広瀬歴史記念館。新居浜にある隠れた日本建築と庭園スポット

広瀬歴史記念館。新居浜に残る名所

「東洋のマチュピチュ」の異名をとる別子銅山。日本の産業遺産として、貴重な銅山観光と、他では見ることができない圧巻の風景が楽しめます。そんな別子銅山は、なんと280年近い歴史を誇っており、江戸時代の1690年に発見されてから1973年の現代に至るまで、日本の近代化に大きく貢献した銅山なのです。

この別子銅山は江戸時代から住友家が運営しており、明治時代以降近代国家になっても住友金属鉱山が運営していました。そして江戸時代の末期から明治時代にかけて別子銅山を実際に経営していたのが初代住友総理人である広瀬宰平です。

総代理人とはいわゆる今でいうところの代表取締役社長で、広瀬宰平は近江、今の滋賀県出身で、叔父が別子銅山の支配人を務めていたことから幼少期に別子に移り住みました。そして本日ご紹介する広瀬歴史記念館はそんな広瀬宰平の邸宅と日本庭園、更には記念館まで見れるおススメ観光スポットです。ここでは他では見ることが出来ない美しい日本建築の建物と日本庭園が楽しめます。

広瀬宰平とは。別子銅山と住友ゆかりの人物

広瀬宰平は初代住友総理人です。もともと住友家はもともと戦国時代には武士でしたが、江戸時代に住友政友が医薬品を商う冨士屋を開いたことにはじまります。その後初代住友政友は娘婿である蘇我理右衛門が銅師であったことから、これを支援し銅商人として成長していきます。

その後住友家を一大商家として成長させた存在が別子銅山なのです。娘婿の蘇我理右衛門が精銅の技術を学び、その後政友の孫にあたる吉左エ門友芳の代に別子銅山の開屈に進出しました。別子銅山は世界最大級の産銅量を誇る巨大な銅山で、以来現代にいたるまで続き、現代へと続く住友財閥への基礎を作った存在でもあるのです。住友家は明治維新後に財閥へと発展していきますが、別子銅山の経営を任せていたのが広瀬宰平です。

広瀬宰平は、11歳から別子銅山に奉公にあがっており、1865年に別子銅山の近代化を進めようとして別子銅山の総支配人に抜擢されます。因みに1865年と言えば明治維新前の幕末で、アメリカやヨーロッパの存在が知られていたにしても、西洋の技術を取り入れ近代化を進めようとした時代を読む力は優れたものがあります。

明治政府になったのちは部下をフランスに留学させ西洋技術を別子銅山に導入し、近代的な銅山に発展させました。広瀬宰平はまた、別子銅山の近代的な経営だけではなく、住友家を近代的な会社として経営出来る体制を築いた人物としても知られます。住友家から総理人としてその権限を与えられ、いわゆる経営者として住友財閥全体の経営を統括しました。

そして、その広瀬宰平が住んでいたとされる邸宅と日本庭園をもとに整備されたのが広瀬歴史記念館なのです。

新居浜 日本建築 庭園 広瀬歴史記念館

広瀬歴史記念館の見所

広瀬歴史記念館は、広瀬宰平の邸宅と日本庭園をベースに、桜の名所である広瀬公園、そして広瀬歴史記念館で構成されています。ここではその見所をご紹介します。

旧広瀬邸。初代住友総代理人の邸宅

広瀬歴史記念館は最初に登場するのが広瀬宰平が暮らした邸宅が登場します。この邸宅は明治10年に建てられえたもので、その後明治22年に増築されました。こちらは平成15年に、「別子銅山を支えた実業家の先駆的な近代和風住宅」として国の重要文化財に指定されています。

非常に広大な邸宅で、和風建築をベースにしながらもところどころ洋風が取り入れ得られた住宅で、尚且つここまで綺麗に整備されたまま現存している明治期の日本邸宅は他ではなかなか見られるものではありません。外からの建物の外観も美しいですが、内部にも上がって入ることができ、さまざまな設備を見ることができます。

当時西洋から輸入された洋式トイレやマントルピース、板ガラス、避雷針などが取り入れられていますが、それが和風建築に見事に調和され取り入れられています。ちなみに国の重要文化財として登録されている部分は細かく分かれており、主屋を中心に、新座敷、離れ、金物蔵・米蔵、乾蔵だけではなく、門番所や表門も指定されています。

また、この邸宅の見所は建物だけではなく、そこから見れる風景も見所です。現在も春には主屋2階の部屋から前の広瀬公園の桜が見えるそうですが、明治時代当時は新居浜市を一望することができたといいます。

 

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広大な日本邸宅は明治時代のもの

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中もくまなくみれます

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二階建てです

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美しい新緑の庭

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邸内から見る庭の美しさは格別です

日本庭園。茶室や心宇池もあるわびさびの世界

広瀬歴史記念館のもう一つの見所が邸宅の前に設けられている日本庭園です。この日本庭園は明治22年に建設されたもので、大阪の庭師、植木屋清兵衛によって作られたといわれています。この日本庭園は庭園内に茶室や心宇池が設けられており、小さい庭園ながらもわびさびの世界が展開されています。

