愛媛を代表する伝統工芸:内子の木蝋

内子の日本一の生産量を誇る伝統工芸

愛媛県には日本を代表するさまざまな伝統工芸が残されていますが、内子町の木蝋はその中でももっとも代表的なものの一つです。木蝋とは、植物の油を抽出して加工されたロウのことで、ロウソクや膏薬などの医薬品、化粧品の原料として使用されていました。

もともと日本ではウルシの木から木蝋を生産していましたが、江戸時代にハゼノキが琉球から伝わるとともに、木蝋の主原料として使用されます。このハゼノキも実はウルシ科の植物で、もともと東南アジアを中心に育っていた植物です。

江戸時代には日本全国でこのハゼノキを植え、木蝋を生産することが、一つの一大産業として成立していました。中でも内子町は、日本で最大の木蝋生産の都市として知られているのです。その背景には幕藩体制という特殊な藩経済が存在しました。

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様々な伝統工芸が生まれた江戸時代

江戸時代は関ヶ原の戦いで天下をとった徳川家康が開いた江戸幕府の時代です。江戸幕府は将軍家である徳川家を中心に、各大名が日本全国を統治する幕藩体制の時代です。ちなみに大名とは石高1万石以上の藩の事を言い、300諸侯と言われるほどの数が存在しました。

中には加賀100万石と言われる前田家のような大藩から、今回ご紹介する内子の領主でもあった大洲藩6万石のような小さい藩まで、様々な大名が日本全国に存在したのです。

江戸時代の経済はこうした各藩の活躍によって支えられていましたが、実は伝統工芸が生み出された背景の一つには、各藩の財政難が関係していたのです。

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 参覲交代と米中心で赤字に

江戸時代の諸侯は参覲交代という制度によって、妻子は江戸に住まわされ、1年は国許、1年は江戸で過ごさなければならないというように縛られていました。

この参覲交代という制度の目的は、一つは妻子を人質に取り、大名の反乱を抑制するという働きがありましたが、一番の大きな狙いは、各大名の財政を江戸で消費させ、反乱が起こせるような軍事力を保持できないようにすることとされています。

藩主を始め大量の藩士が国許と江戸を往復し、そこに発生する旅費や人件費などは膨大だと言われていました。こうしたことから、多くの藩が赤字に陥ったと言われています。

 

殖産興業が盛んに

もう一つ、各藩が赤字の原因の一つには、未だに藩経済の中心が米の収穫によって成立していたということが挙げられます。当時は江戸の金座、大阪の銀座と、金銀による貨幣が生産され、貨幣経済が定着していたため、米のみが収益では対応することは難しいためです。

こうしたことから、江戸時代の各藩は様々な殖産興業を行っており、藩によっては独自に産業を生み出していたのです。

中でも、大洲藩は、木蝋だけではなく和紙や焼き物(砥部焼)など独自に生み出していた産業が豊富で、中でも木蝋は日本一の生産量を誇りました。

 

大洲藩の殖産興業

大洲藩は現在の大洲市を中心に内子町や伊予市といったあたりを統治していた大名で加藤家6万石の藩です。加藤家は、石高は6万石の小藩ながら、高い教育水準と様々な殖産興業による発展により、幕末の時代には坂本龍馬と提携しいろは丸という船も貿易のために提供していました。

ちなみに6万石とは、だいたい1500名ほどの藩士を召し抱えられるほどの規模(1万石あたり250名)とされています。この大洲藩がちからを入れていた木蝋とその木蝋によって発展した町が内子町の八日市護国地区なのです。

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 木蝋生産の始まり。ハゼノキと和紙で作るロウソク

冒頭でもご紹介した通り、木蝋は日本には生存せず、東南アジアを中心に生えていた植物です。日本には安土桃山時代に博多の商人として有名な島井宗室や神屋宗湛などによって輸入されたのが始まりです。

当時はロウソクの生産のための原料として輸入され、それが日本全国に広まりました。和ロウソクは、中心の芯を和紙によって作り、その周辺をハゼノキによって生成された木蝋によって作られます。

 

日本一の生産量を誇り、海外にも輸出

大洲藩はこの木蝋によって日本有数の生産地として成長し、その発展ぶりは明治時代まで続きました。江戸時代の初期に木蝋で作られていたものはロウソクが中心でしたが、その後様々な製品の原料として利用されるようになり、軟膏や、口紅などの化粧品、クレヨンなどにも使用されました。

明治時代には万国博覧会に日本の木蝋が出展されるなど日本を代表する産業の一つに数えられ、海外にも盛んに輸出されました。

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今も残る木蝋生産で栄えた街並み

この大洲藩が生み出した殖産興業は幕藩体制が終わりを告げた明治初期や大正時代まで、内子の町を大いに潤したとされています。しかし、その後電気の普及や石油系原料の拡大により、次第に木蝋生産は衰退していきます。

現在は伝統工芸としてわずかにその姿を残していますが、内子町には木蝋によって栄えた様々な見どころスポットが存在しており、当時の豪商達の勢威や、それによって発展した街並みなどが楽しめます。

