飛鳥寺。日本最古の仏教寺院と蘇我入鹿の首塚

飛鳥寺とは。日本で最初の仏教寺院

田園風景や山などが広がる奈良県明日香村。ここは、かつて日本の首都があった場所です。今から遡ること1400年以上昔、かつて「飛鳥」といわれていたこの地に、都が築かれていました。

有名な聖徳太子の時代です。この飛鳥の都の中でもその代表的観光スポットの一つが本日ご紹介する飛鳥寺です。飛鳥寺は、日本で最も古いとされる本格的な仏教寺院として知られ、最古の大仏ともいわれている飛鳥大仏もあるお寺。

また、ここは飛鳥時代に権勢をふるった蘇我氏の氏寺でもあるのです。飛鳥寺の現在の建物は再建されたものですが、かつては五重塔や東西の金堂などをそびえた、巨大なお寺として存在しました。

また、ここでは後の天智天皇である中大兄皇子や藤原氏の祖とされる中臣鎌足によって討たれた蘇我入鹿の首塚などもあるのです。そんな歴史と見所がたっぷりの飛鳥寺をご紹介します。

奈良 飛鳥寺

飛鳥寺の見所

飛鳥寺は、創建当時の部分はほとんど残されていませんが、田園風景の中にたたずむその姿や、日本最初の仏教寺院という存在から、多くの観光客が訪れるスポットでもあるのです。

特に飛鳥時代に絶大な権勢をふるい、日本に隋から仏教を持ち込み、広めた蘇我馬子が創建したお寺として、歴史の教科書ではお馴染みのお寺という事から、学校の修学旅行などでも訪れる場所です。ここではそんな飛鳥寺の見所をご紹介しましょう。

奈良 飛鳥寺

日本最古の仏教寺院

日本に仏教が伝わったのは、西暦538年のことだったと言われています。当時は推古天皇の時代で、百済から伝わった仏像と共に、伝わりました。もともと日本にはさまざまな場所に神様が存在していましたが、当時の朝廷の方針によって仏教を中心にすると発表されます。

そのさいに仏教導入を推進していた代表的な人物が、飛鳥寺を創建した蘇我馬子だったのです。当時は蘇我氏ともう一つ、物部氏という軍事をつかさどる氏族が勢力を持っており、この物部氏は仏教の導入に反対の立場をとっていました。

蘇我馬子は聖徳太子と共に物部氏と戦い、これを破ることで、朝廷の統治の柱に仏教をそえるとともに、冠位十二階の制や、十七条憲法などを定めたことでも知られています。そうした飛鳥時代の政治の中心だった蘇我馬子が自らの氏族の氏寺として創建したのが飛鳥寺なのです。

こうしたことから、飛鳥寺は日本で最古の仏教寺院とされており、当時は法興寺といわれていました。そこでは最古の仏像である飛鳥大仏が存在します。

奈良 飛鳥寺

日本最古の仏教寺院。しかしその多くは再建されたものです。

造るための技術者、僧を百済から輸入

この日本で最古といわれる飛鳥寺ですが、当然のことながら作る際には、仏教寺院を作った人も、その姿を知る人も存在しません。

また作るきっかけになった理由は、当時日本には尼寺のみがあって僧がいる層寺が無かったことから、百済から訪れていた人が、本格的な僧寺を建設したらどうかという提案ではじまったとのことです。そこで本格的なお寺を作るために百済から僧と技術者を派遣してもらい建設が始まったのです。

そのさい派遣された技術者は、全部で8名で、寺工2名、鑢盤博士1名、瓦博士4名、画工1名と当時の記録に残されていました。ちなみにこの技術者の中で聞きなれない鑢盤博士とは、仏塔の屋根上の相輪などの金属製部分を作る技術者のことで、おそらく鋳造の技術者かもしれません。

金属を加工する技術は、加熱して溶けた金属を流しこむ鋳造が最も古く、仏像もこの技術で作られました。

こうして百済から本格的な技術者を招いて始まった寺院建設ですが、588年にはじまり、596年には蘇我馬子の子供である善徳が寺の主となり、高句麗から招いた恵慈と百済から招いた恵聡という2名の僧が住み始めたと記録されています。

当時の飛鳥寺は、中金堂、東金堂、西金堂が建ち五重塔を囲む一塔三金堂式の伽藍だったのです。

西門跡。歴史の舞台となった飛鳥寺の跡地

当時の姿は現在はみることが出来ませんが、飛鳥寺の外には当時西門であった場所の跡がのこされています。この西門は間口11.5メートル、奥行き5.5メートルといわれる巨大なもので、飛鳥寺がいかに巨大で伽藍を備えたお寺だったことがうかがえます。

また、ここは当時、多くの歴史の舞台となった場所として知られています。蘇我氏は、この飛鳥寺を作った蘇我馬子の子と孫の代に、中大兄皇子と中臣鎌足によって討たれますが、そのさい、蘇我氏を追い落とすために二人が初めてであった場所がこの西門のあたりの檜舞台だったともいわれています。

また、蘇我氏の邸宅に攻め込む際、二人が本陣を構えた場所がこの西門であったのです。更に、中大兄皇子の弟で、のちの天武天皇となった大海人皇子との闘い、壬申の乱の際には、西門は戦いに挑む軍勢で満ち溢れたとの記録があります。

