談山神社。藤原鎌足を祀る神社

談山神社とは。藤原氏の祖、中臣鎌足を祀る

古都奈良の観光スポットの特長が、飛鳥時代や奈良時代といった非常に古い時代の観光スポットが多数残されている点です。本日ご紹介す談山神社も、飛鳥時代を代表する観光スポットです。

因みに、飛鳥時代とは、ちょうど仏教が日本に伝来し、聖徳太子などが活躍した西暦593年あたりから大化の改新により天智天皇が即位し、その後の天武天皇の時代、平城京へ遷都するまでのおよそ100年近くの時代をいいます。

そしてこの時代の最大の出来事と言えば、権勢をふるっていた蘇我氏が中大兄皇子と中臣鎌足によって滅ぼされた大化の改新です。

この談山神社はその大化の改新で活躍し、平安時代まで権勢をふるった藤原氏の祖ともいえる中臣鎌足を祀る神社なのです。そして談山神社がある多武峰といわれる場所は、打倒蘇我氏の計画が中臣鎌足と中大兄皇子の間で練られた場所でもあります。

そして、この談山神社は現在でも朱塗りの境内や十三重塔などの貴重な文化財が残る奈良の観光スポットとしておススメです。

談山神社

談山神社の歴史。名前の言われは大化の改新の談合から

談山神社は先にご紹介したように大化の改新の舞台ともなった場所です。飛鳥時代は推古天皇の時代にはじまり、聖徳太子と蘇我馬子の活躍から始まります。当時は仏教が伝来し、日本で初めてのお寺が作られたり、冠位十二階の制など朝廷の制度が整えられた時代です。

談山神社

こうした仏教や朝廷制度を確立する中心にいたのが蘇我馬子で、その子の蘇我蝦夷、蘇我入鹿の時代には絶大な権勢を誇ったと言われています。大化の改新は、こうした朝廷の中枢にいる蘇我氏を打倒するとともに、氏族中心である氏姓制度から、天皇を中心とした律令国家へと移行するための事件でした。

その計画は藤原氏の祖でもある中臣鎌足によって行われ、飛鳥寺で行われた蹴鞠の会で知り合った中大兄皇子と共に、この談山神社がある多武峰で談合されました。この談合する山ということから、名前が談山となり、談山神社の名前が付けられたのです。

談山神社

中大兄皇子と中臣鎌足によって蘇我氏は討たれ、中大兄皇子は天智天皇へ即位し律令制度が開始されます。中臣鎌足は藤原の性を賜り、ここから平安時代までに至る藤原氏の権勢が始まります。

談山神社はそんな中臣鎌足の長男が、留学中の唐から帰国後に、父にゆかりのある多武峰に父の墓を移し十三重塔の建立から始まりました。

談山神社

興福寺との争い。絶え間ない兵火

談山神社は、藤原氏の祖である中臣鎌足の長男によって作られ、祀られましたが、一方でもう一人の息子である藤原不比等は藤原氏の氏寺として興福寺を建設しました。興福寺は建設以降、奈良時代、平安時代と通じて、勢力を強め、多数の僧兵や武士を抱え事実上の大和一国(かつての奈良県)の国主となります。

談山神社はこの興福寺との間で長年所領の争いが絶えず、焼き打ちなどに合い焼失してしまうことがたびたびありました。その争いは室町時代まで続くほどで、それぞれ談山神社側の武士である十市氏や越智氏と、興福寺側である布施氏や北隅氏などが争いました。

こうした絶え間ない小競り合いが続き、更には戦国時代にこの地に支配権を延ばす松永久秀との合戦により、焼失などが起きました。その後、江戸幕府によって3000石で領地を認められ、現代までつづきます。

興福寺

談山神社の見所

そんな歴史が詰まった談山神社ですが、多数の見所が登場します。談山神社は多武峰といわれた山の上にありますが、山の中に朱塗りの美しい境内が登場します。ここではその見所をご紹介します。

朱塗りの拝殿や末社など

談山神社の建物は全て朱塗りの建物となっています。本殿から拝殿、末社に至るまで全ての建物が赤く塗られており、その美しさは周囲の木々と相まって目を見張るものがあります。例えば春の季節には桜が、新緑の季節には緑の木々とよく合い、紅葉の季節には、独特の雰囲気が楽しめるのです。

因みにその風景の美しさと、文化財のマッチングから「関西の日光」とい称されるほどの美しさが楽しめます。おススメです。

談山神社

十三重塔。藤原鎌足を祀るシンボル

談山神社では非常に珍しい十三重塔を目の当たりにできます。歴史の部分でもご紹介しましたが、談山神社の始まりは、藤原鎌足の長男である定恵が唐からの帰国後、十三重塔を築いたのが始まりです。

その十三重塔は、度重なる戦乱で焼失しましたが、現在は戦国時代の1532年に復興されたものが展示されています。この十三重塔は、談山神社のシンボルとして見れます。また木像の十三重塔では世界で唯一の存在です。

談山神社 

山に囲まれた神秘的な空間

談山神社では、神廟拝所に入ることができます。この建物から外の風景を一望すると周囲が山々に囲まれており、神秘的な雰囲気を味わうことができます。既に述べた通り、談山神社は関西の日光と称されるほど、木々や自然が美しい観光スポットであり、この境内と周囲の自然のマッチングは四季を通じて楽しめます。