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木蝋生産の全てがわかる上芳我邸木蝋資料館

これまでご紹介をしてきた内子町の木蝋の軌跡は、八日市護国という街道の街並みに残されています。八日市護国地区は街並みそのものが重要伝統的建造物群保存地区に指定されているスポットで、全長約600メートルの街並みに多くの歴史的な建物が残ります。

その街道の入り口にあり木蝋の全てがわかるのが上芳我邸木蝋資料館です。この木蝋生産の製造業者として知られるのが芳我家は本芳我家、上芳我家、下芳我家などに分かれますが、中でも上芳我家は日本国内でも最大の木蝋生産の豪商といわれています。

現在でも内子町の八日市護国地区に存在しており、10棟もの建物を所有する広大な商人の邸宅跡として目の当たりにできます。

この上芳我邸は、大きく分類すると3つの見どころに分類されています。第一が、当時の豪商の邸宅がわかる主屋、第二が重要有形民俗文化財「内子及び周辺地域の製蝋用具1.444点」が保管されている国大最大の木蝋資料館、第三が、当時の木蝋の製造工程がわかる外の製造現場です。

 

木蝋で栄えた豪商の邸宅がわかる主屋

第一の見どころが、上芳我邸木蝋資料館に入ってすぐ案内される主屋です。この主屋は木蝋生産の最盛期に建てられたとされる建物で、10棟もの建物が現存しています。全て木造によって作られた建物であり、江戸時代の豪商の建物としては非常に貴重で、商売をする商家としての機能と、家族と暮らす住居としての機能、蔵などが見れます。

当時の商人は、家族と生活する住居の部分と商売をする商談の間などが一緒に揃っており、こうしたダイナミックな構造がそのまま残されている邸宅は他にはなかなかありません。

また、日本一の製造業者ということから、建物の建築に施された微細なこだわりが、主屋の至るところで見ることができます。またこの主屋は3階建てで、3階にのぼることができ、当時の木造による巨大な構造を間近で見ることが可能です。

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重要文化財と美しい製品が観れる木蝋資料館

主屋の見学から続いて見ることができるスポットが木蝋資料館です。ここでは重要有形民俗文化財「内子及び周辺地域の製蝋用具1.444点」が保存されており、実際の木蝋生産に使用された用具から、木蝋によって作られた当時の製品の数々まで目の当たりにすることが可能です。

木蝋によって作られた最大の製品はロウソクですが、ここでは光沢がある美しいロウソクの数々から、口紅などの化粧品、さらにはクレヨンまでが展示されています。また、商談をイメージした模型が展示されており日本最大の製造業者の瀟洒な雰囲気も楽しめます。

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木蝋の製造工程がわかる製造現場

最後に、上芳我邸木蝋資料館では、当時の木蝋生産の工程がわかる工場が展示されています。木蝋はハゼノキを熱して潰して絞り、ロウの成分を抽出しますが、その製造現場がそのまま残されており、当時の手作業による大変さが伺えます。

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上芳我邸木蝋資料館は、この3種類の展示を見ることで、当時日本一の生産量を誇り海外にまで輸出を行っていた日本の木蝋生産と、当時の豪商の暮らしぶり、さらには美しい木蝋製品の数々など、あらゆる部分が見て取れます。

 

 木蝋生産がもたらした発展と名残

木蝋生産の全てがわかるスポットが上芳我邸木蝋資料館ですが、木蝋生産によってもたらされた繁栄が町の至るところに残されています。ここでは内子町の町歩きに残る木蝋生産の名残を少しご紹介しましょう。

 

 内子座:100年以上昔の劇場

木蝋生産は大正時代まで盛んに行われていましたが、一生懸命働く商人たちの娯楽の場として設けられたのが内子座です。内子座は大正5年に大正天皇の即位を祝い建てられた木造2階建ての芝居小屋で、今でも現役で続いている劇場です。

現代では芝居や歌舞伎などは劇場やコンサートホール、歌舞伎座などでおこなわれ音響設備や仕掛けなども機械化されていますが、この内子座では舞台や観客席などもそのまま残されており、かつての時代の劇場がそのまま体験することができます。

当時役者が観客席に向けて見せる花道なども存在し、江戸時代の情緒あふれる雰囲気が楽しめるのです。こちらの建物は上芳我邸などとともに内子町の最大の見どころスポットの一つとしておすすめです。

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上芳我邸木蝋資料館の利用案内

住所:喜多郡内子町内子2102

電話:0893-44-2840

営業時間:9時〜16時30分

料金:大人500円、小人250円

※上芳我邸、商いと暮らし博物館の共通券あり

まとめ

内子町は愛媛県の山間部にあり、ここから日本一の生産量を誇る産業が生まれたとは到底想像もできない場所です。

またそこに残る全長600メートルの八日市護国地区が、上芳我家をはじめとする商人のエリアとして発展し、さまざまな商売がおこなわれていたと思うと、感慨も仁をに感じられます。

内子町の観光は木蝋と商人の歴史を知ることでより一層奥深いものになることでしょう。