商いと暮らし博物館。日本を代表する創業者を生んだ商人の歴史がわかる

商人の町、内子町とは。木蝋産業から和紙まで

江戸時代から明治時代の町並みが残る内子町。松山市からわずか30分ほどの場所にあるこの街は、かつて木蝋という日本の生活必需品の一大生産地として栄えました。

もともと内子町は、大洲藩加藤家10万石の町としてしられ、内子町より南にある大洲市を中心に、幕末までこの地を統治していた藩でした。当時の藩は、江戸幕府の支配のもと、参勤交代という重い制度の中、どこの藩も財政難だったのです。

参勤交代とは、1年ごとに江戸と国元を滞在する制度で、藩主以下何百名、何千名もの藩士たちが毎年江戸と国元を行き来するのです。

当然、その費用は大名たちの自腹であり、その費用は莫大なものになりました。例えば当時の記録では、伊予大洲藩と同じ規模である宇和島藩では、江戸までの日数は30日、費用は986両となっており、現代の貨幣価値に換算すると、約1億2千万円(1両13万円で換算)ほどだった言われています。この参勤交代の目的は、大名の経済力をそぎ、謀反の可能性を摘み取るといった説などもあるほどです。

このため江戸時代はどこの藩も貧乏であり、この貧乏から脱出するために各地では様々な取り組みがなされていたのです。そのため、内子町の木蝋生産は、こうした当時の経済事情から大洲藩が殖産興業として始めたことにはじまります。

木蝋とは、ハゼノキといわれる木からロウをとり、蝋燭などの日用品に加工する原料で、内子町は明治時代に入ると日本一の生産量を誇りました。明治時代はこの木蝋からは蝋燭や化粧品、クレヨンといったさまざまな製品が作られ、海外にも輸出されるほどに成長したのです。

この木蝋生産は、ロウの原料に石油が使用されるまで続きました。内子町はこの木蝋生産のほかに、同じく大洲藩の殖産興業として始まった和紙の生産でも栄え、商人の町として知られるようになるのです。

この木蝋生産や和紙生産を中心に、内子町にはさまざまな商家が立ち並び、当時の商人の暮らしぶりを知ることができる観光スポットの一つが本日ご紹介する商いと暮らし博物館です。

商いと暮らし博物館は、内子町の観光スポットとして有名な内子座と、木蝋生産のストリート、八日市護国地区との中間に位置しており、上記の内子座と、木蝋資料館とセット券で見ることができます。

内子町

商いと暮らし博物館の見所とは

商いと暮らし博物館は、江戸時代や明治時代の内子町の商家を再現した博物館です。大正時代の薬屋が再現されており、内子町のメインストリートに面した場所にあり、通りに向けた店頭では、番頭さんの人形や薬箱などが置かれた当時の姿が見ることができます。外側からもその雰囲気がうかがえますが、内部では、さまざまな展示が楽しめるのです。

商売と住居スペースがある典型的な商家を堪能

江戸時代や明治時代などの商家の特長は、商人の住居と仕事をする商売のスペースが一体となっているのが特長的です。

番頭さんや手代などが日常業務を行うスペースや、商談を行う間、更には商品の在庫をストックしている蔵など、当時のビジネスをするシーンと、商人とその家族が生活する住居が一体となっており、住居スペースでは家族で食事をとる居間や、中庭の庭園など、生活とビジネスがうまく混在しているのです。

商いと暮らし博物館では、こうした商家の姿を実際の展示と人形模型で忠実に再現されており、まるでタイムスリップしたようにその姿を見ることができます。また、住居には実際に入ることが可能で、昔ながらの日本家屋の良さを体験できます。

商いと暮らし博物館

日本のビジネスの源流がわかる展示

冒頭でご紹介したように、内子町は木蝋や和紙などを中心に商人の町として発展してきました。現在、木蝋生産や和紙生産は、産業としてはありませんが、その商売の流れは、現代の日本のビジネスにも大きく受け継がれていることができます。

それがこの商いと暮らし博物館の展示から知ることができます。それは内子町からは日本を代表する二つの業界を創世した代表的な人物が輩出されているのです。第一にご紹介するのが、日本のビール業界を立ち上げ、日本のビール王といわれた高橋龍太郎です。

高橋龍太郎は、現在のアサヒビールとサッポロビールの元である大日本麦酒に入り、ビール造りに関わるとともに、ビールを日本の大衆文化まで成長させた人物です。またビールだけではなく、プロ野球のオーナーや日本サッカー協会の会長を務めるなど、スポーツ界でも活躍した人物です。

この高橋龍太郎に関する展示は、この商いと暮らし博物館以外で、その生家である文化交流ヴィラ高橋邸で見ることができます。

商いと暮らし博物館

商家と住居が一体となったつくり

高橋龍太郎

高橋龍太郎の邸宅跡もセットでおススメです

もう一人の人物は、現在の双日である日商岩井の創業者である高畑誠一です。双日は日本を代表する総合商社の1社で、日商岩井とニチメンが合併してできました。高畑誠一は、戦前の財閥で頭角をあらわし「皇帝を商人にしたような男」とも称された人物です。

