広島城。明治まで続く浅野氏の一大居城

広島城とは。広島観光の一大スポット

広島の観光スポットとして代表的な存在の一つが広島城です。広島城は芸州広島藩浅野家42万石の居城として、江戸時代から明治時代、更には太平洋戦争の末期に原子爆弾の投下によって焼失するまで、存在していた日本最古の天守閣を持つお城だったとされています。

現在の天守閣は1958年に再建されたもので最古ではありませんが、お隣の浅野氏の庭園であった縮景園と共に、この地を代表する観光スポットの一つです。

また、広島城は、戦国時代には毛利氏の一大拠点として作られた巨大な城でした。1589年、戦国時代末期に毛利輝元によって築城され、更にはその後初代広島藩主となった福島正則によって拡張され、全盛期には総面積が90万平方メートルにも及んだとされています。

これは正方形に直すと、縦横約1kmほどの規模で、現在の広島の繁華街である八丁堀なども、その名前からもわかる通り、堀があった名残から名前が付けられています。そしてその規模は、広島湾まで臨むほどでありました。現在の多くは現代の開発などで失われていますが、約27万平方メートルほどといわれています。

そんな広島城には天守閣や櫓などの遺構が残されており、当時の姿をしのぶことができます。

広島城

広島城の堀

広島城の歴史。中国地方9カ国の太守毛利家の一大居城

広島城は江戸時代を通じて浅野家の居城でしたが、もともとその始まりは戦国時代に毛利家が一大拠点を築いたことから始まります。毛利家は有名な武将毛利元就によって中国9カ国の大大名まで成長しますが、その居城は長らく、毛利家発祥の地でもある吉田郡山城でした。

吉田郡山城は広島県の山間部に位置する山城で、小さな領主として北は尼子氏、西は大内氏に挟まれて小競り合いをしていた時期には、守りが固く最適なお城だったと言われています。

しかし、元就の活躍によって隣の大内氏を滅ぼし、北の尼子氏を平らげ、中国地方9カ国まで勢力を拡大すると、吉田郡山城はその拠点としてはふさわしくない場所になりました。

そこから中国地方9カ国の一大拠点として築城が始まったのが広島城です。実際に築城が行われたのは1589年で、毛利家の新たな中心地として作られたのです。

広島城

福島正則の改築で巨大な城に

その後、関ヶ原の戦いによって徳川家が天下を取ると、西軍の旗頭であった毛利家は、現在の山口県である周防と長門二カ国に減封されてしまいます。

広島城は、関ヶ原の戦いで功績のあった福島正則が新たに城主として赴任し、広島城を大きく改築するのです。福島正則は大きく巨大な城に拡張することで、徳川家の怒りをかい、また洪水の被害の修復工事を幕府に届け出なかったことを理由に改易されました。その後この地に赴任してきたのが浅野家で、明治時代まで12代、約250年もの間続いたのです。

明治から昭和にかけて陸軍の司令部が置かれる

明治時代によって近代国家が作られるにおよび、広島城には陸軍の司令部が置かれるようになりました。明治時代には広島鎮台司令部が、日清戦争の時代には、大本営が置かれ、その後大正から昭和にかけては太平洋戦争の拠点として第二総軍司令部が置かれました。この陸軍司令部後は、現在も本丸の天守閣前に跡地が残されています。

広島城の見所

広島城は、原子爆弾の投下によって戦国時代から残るその貴重な文化財の多くが失われてしまいました。中でも大きな存在が天守閣です。それまで広島城の天守閣は岡山城の天守閣に次いで日本最古の天守閣として知られ、かつての国宝として知られていました。現在は3代目となる天守閣を見ることができます。

また、広島城には多くの櫓などが残されており、平櫓や多聞櫓などが二ノ丸に残されています。こちらも戦後に復興されたもので当時の姿をしのぶことができます。ここでは広島城の見所をご紹介します。

天守閣。3代目の復興天守閣

広島城の天守閣は、1945年に原子爆弾によって破壊されるまでは、戦国時代のものがそのまま残されてきました。いつから天守閣が建てられていたのかはっきりした年代はわかりませんが、一説では朝鮮出兵時に豊臣秀吉がその拠点である名護屋城に向かうため、この場所に立ち寄り広島城の天守閣に登ったとの記録があります。

年代でいえば1592年でそのころには既に天守閣が存在していたとする記録です。その後、広島城の天守閣は浅野家の居城として明治維新を迎え、1931年にはかつての国宝にも登録されました。

構造は小さい天守閣である小天守をつなぎ合わせた連結式のもので、5重の天守閣に三重の小天守を二つ連結したものとされています。ちなみに、浅野家の藩政時代には、政務は御殿でとられており、天守閣は倉庫として使用されていたとのことで、この倉庫としての利用は近代の陸軍の司令部になってからも変わらなかったとのことです

戦いが無い時代には、ある意味実用性があまりない存在なのかもしれません。その後戦争によって焼失すると、1958年に再興されました。

現在は創建当時からの姿に忠実に作られていますが、つくりは火災対策のため石で作られており、最上部が木造になっています。こちらの天守閣は博物館にもなっており内部を見学することができます。