談山神社

談山神社へのアクセスと利用案内

談山神社は、奈良の観光スポットの中でも南部である飛鳥地方にあります。飛鳥地方は、冒頭でもご紹介した通り、飛鳥時代の観光スポットが多数残るエリアで、日本で初めての仏教寺院であり、大化の改新で討たれた蘇我入鹿の首塚がある飛鳥寺や、蘇我馬子のお墓とされる石舞台古墳などがあります。

カンデオホテルズ奈良橿原もそんな飛鳥観光に最適な橿原市役所にあり、談山神社までは車で25分ほどで行くことができます。周辺の飛鳥地方の観光スポットとセットで回るといいでしょう。

談山神社の利用案内

所在地:〒633-0032 奈良県桜井市多武峰319
TEL: 0744-49-0001
FAX: 0744-49-0236
拝観料:大人600円、小人300円、小学生未満無料

談山神社のおススメ周辺観光スポット

談山神社は飛鳥地方の観光スポットと一緒に楽しむことができます。飛鳥地方には飛鳥時代の歴史スポットが多数残されており、こうした観光スポットと一緒にめぐることができます。

石舞台古墳。蘇我馬子のお墓

談山神社は大化の改新で蘇我氏打倒の計画が練られた場所ですが、そんな蘇我氏を代表する人物である蘇我馬子のお墓が石舞台古墳です。石舞台古墳とは、棺が納められている石室がむき出しになっていることから石舞台古墳と名づけられました。

そこでは巨大な石を積み重ねることによって作られた古墳が見ることができます。蘇我氏は蘇我馬子の代で、冠位十二階の制や、仏教寺院である飛鳥寺などを建立し、一つの時代を築きますが、大化の改新によって滅ぼされてからは、歴史の表舞台から降りることになります。

この石舞台古墳も、討たれた蘇我氏であることから、古墳の上の土が取り除かれ、内部の石室が向きだしにされているのです。この石舞台古墳は古墳の周りは芝生の広場になっており、憩いの場所として多くの人が訪れます。

奈良 石舞台古墳

蘇我馬子のお墓とされる石舞台古墳です。

飛鳥寺。日本で初の仏教寺院

談山神社の近くには蘇我氏が作った日本で最初の仏教寺院とされる飛鳥寺があります。飛鳥寺は蘇我馬子が作ったと言われており、日本に仏教が伝来して間もないころ、ここが初めてのお寺とされました。現在の飛鳥寺は、その建造物のほとんどが失われ、近世に入って立て直されたものですが、そこでは、当時の伽藍の名残である南大門跡などが見ることができます。

また、ここは談山神社ともかかわりが深く、大化の改新で討たれた蘇我入鹿の首塚がある場所でもあるのです。大化の改新は権勢を誇る蘇我蝦夷と蘇我入鹿の親子を、中臣鎌足と中大兄皇子が討った一大事件ですが、その際に討たれた蘇我入鹿の首塚が眠ります。

談山神社でその談合が行われたことを思い合わせると、ここ飛鳥寺は感慨深い場所です。因みに、飛鳥寺は都が平城京に移される際に、元興寺として移転され、南都七大寺のひとつとして世界遺産にも登録されています。

奈良 飛鳥寺

飛鳥寺はかつて大きな伽藍を備えたお寺でした。西門跡からその雰囲気がうかがえます。

高松塚古墳

談山神社から少し離れた場所に、有名な高松塚古墳があります。高松塚古墳は、壁画で有名な古墳です。国定飛鳥歴史公園のひとつである観光スポットで、高松塚古墳の壁画は国宝に登録されています。

残念ながらここでは本物の壁画はみることが出来ませんが、そのレプリカが展示されています。また高松塚古墳は、緑が美しい田園風景が広がる中に古墳があり、公園の散策として楽しむことができます。

高松塚古墳

安倍文殊院。安倍晴明ゆかりの地

談山神社から車で15分ほどの場所にあるのが安倍文殊院です。安倍文殊院は安倍晴明ゆかりの場所です。安倍晴明は陰陽師として知られる平安時代の人物で、小説や映画などで現代でも有名な人物です。陰陽師とは朝廷に仕え占星術をもって使える人物です。この安倍文殊院は緑に囲まれた中、本堂や古墳などが登場します。

安倍文殊院

まとめ

談山神社は、飛鳥地方を代表する観光スポットのひとつです。奈良時代から平安時代にかけて朝廷に使えて勢力を伸ばした藤原氏ゆかりの場所として楽しめます。同じく、藤原氏ゆかりの観光スポットとして談山神社と対抗していた興福寺や春日大社とともに観光するのもいいでしょう。

また、飛鳥地方には大化の改新で滅ぼされた蘇我氏ゆかりの観光スポットが多数登場します。蘇我入鹿の首塚がある飛鳥寺や、蘇我馬子のお墓とされる石舞台古墳などがおススメです。更に飛鳥地方には、藤原京跡や橿原方面には橿原神宮といったさまざまな観光スポットがあるためおススメです。