鞆の浦で見れる、坂本龍馬のもう一つの談判場所。御舟宿いろは

鞆の浦に残る。坂本龍馬ゆかりの地

瀬戸内海に望む福山の景勝地、鞆の浦。江戸時代から続く町並みが残るとともに、幕末の志士である坂本龍馬ゆかりの地として知られます。

坂本龍馬は、亀山社中という各藩出資の貿易会社兼、私設海軍海援隊を率いた人物。ここ鞆の浦では、坂本龍馬が乗るいろは丸が、紀州藩の船明光丸と衝突事故を起こし談判に使われた場所として有名です。

そんなところから、鞆の浦には、坂本龍馬の海援隊と紀州藩でたびたび談判が行われましたが、談判場所や、両者の宿舎などが今もこの地で残されています。一般的に坂本龍馬と紀州藩の談判場所は、弁天島の景色を望む福禅寺対潮楼が有名ですが、ここ鞆の浦にはもう一つ談判場所があるんです。

それが本日ご紹介する御舟宿いろは。ここは2004年に御舟宿いろはとして新たに改装されてオープンされたカフェ・レストラン。それまでは旧魚屋萬蔵宅として街中に残されているだけでした。本日は鞆の浦で訪れることができる坂本龍馬ゆかりのスポットをご紹介します。

坂本龍馬の談判場所。旧魚屋萬蔵宅、御舟宿いろはへのアクセス

御舟宿いろはは、もう一つの坂本龍馬の談判場所である福禅寺対潮楼のすぐ近くにあります。ちょうどとなりの区画に位置しており、福禅寺対潮楼からは徒歩2分ほどの場所に。

竜馬の談判相手である紀州藩の宿舎であった圓福寺からもわずか2分で行くことができます。この周辺には、さまざまな観光スポットがありますので町歩きの一つとして回られてみることをオススメします。

ちなみにカンデオホテルズ福山から鞆の浦までは、車で約20分ほどで行くことが可能。鞆の浦観光情報センターか、いろは丸乗船場付近の駐車場に停めて回るのがいいでしょう。

宮崎駿監督のイメージ図をもとに修復。宿屋・喫茶店として生まれ変わる

坂本龍馬談判場所である御船宿いろはは、龍馬が談判を行った幕末には魚屋萬蔵宅として運営、2001年までは呉服店として使用されていました。しかし、老朽化が激しく、建物として存続が厳しいことから、2003年に地元のNPO法人である「鞆まちづくり工房」買取、国内外から寄付金を募り修復を行った建物です。

この修復には日本を代表する映画監督宮崎駿監督が鞆の浦を訪れた際に、この町家を見学し、修復後のイメージ画像をスケッチされたとのことで、このスケッチをもとに現在の御船宿いろはが改修されたとのこと。

宮崎駿監督のスケッチはなんと20枚近くに上り、ペンと水彩で綺麗に描かれ、スケッチのもとには「新しいもの好きだった龍馬の性格ならではの雰囲気」を軸に創作が勧められました。

ちなみに坂本龍馬は当時外国から輸入された香水やブーツなども最初に取り入れた人物の一人で、和服にブーツ、オーデコロンをふりかけ異様な臭いを発していたとの記録もあります。

この御船宿いろはは、現在喫茶店としても利用でき、尚且つ宿屋としても宿泊することができます。

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まとめ 坂本龍馬ゆかりのスポットの一つとして楽しめる

鞆の浦にはこのお船宿いろは以外に、坂本龍馬に関するスポットがいくつか残されています。もう一つの談判場所である福禅寺対潮楼は、朝鮮からの外交使節を迎える迎賓館としても使用され、朝鮮半島から東で最も美しい場所といわれた場所。

また、升屋清右衛門宅は江戸幕府からの密偵から身を隠すため、龍馬が隠れた隠れ家として今もその姿を残します。

また、福禅寺対潮楼から見ることができる弁天島は、坂本龍馬が乗船していたとされるいろは丸を再現したレプリカの渡船で目の当たりにすることが。いろは丸では、沈没事故に関する展示も見れるいろは丸展示場も見ごたえがあります。

このように鞆の浦には、江戸時代の町並みの中にも、幕末の志士坂本龍馬が実際に滞在し訪れたとされるスポットがそのまま残されており、目の当たりにすることができます。

御船宿いろはは、そんな坂本龍馬ゆかりのスポットの一つとして、訪れてみてはいかがでしょうか。