広島城天守閣

広島城の天守閣です。

旧天守閣の礎石

広島城の天守閣のすぐ隣には、天守閣再建の際に取り除かれたかつての天守閣の礎石が見ることができます。この礎石の位置は、そのままかつての天守閣の位置をもとに現在の場所に移されています。

広島城

広島大本営跡

先にご紹介したように、広島城は近代に入ってから陸軍の司令部としても利用されていました。その名残は天守閣がある本丸で見ることができます。陸軍の司令部としての始まりも古く、明治10年、1877年には広島鎮台司令部が置かれました。

ちなみに鎮台とは明治陸軍の一番初めの軍団のことで、その名称からも国内の拠点防衛を目的とした軍隊でした。その後師団に変わるとここには第5師団が置かれ、日清戦争の時には大本営もおかれたのです。

大本営とは、全日本陸軍の総司令部のことで明治天皇もこの地を訪れ、一時的に仮の首都となったのです。ここではそんな広島大本営跡が目の当たりにできます。

広島城 

二ノ丸表御門

広島城の構造は、かつては1km四方の巨大な城で、その先は広島湾にも面していましたが、現在城としての雰囲気を残すのは二ノ丸のみです。この二ノ丸で見ることができるのが二ノ丸表御門です。二ノ丸表御門も原爆によって焼失してしまいましたが平成に入ってから復興されました。

こちらの表御門は、お次にご紹介する櫓たちと共に存在する防御の一大拠点で、内部にも入ってみることができます。

広島城

二ノ丸の櫓。平櫓、多聞櫓、太鼓櫓

二ノ丸は防御の一大拠点として、その周囲を櫓で取り囲まれています。表御門の隣にあり、角に突き出ている櫓が平櫓です。こちらの平櫓も平成になってから復興されたもので内部にも入ることができます。

この平櫓から始まる長い櫓が多聞櫓で、何とその長さは63メートルにも及びます。こちらも内部公開されており、鉄砲などを中からうてるように鉄砲穴が多数設けられています。

そして多聞櫓の先にあるのが太鼓櫓です。太鼓櫓は、二重構造になっている櫓で戦いの際にはここから太鼓が鳴らされることから太鼓櫓と名づけられました。二ノ丸の強力な防御構造を目の当たりにできるのです。

広島城

池田勇人銅像

広島城には広島県出身の政治家で、内閣総理大臣も務めた池田勇人の銅像も建てられています。池田勇人は、第58代、59代、60代の3期の総理大臣をつとめた人物で有名な所得倍増計画を行った人物です。

また官僚時代には吉田茂の右腕として、大蔵大臣なども務めました。もともと大蔵省出身として財政政策や経済政策に明るかった池田勇人は、戦後の日本の経済成長を政策によって大きく押し上げた人物として知られています。

広島城

広島護国神社

天守閣がある本丸には広島護国神社があります。護国神社は戦争など国家のために亡くなった方々を祀った神社で、東京都と神奈川県以外の全国にあります。

広島護国神社でも太平洋戦争で亡くなられた方や、原子爆弾によって亡くなられた方々などを祀っています。ちなみにプロ野球チームの広島カープが必勝祈願で訪れる神社でもあるのです。

以上が広島城の見所ですが、現在は本丸と二ノ丸を中心に復興された歴史的建造物が見所です。

広島護国神社

広島城とセットで見たい周辺観光スポット

広島城は広島の中心部からやや北にあり、その周りには一緒に回りたい観光スポットが登場します。ここでは広島城とセットで見たい代表的な観光スポットの一部をご紹介しましょう。

縮景園。広島藩主浅野家の大名庭園

広島城は、江戸時代から明治維新を迎えるまでの250年間、浅野家の居城として存在していました。江戸時代の大名家は城内に大名庭園を造っていたことが多く、縮景園も初代広島藩主である浅野長晟が家老である上田宗箇に命じて作った日本庭園です。

その後歴代藩主たちが増改築を繰り返し、現在のような大きな大名庭園になりました。こちらの縮景園は、広島城からも歩いて数分の場所にあるので、ぜひセットで見ておきたい観光スポットです。

ちなみに縮景園を作った上田宗箇という人物は、戦国時代生き残りの歴戦の武将として知られ、同時に茶人としても有名な人物です。初めは織田家の家老であった丹羽家につかえ、その後浅野家が大名になるとともに合戦がわかる侍大将が必要とのことで、上田宗箇を1万石の大名各として召し抱えます。

大阪夏の陣では有名な塙壇右衛門を打ち取ったことでも有名です。この縮景園の見所は借景庭園としてだけではなく、中国の西湖周辺の風景を再現した美しい水の景色が楽しめます。また、多数の樹木が植えられており、ゆったりとした散策の時間を楽しめることでしょう。

縮景園

まとめ

広島城は大毛利家の一大拠点として、また戦国時代の猛将福島正則が改築を行なった城として、更には浅野家250年の歴史が集まった場所として、数々の見所が存在します。原爆によって焼失してしまったとはいえ、当時の姿を再現した歴史的建造物の数々には目を奪われます。ぜひ広島観光の一つとして訪れてみてはいかがでしょうか。