱する貿易事業に大いに賛成したのかもしれません。

しかし不幸なことに、積み荷を積んだ船が、鞆の浦沖で紀州藩が操船する明光丸と衝突し、沈没させられてしまいます。この時の事故は「いろは丸事件」として海援隊と紀州藩のもめごとに発展し、鞆の浦の福禅寺が談判場所に選ばれました。

実際、非は紀州藩側にあったとされましたが、紀州藩は幕藩体制のなかの親藩という立場から逃げようとし、それに対して坂本龍馬は土佐藩の力を背景に、万国公法、今でいう国際法をもとに談判を進め紀州藩に賠償責任を負わすことに成功しました。その際、坂本龍馬が幕府からの密偵から身を隠した場所が、鞆の浦に残る桝屋清右衛門宅です。

福山 鞆の浦 平成いろは丸 坂本竜馬

坂本竜馬の写真も

「平成いろは丸」の乗船場までのアクセス

「平成いろは丸」は鞆の浦から、仙酔島までのわずか5分間の時間を乗船することができます。ちなみに仙酔島は鞆の浦から渡ることができる一大観光スポットで、海水浴や海岸の散策、アウトドアなどお楽しみが目白押しの場所です。

「平成いろは丸」は往復で大人240円、小人120円の料金で、運行は朝7時10分から夜9時30分まで行っています。この「平成いろは丸」の乗船は市営渡船場として運営され、駐車場もあり、目の前に有料駐車場も完備しているため、車でのアクセスがベスト。カンデオホテルズ福山からも車で20分ほどでいくことができます。

ちなみに目の前の有料駐車場は鞆の浦全体の街歩きの拠点としても使用できます。わずか5分間ですので気軽に仙酔島まで渡られてみてはいかがでしょうか。

平成いろは丸乗船場はこちら

平成いろは丸の利用案内

所在地:広島県福山市鞆町鞆623-5
TEL:084-982-2115
料金:240円(往復)

「平成いろは丸」と一緒に見たいおススメ観光スポット

鞆の浦には多数の観光スポットがありますが、ここでは、「平成いろは丸」と一緒に見たいおススメ観光スポットをご紹介しましょう。

福禅寺対潮楼

いろは丸乗船場のすぐ近くにあるのが福禅寺対潮楼です。この福禅寺対潮楼は既に見所の部分で登場しましたが、江戸時代を通じて朝鮮通信使が宿泊する迎賓館として利用された場所です。国の史跡に登録されており、かつて朝鮮通信使が「日東第一形勝」と称した美しい風景は今でも健在です。また、福禅寺対潮楼では、いろは丸事件の際に海援隊と紀州藩側の談判場所になったため、幕末の志士や海援隊士の写真などが展示され、資料も展示されています。

鞆の浦 弁天島

福禅寺からの眺め

大可島城

福禅寺対潮楼のすぐ近くにあるのが大可島城跡です。こちらは現在は円福寺というお寺になっていますがかつては鞆の浦の拠点として村上水軍が城を構えていました。この大可島城跡も、いろは丸事件とかかわりがあり、こちらは談判中に紀州藩側が宿泊していた場所として知られています。

紀州藩側の記録では、坂本龍馬とその一派である海援隊は、ずいぶん乱暴な連中に見えたようで、そうした記録も残されているとか。またこちらの大可島城からの瀬戸内海の風景は絶景です。

大可島城

まとめ 竜馬ゆかりの他のスポットとセットで

もともと坂本竜馬は江戸幕府の軍艦奉行であった勝海舟のもとに弟子入りした変わった人物です。特に脱藩浪人の身分でありながら神戸海軍操練所の塾頭にもなるほど海軍に熱心でした。そして当時の武士たちがほぼみな藩に所属している時代でありながら、自ら海援隊を結成し私設海軍兼貿易会社を作り、紀州藩と対等の交渉を行うなど、極めて独立自尊の価値観をもった人物です。

とりわけ、坂本竜馬は、現在の株式会社のような形で、各藩から出資をあおぎ、船を運営して貿易事業を営み、利益は分配するという事業を開始していました。そしてその際、最も重要となったのが蒸気船です。当時はまだ蒸気船は非常に珍しく、大洲藩を説得して苦心して手に入れたいろは丸が相手方の不注意で沈められたことはおおきなショックだったことでしょう。

しかし坂本龍馬は、その事件を日本における国際法の初めての談判ケースとし、その歴史を作ったのです。こうした点から、ここ鞆の浦は、当時の国際法、いわゆる万国公法をもとにして海難事故が取り扱われた最初の地と言えるでしょう。また、鞆の浦にはそんな坂本竜馬と海援隊士にゆかりの場所として、隠れ家や談判場所などが多く残されているのです。こうした点から、鞆の浦にはいろは丸事件ゆかりの観光スポットが多数登場します。またその全ての場所で、鞆の浦ならではのうつくしい風景が楽しめることでしょう。