茶室の名前は「指月庵」といい、東屋が設けられています。また心宇池は庭園の中央に設けられており、邸宅の東側を流れている小川から水がひかれました。この邸宅からも広瀬宰平が風流の持ち主だったことがわかります。おそらく庭園を散策したり、客を迎えて茶を喫したこともあるのでしょう。

ちなみに、日本庭園や茶室のようなわびさびの世界は、茶道に端を発するものですが、広瀬宰平はお茶とも深いかかわりを持っています。実は、広瀬邸の奥は広大な茶の製造機械の展示場になっており、広瀬宰平は製茶事業も行っていたことがわかります。主屋の奥には多数の茶の製造機械や設備が展示されており、実際に広瀬宰平によって昭和まで製茶工場が運営されていました。

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住友の家紋も

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当時の状態がそのまま再現

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美しい日本庭園

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わびさびの茶室

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内部も渋いです

広瀬歴史記念館。展示館では広瀬宰平と近代化の歩みがわかる

広瀬歴史記念館のもう一つの見所が展示館です。この展示館は、広瀬宰平の旧宅と日本庭園の裏側の通りを抜けていくことができます。こちらでは、広瀬宰平の生涯と日本の近代化に関する歴史が展示されています。広瀬宰平は先ほどご紹介した通り、9歳から別子銅山に奉公した人物です。

その後、日本の近代化と共にさまざまな事業を行い、いわば経済界の発展を築いた人物の一人です。住友家の事業の柱であった別子銅山の経営を初め、初代住友総理人として、大阪商船の経営や大阪財界の発展にも貢献した人物であり、その歴史をたどることで、日本の近代化の歴史も知ることができます。

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記念館です

広瀬公園。春は桜の名所

広瀬歴史記念館の目の間にあるのが広瀬公園です。厳密にいうと、広瀬歴史記念館も広瀬宰平の邸宅も広瀬公園の一部です。この公園は約3ヘクタールもの広さを誇っており、こちらは無料で利用できるゾーンです。愛媛県の名勝にも指定されており、ここは春には多数の桜が咲き誇るお花見スポットとして知られます。また、広瀬宰平の邸宅から眺める桜の景色も絶景です。

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巨大な池も

広瀬歴史記念館へのアクセス

広瀬歴史記念館へは車でのアクセスが便利。別子銅山の観光とセットで見られることをオススメします。別子銅山から車で15分ほどの場所にあります。また新居浜駅からも同じぐらいの時間でいくことができます。今年8月にオープンしたカンデオホテルズ松山大街道からは高速の松山自動車道で1時間ほどでいくことができます。

広瀬歴史記念館はこちら

広瀬歴史記念館の利用案内

所在地:〒792-0046 新居浜市上原2丁目10番24号
TEL/FAX:0897-40-6333/0897-40-6334
営業時間:9時30分~17時30分(受付時間は17時00分まで)
定休日:月曜日、国民の祝日の翌日(日曜日を除く)、12月29日から1月3日まで
駐車場:大型5台・普通車54台
交通:JR新居浜駅から車で15分

別子銅山もセットで

広瀬歴史記念館の観光は、広瀬宰平が総支配人を務めた別子銅山とセットで行うことをおススメします。別子銅山は主に銅山観光ができる端出場ゾーンと、東洋のマチュピチュといわれる東平ゾーンの2カ所に分かれており、それぞれの見所があります。

広瀬歴史記念館から端出場ゾーンまでは車で15分ほど、東平ゾーンは40分ほどで行くことができます。端出場ゾーンはマイントピア別子という道の駅兼、テーマパークが設けられており、銅山鉄道にのってかつての別子銅山の採掘場を観光することができます。

この銅山鉄道は400メートルほどの短いものですが、実際に別子銅山で走っていた蒸気機関車を再現したものに乗ることができ、他ではあじわえない体験ができます。採掘場の内部はジオラマを使ったさまざまな展示が行われており、江戸時代からの現代までの別子銅山の採掘現場を見ることができます。

一方、東平ゾーンでは、東洋のマチュピチュと称される圧巻の風景を目の当たりにできます。東平ゾーンは、かつて別子銅山で働いていた人々の村があった場所で、採掘した銅の貯蔵庫から、展示館まで登場します。その最大の見所がマチュピチュを連想させる風景です。

ここは標高750メートルの山奥にあり、貯蔵庫跡や、停車場、などかつての銅山に関する採掘施設の跡が山岳地帯に残されており、その風景が他の地域では見られない独得の風合を醸し出しています。またここでは銅板を使った体験工房マイン工房や美しい銅製品の数々の展示が楽しめる東平歴史資料館もあります。この別子銅山の二大観光スポットは新居浜の最大の見所なので、是非広瀬宰平歴史記念館と共に訪れておきたい場所です。

まとめ 新居浜の隠れたスポット

今回ご紹介した広瀬歴史記念館は、日本の近代化を築いた経済人である広瀬宰平の邸宅を中心に、貴重な重要文化財の日本邸宅、わびさびの庭園、広瀬宰平の近代化への取組、更には桜の名所による公園などが楽しめます。

記念館のメインを占める邸宅と日本庭園では、千和と洋が調和した独得の美しい、昔ながらの邸宅が目の当たりにできるとともに、落ち着いた時間を過ごすことができます。同時に、東洋のマチュピチュといわれる別子銅山とセットで訪れることでより旅が充実したものになることでしょう。