高畑誠一の実家はこの内子町で、呉服や食料品、日用雑貨まで取り扱う商店を経営しており、生糸や木蝋の生産も行っていたほどです。誠一は高校卒業後は、戦前の財閥で有名な鈴木商店に入社し、その後日商岩井を興しました。また現在の日本興亜損保、当時の日本火災海上保険などの社長も務めた人物です。

更に以外ですが、現在のゴルフでは当たり前のゴルフクラブのヘッドカバーを考案した人物ともいわれています。商いと暮らし博物館では、この二人の人物、高橋龍太郎と高畑誠一いついての展示も見ることができるのです。

商人の歴史がわかります

商いと暮らし博物館の利用案内

所在地:喜多郡内子町内子1938
TEL:0893-44-5220
定休日:年末年始(12/29~1/2)
営業時間:9時~16時30分
駐車場:駐車場なし
料 金:大人200円/小・中学生100円 ※セット券(木蠟資料館上芳我邸、内子座、商いと暮らし博物館共通券)大人900円/小・中学生450円

商いと暮らし博物館へのアクセス

内子駅や、駐車場スポットでもある内子町役場内子自治センターを出発点として行く方場合は、徒歩6分ほどで行くことが可能です。一方で、八日市護国地区からスタートする場合には、駐車場がある高昌寺をスタート地点として、徒歩で15分ほどかかります。

どちらのスタート地点からでも内子町の街歩きは堪能することができますので、商いと暮らし博物館もそんな街歩きのワンスポットとして堪能してみてはいかがでしょうか。ちなみに、カンデオホテルズ松山大街道から内子町までは車で40分から50分ほどで行くことができます。

商いと暮らし博物館とセットで見たい周辺観光スポット

内子町の観光スポットは大きく分類して二つのスポットに分けられます。重要伝統的建造物群保存地区である八日市護国地区の一体と、内子駅から内子座、さらには下芳我邸などのメイン通りの一体です。

この二つのスポットは基本的に歩いて回る時にはつながっており、そのまま街歩きを楽しみながら見ることができます。ここでは商いと暮らし博物館とセットで見れる内子座と上芳我邸木蝋資料館についてご紹介しましょう。

内子座

商いと暮らし博物館とセットで見ることができるのが内子座です。内子座は、内子町を代表する観光スポットの一つで、貴重な国の重要文化財です。

作られたのは大正時代で、築100年の芝居小屋としてその貴重な姿を見ることができます。また、内子座は現在でも現役の芝居小屋として利用されており、さまざまな演劇などが催されているのです。

内子座はもともと、木蝋や和紙などの生産で栄えた商人たちが町の娯楽施設として建設したのがはじまりで、木造2階建ての瓦葺き入母屋造りで、なんと650人も収容することができます。

席も桝席から二階席、更には回り舞台や、地下の奈落など、普段では見ることが出来ない設備が目の当たりにすることができます。こちらの内子座は、入場料は商いと暮らし博物館と木蝋資料館とセットで、大人900円、子供450円で見ることができます。

内子座

上芳我邸木蝋資料館

商いと暮らし博物館と内子座ともう一つセットで見たいのが上芳我邸木蝋資料館です。冒頭でご紹介したように内子町は木蝋の一大生産地でした。この木蝋生産の代表的商人が芳我家で、上芳我邸は、木蝋生産で栄えた芳我家の邸宅兼、木蝋生産現場が見学することができます。

この上芳我邸も商いと暮らし博物館同様に商売と住居が一体となった商人の暮らしぶりがわかりますが、商いと暮らし博物館が薬局であったのに比べ、こちらは豪商の暮らしが見れます。邸宅は非常に広大で、随所にこだわりがちりばめられた美しい日本建築など、当時の豪商の邸宅が目の当たりにできます。

また、上芳我邸木蝋資料館では、実際の木蝋生産の工程が現場として残されているだけではなく、木蝋で実際に作られた製品が資料館に展示されており、当時の美しい木蝋製品が目の当たりにできます。クレヨンや口紅など、蝋燭以外のさまざまな日用品が展示されており、海外まで進出していた当時の盛大さがしのばれます。

こちらの上芳我邸木蝋資料館があるエリアは、八日市護国といわれる場所で、街並み全体が重要文化財とされる、伝統的建造物群保存地区とされ、上芳我邸以外にも見所が盛りだくさんです。

まとめ

内子町はこれまでご紹介してきたとおり、商人を中心とした歴史や文化、建物をたっぷりと堪能することができる町です。商いと暮らし博物館もそんな内子町の楽しみがわかる貴重な一スポットと言えるでしょう。

同じくセット券で回れる内子座や上芳我邸木蝋資料館、更には伝統的建造物群保存地区に指定されている八日市護国地区などとセットでまわることで、より一層旅が充実したものとなります。