それ以降の時代は、このあたりは海外、特に朝鮮や中国からの外交使節を歓待する広場として利用されていたとも。さまざまな歴史のエピソードがある一体です。

奈良 飛鳥寺

飛鳥寺はかつて大きな伽藍を備えたお寺でした。西門跡からその雰囲気がうかがえます。

蘇我入鹿の首塚が残る

飛鳥寺を作った蘇我氏は、蘇我馬子の子供、蝦夷と入鹿の時代に、中大兄皇子と中臣鎌足によって討たれ没落します。これまでは、絶大な権力を誇り、朝廷を牛耳ろうとした蘇我氏が、その越権行為の反発を買い、討たれたと言われていますが、近年の研究によると、朝廷内における勢力争いだったとの見方もされてきています。

また、蘇我入鹿が軍備を強化していた理由は、当時、唐や百済からの侵攻に備えるためだったとされており、現代の発掘調査で、その邸宅はかなりの規模で、堀や防衛上の構造も施されてあったとされています。

いずれにせよ、蘇我入鹿は、飛鳥板蓋宮の大極殿において討たれ、その首は討ち捨てられたと言われています。その非業の死を遂げた蘇我入鹿の首塚が飛鳥寺の境内の外で見ることができます。

奈良 飛鳥寺

飛鳥寺を作った蘇我氏。蘇我入鹿の首塚です。

飛鳥大仏。日本最古の大仏

飛鳥寺には日本最古といわれている仏像の飛鳥大仏が本尊として祀られています。高さは272.5センチメートルと大きく、国の重要文化財にも登録されています。飛鳥寺の伽藍は残されていなかったのですが、この大仏は日本最古なのに国宝ではない理由が、その損傷の多さだったと言われています。

この仏像は鎌倉時代の落雷による火災で大きな被害を受けており、どこからどこまでが作られた当初のもので、新しく補修されたのかがわからない状態だったとのことです。

例えば、頭の上半分や左耳、右手の指3本は作られた当初のもので、体の大部分は後世のもの、更には左手は木製など、全てが作られた当初のものではないことから重要文化財に登録されているのです。

飛鳥寺へのアクセス

飛鳥寺は駐車場も備えており、車でアクセスするのがベストです。またその周辺はかつての都であったとは思えないほど田苑風景や山々に囲まれており、道も狭いため、運転に注意が必要です。電車でアクセスする場合には、近鉄電車「橿原神宮駅」で降りた後、バスに乗り換えて、岡寺前行バスにのって約10分かかります。

その後、バス停「飛鳥大仏前」で降りれば行くことが可能です。カンデオホテルズ奈良橿原からは車で20分程度でアクセスすることが出来ます。

飛鳥寺の利用案内

所在地:奈良県高市郡明日香村大字飛鳥682
TEL:0744-54-2126
拝観時間:4月1日~9月30日 9時~17時30分(受付は17時15分まで)
10月1日~3月31日 9時~17時(受付は16時45分まで)
拝観料:一般/大学生350円、高校生/中学生250円、小学生200円
休業日:4月7日~4月9日
駐車場あり

飛鳥寺の周辺おすすめ観光スポット

飛鳥寺は1400年以上も昔の都であった飛鳥地方の中心に位置しており、その周辺にはさまざまな歴史観光スポットが登場します。そこでは飛鳥寺を創建した蘇我馬子ゆかりの観光スポットなども登場します。

美しい田園風景が広がる明日香村

石舞台古墳。蘇我馬子が埋葬されている巨大な石の古墳

まず初めにご紹介するのが石舞台古墳です。この古墳は国の特別史跡に登録されている場所で、公園にもなっている観光スポットです。

石舞台古墳は、幅約7メートル、高さ約1.2メートルという巨大な花岡岩を組み合わあせて作られている古墳で、古墳時代後期の古墳といわれています。

ちなみに古墳というと、日本の古墳は前方後円墳や円墳のように丸や四角の形をしたものが多く、天皇が埋葬されていることでも知られていますが、石舞台古墳は前述した通り、巨大な岩による古墳で、埋葬されているのも蘇我馬子か蘇我馬子の父である蘇我稲目ではないかと言われています。

また、もともとは、この岩の上に盛り土がなされ、2段積の方墳とも上円下方墳であったともいわれています。なぜ盛り土がはがされているかというと、蘇我氏が蘇我入鹿の代で討たれ、没落してしまったため、その懲罰として墓が暴かれたとも言われています。

石室内部にもさまざまな埋葬品が貯蔵されていましたが、暴かれたことでその埋葬品も盗難にあい、現在の内部の石の状態がむき出しになったといわれています。

ちなみにこの石舞台古墳の周辺は広場になっており、公園として多くの人が訪れる憩いの場として過ごすことができます。飛鳥寺からも車で10分ほどでいくことができおススメです。

奈良 石舞台古墳

蘇我馬子のお墓とされる石舞台古墳です。

まとめ

飛鳥寺は日本最古のお寺として、飛鳥時代に仏教を広めるきっかけともなったその最初のお寺として歴史観光が楽しめるお寺です。飛鳥地方はかつて1400年以上も昔に都があった場所ですが、美しい田園風景に囲まれており、その姿は伺いしれません。

しかし、当時の歴史を動かした蘇我馬子やその孫である蘇我入鹿などの活躍がしのばれるお寺かと思われます。また、すぐ近くには、飛鳥寺を創建した蘇我馬子を埋葬した特定史跡である石舞台古墳があり、一緒に訪れることで飛鳥時代の歴史をより一層実感できることでしょう。

またカンデオホテルズ奈良橿原からも車で20分ほどで行くことができるので橿原観光の一スポットとしてもおすすめです。